話を聞かせて。そう問いかける相手の素性を知れば、皆が納得するホラーの構図。
本作の美点は、聞く人と聞かれる存在の間合いにあります。話して明かすことと、明かさないこと。明かせなかったこと。そこには背景があります。そして、明かせば良しとはせず、寸前で踏みとどまる聞き手としての勘と見識。だからこそ、残すべき話だけが残ります。
全てを俯瞰できるのは、話を寄せて突き合わせた聞き手と、読者のみ。もっと聞きたいという読者もいらっしゃるでしょうが、言わぬが花というものです。
語られる話も、怪異ではあれども怖れではありません。むしろ広く語られるべきものであって。
語られるべき話が、相応しい聞き手に巡り会う、ささやかな幸せを味わいます。
夜のバー。
ウイスキーとノンアルコールカクテルを前に語られるのは、少年と黒い足首との、ちょっと可愛らしくも切ない怪異の物語だ。
本作が描くのは、単に幽霊との不思議な交流のようすだけではない。
読み終えてぼくが心に感じたのは、「話を聞いてくれる人がいる」ということが、どれほど素晴らしいかということ。
それは、ミヒャエル・エンデの『モモ』にも通じるような、話を聞くという失われつつある能力の尊さを思い出させてくれる。
大人になるにつれ、ぼくたちはいつの間にか、余裕を失い、身近な人の話にさえ耳を傾ける力を失ってしまうのかもしれない。
でも、本当は誰でも持っていたはずのその力こそが、いちばん大切なのかもしれませんね。
ホラー短編大得意の遠部右喬さんの「話を聞かせて」の続編です。
前回もよかったですが、今回はさらにいい!
話は、霊の見えるオカルトライターの「私」が、街中で見かけた少年の霊を、なじみのバーに連れて行って話を聞くところから始まります。少年は、昔から、足首から下だけの霊が自分を助けてくれたことを話しだします。ところがある日、その足首が妙な行動を。これは一体どういうこと? 僕は従うべきなのか? そこから引き起こされた大騒動。
オシャレなバーで、美味しいお酒に小粋なセリフ。雰囲気があって、しんみりしてて、遠部さんの作品には独特の味わいがありますね。AIじゃこれは無理です。絶対に。
今回も楽しませて頂きました。
これはお勧めですね。是非どうぞ。
それではまた!
映画、ジュラシックパークにて。
悪者Aが近くにいた小さな体長1メートルにも満たない恐竜を見つける。
小さな恐竜は愛嬌タップリで、ユーモラスな動き。これといって、脅威を感じない。
だから、悪者Aは、恐竜をほっとく。
彼は自分がするべき行動に励む。けど、なかなか上手くいかない。
そのとき、恐竜はかまって欲しいと甘えた声を出す。
しかし、悪者Aは無視。作業に没頭する。
恐竜が末かねて、さらに甘えた声を出す。
呆れた悪者A
「あ〜、わかったよ。
きみはかわいいね」
おべんちゃらであしらう。
けど、恐竜の様子が違う。
エリマキトカゲのように、ヒレを開き、威嚇する。爬虫類特有の冷たい目を向ける。
そこで、悪者Aは気づく。
ヤベ〜ぞ、コイツ。
けど、すでに時遅し。
怪異を、脅威とするか、しないか。
その判断は難しい。
あっ!
そう思ったときは、すでに
フラグは上がっている。
遠部右喬様。
また、ヤラれてしまった。
シリーズ第2弾なのに、読めなかった😓
脅威である。
酸いも甘いも噛みしめた、という大人な雰囲気がとても魅力的です。
とあるバーにて、「オカルトライター」の主人公が一人の少年から話を聞く。
彼が体験したという不可解な出来事について。
道を進もうとしていたところで、なぜか自分の周囲にうるさく付きまとう少年がいたこと。それを追い払おうとして怒鳴り、その先で目にしたこと。
幽霊が見えるオカルトライターの主人公には、そのエピソードの顛末と、その裏にあった事情を見ることができる。
怪談としての話を聞き、「本人」たちですらも把握しきれていなかった真実を浮き彫りに。そうして霊たちの心の中にあったわだかまりを解きほぐしていく。
どことなく漫画「ブラック・ジャック」、「ギャラリーフェイク」なんかに通ずるような、専門家の持つ知識と経験により、人の心を解きほぐしていくような風味の感じられるところがなんといっても面白い。
主人公が経験豊かな「大人」として人の心をただ純粋に受け止めて、本人たちが問題を解決するのをそっと後押しする。その絶妙なニュアンスが読んでてとても心地よかったです。