小鳥が歌うはクジラの唄、鮫が聴くのは小鳥の歌声

山法師

1 四月中旬、平日の早朝

 四月中旬の平日。


 早朝と言える、日が昇ったばかりの時間帯。


 近所にあるこの児童公園には、時間の関係でか、俺と彼女以外誰も居ない。


 ベンチに座った俺は、覚えるを通り越して慣れの領域に来ている手順で、手早くスマホを操作していく。


 再生画面に辿り着き、俺が座るベンチから数メートルの場所、俺の真正面に立つ制服姿の小柄な彼女──先月十五歳になった小鳥遊たかなし燐音りんねへ、顔を向けた。

 人が言うには『睨んでるように見える』らしい、俺としては『真面目』なつもりの顔を向け、静かに伝える。


「準備できた。いつでもいける」

「……うん。少々お待ちを」


 燐音は軽く目を閉じ、胸に右手を当てて深呼吸を数回繰り返して……目を開けた。

 真剣な──それこそ、誰が見ても真剣だと言うだろう表情になった燐音が、緊張気味に口を動かす。


「では、お願い、します」


 俺は燐音へ軽く頷いて、『録音』と『音源の再生』を開始した。

 俺のスマホから、鮫島さめじまなおとしての俺を知っている人間が聴いたら「系統が違いすぎる」と引き気味に言われそうな曲が流れ出す。

 切ない印象のイントロが、俺と燐音しか居ない公園に、広がるように響いていく。

 両手を胸の前で重ねた燐音が、少し緊張している面持ちで、頬を薄赤く染めながら、出だしぴったりに歌い始めた。

 俺がスマホで再生し、燐音が歌っているのは、ラブソング。

 三月の中頃に『くじら』がアップ、からのトレンド入り。有名な歌い手が【歌ってみました】と四月初めにアップして、またトレンド入り。その関係で原曲もまたトレンド入りして、中高生の間で話題らしい。


 あなたが大好き。あなたを愛してる。

 あなたにも好きになって欲しい。愛してもらいたい。願うけど。

 願うだけじゃ叶わない。だからあなたに伝えてる。この想いを伝えてる。

 あなたが大好き。あなたを愛してる。好きになって。愛して。


 切ない恋心を訴える内容の曲を、燐音は心を込めて、感情を込めて、切なく思える眼差しで俺を見つめて、歌う。


 あなたが大好き。誰よりも大好き。愛していると気づいて。

 あなたを愛していると、今、伝えているから。どうか気づいて。


 右手を伸ばし、差し出すように俺へ向け、切ない想いを、それこそ、俺に訴えかけていると錯覚しそうなほど真剣に、歌う。


 早朝の爽やかで柔らかい風が、俺から見て左から右へと吹き抜けていく。

 その風を受けて、背中を覆うくらいある燐音の長い黒髪が、軽やかに舞う。


 映画とか、ドラマとか、アニメとか。

 夢の中のような、特別でロマンチックなワンシーンみたいな、光景。


 歯が浮きそうになる文章が、俺の頭の中に浮かぶ。


 燐音の真正面という特等席に居る俺は、そんな彼女を、一生懸命に燐音が歌うラブソングを、聴く。


 燐音が口にする歌詞を、込められた心と感情の載った歌声を。

 恥ずかしそうに頬を染め、それでもまっすぐ向けてくる切ない眼差しを、浴びるように。


 向けられている全てを浴びて、取りこぼさず受け止めるように、聴く。


 スマホでの録音は、燐音からも言われているので当然として。

 俺の目とか耳とか脳みそとか。全身に刻み込んで焼き付けてやると思いながら、聴く。


 あなたに伝わりそうな気がする。あと少しで。

 あと少しで、あなたに想いが伝わったら。

 あなたは、好きになってくれますか? 愛してくれますか?


 切なく瞳を潤ませて、儚い微笑みを向けて、燐音は歌い終えた。


「ど、どうだった、でしょうか?」


 歌い終えてもまだ緊張気味の燐音は、緊張に加えて期待している雰囲気で、両手を胸の前で祈るように組み、尋ねてきた。


「その、自身としましては、いつもより良かった気がするん、だけども。でも、率直な意見を聞かせて欲しい、ので、思ったままを、教えて、ください」


 歌っていた時より緊張しているのも、歌っていた時より頬が赤くなっているのも。

 歌う前より真剣な表情になっているのも、いつも通り。


 だから俺も、いつも通り、思ったことを素直に答えた。


「良かった。すごく良かった。最高。今までで一番、最高の出来じゃないか?」


 思ったことを素直に、ではあるが、個人的な事情で淡々とした口調になってしまいながら。


 それでも、燐音は。


「ホント?! 良かった?! 最高?! い、今までで一番?!」


 とても嬉しそうに黒い瞳を煌かせて、その場でステップを踏むように少し跳ね、


「良かったぁ……」


 さっきの喜びに輪をかけて嬉しそうな、幸せそうな笑顔になる。


 世界中探してもここにしかない、どこまでも綺麗な花がほころぶ瞬間を目の当たりにした、そんな気分。


 俺の脳内にまた、歯が浮きそうな文章が浮かんだ。


 口には絶対出さないけど。顔にも絶対出さないけど。意地でも出さないけど。


 嬉しそうに、幸せそうに、頬を染めている彼女は。

 また、良かったと、両手で頬を挟み笑顔で言っている燐音は。


 彼女は、恋をしている。


 俺にじゃない。

 燐音が恋をしている相手は、俺じゃない。


 まだ十五歳な俺と同い年になり、俺と同じ高校へ一緒に入学した燐音は、


『だ、誰だかは、ナイショ、なのですが』


 恥ずかしそうに前置きしてから、恋をした相手のことを、俺に説明してくれた。


『背が高い人、です』


 お前の身長は153だろ。

 大概の人間がお前より背の高い人だわ。

 俺だって178あるんだから、『背が高い人』に該当するだろが。


『運動、体動かすの、得意、で』


 それもまあまあな人間に当てはまるだろ。

 俺だって『体を動かすのが得意』な人間だろが。

 去年の競泳、どの大会もお前、応援、来たもんな?


『勉強も結構できる、と、思うんだけど……普通? なのかな? 合ってる?』


 なんで俺に聞く。お前の普通の定義なんて知らん。


『あっでも! 音楽が得意なのはちゃんと知っ──お、んがくが、と、くいな、人です……』


 俺を見て嬉しそうに言いかけた上、顔を赤くしながら目を彷徨わせて言い直すな。

 都合の良い勘違いをしたくなるだろ。お前の言う通りに、音楽は得意科目だけども。


 だから、彼女が、燐音が、そんなふうに言うから。


 もしかして。

 もしかしたらと、淡い期待を抱きそうになった俺だったけど。


『それ、でね。とっても格好良くて、私のことを助けてくれた人、です』


 照れくさそうにはにかみながら言った燐音の言葉で、淡い期待は粉々に砕けた。

 それはもう見事に、マジで粉になるくらい砕けたと思う。


 俺は格好良くないし、お前を助けた覚えもない。


 黒髪黒目、どこにでもいそうな色味の俺は。


 目つきが悪い。人相が悪い。出来が良すぎるくらいの悪人面な男。


 昔からそんなふうに言われてばかりで、友人どころか知り合いと言える人間も少なかった。

 どこに居ても遠巻きにされてばかりだった。


 もともとの性格は悪くないと思ってる。


 けれど、悪人面の奴が性格の良い人間と似通った行動をするのは、傍から見ると意味不明すぎて怖いのだとか。

 そのせいでさらに遠巻きにされていった経験から、家族や友人、ある程度の知り合いと呼べる人間以外とは、他人行儀な──時には無愛想な──接し方を心がけなきゃいけなかった。


 入ったばかりの高校でも、俺は当然のように遠巻きにされている。

 その高校で友人や知り合いとして接してくれるのは、燐音と、今までの大会などで顔を合わせたことがある水泳部などの人間だけ。


 だから、俺は格好良い人間ではない。見た目も中身も格好良くない。


 お前のことだって助けてない。

 むしろ、俺のほうがお前に助けられたんだ。


 助けられてきたんだ。何度も。


 家が近くて、親同士の仲が良くて、俺と燐音は一緒に遊ぶことが多かった。それから、……それから、色々あって、一緒に居た燐音は『悪人面』の俺への耐性を得たらしく、俺を遠巻きにしないでくれた。


 今も変わることなく近くにいてくれて、守ったり、助けたりしてくれている。


 最初に助けてもらった時から、高校生になった今でも、何度も。


 あの時も。


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