極一般的な中学生男子だから
「それってどういう……」
僕が尋ねようとしたその時、彼女は続けざまに話して僕の話を遮った。
「勿論一人では無理じゃ。主のような凡俗一人で斃せるとは余も思っておらぬ。じゃから余が特別に主に心強い味方をつけてやろう」
「ひぃ」と彼女は兄娘(えむすめ)の方の名前を呼んだ。名前を呼ばれた娘は顔を上げ、目を輝かせて母親を見つめると元気よく返事をした。
「はい母さま! 何でしょう!」
その元気の良い返事は先程までの重い空気を和らがせ、僕に少しの心の余裕を生ませてくれた。
「この娘(こ)の名前はひぃという。この娘が主の相棒となり共にあやかしを斃してくれよう。やってくれるな? ひぃ」
「勿論ですとも! 母さまの為ならひぃは何だってやりますとも」
ひぃと呼ばれたショートヘアの少女は再び元気な声で大きく返事をした。
「流石は余の自慢の娘じゃ」と妖狐はひぃを抱きしめた。ひぃは褒められてえへへと照れ笑いを浮かべている。
冗談じゃない。
僕はこいつに無理矢理連れてこられて今こんな目に合っているんだ。今更こんな奴と仲良くなどできるものか。チェンジだチェンジ。もっとまともな奴とやらせてくれ。それに娘だけでは敵わないんじゃなかったのか? 弱い娘と弱い僕がコンビになったところで総合的にはむしろマイナスになりそうだ。
「主とひぃじゃからこそ勝算があるのじゃが、一人でやるか? お主一人で斃してみるか? それはそれで見ものになりそうじゃ。主がどれだけ早く殺されるかを予想してみるのもまた一興じゃの」
ハハハハと妖狐は軽快に笑い飛ばした。
完全に足元を見られている。僕には最早拒否権は存在しないらしい。嫌いな奴と一緒に組むか、それとも一人で死ぬかという問いは選択肢にもなっていない。姉さんとタッグを組む以外には僕の未来など存在してはいないのだ。
「決まりじゃの。主はひぃと組んであやかしを斃す。そして斃したあやかしから妖力を奪い余に返す。それで一件落着じゃ」
妖狐はよいしょと立ち上がり背伸びをした。
いや待て。話は終わっていない。あやかしを斃すのはいいが、一つ大事な事を忘れている。
「相手はそもそもどこにいるんだ? まさか何のヒントもなしにこの街を隅から隅まで捜索しろってのか?」
妖狐は今思い出したと言わんばかりの顔で僕を見て、それから本殿の中へ入っていった。
「すまぬすまぬ。うっかり忘れておった。奴の居場所は分かっておる」
妖狐は本殿の奥から古びた地図を取り出し、賽銭箱の上に広げた。僕と姉妹は並んで地図を見る。地図はここ神山町の地図だが、地形が僕の知っているものと少し異なっている。恐らく数十年前の地図だろう。すると妖狐が地図の中央に指を置いた。
「ここが今いるところ、新狐神社じゃ。そして、奴が潜むところは———」
そう言って指を南東に滑らし、ある一点で静止させた。
「ここじゃ。ここにある武家屋敷。奴はそこに住んでおる」
妖狐が指し示した先は何百坪もあろうかという広大な土地の中心だった。その昔この土地にはまあまあ有力な大名がいたと聞いた事はあるがこれ程だったとは驚きだ。
「武家屋敷か。そこに行けばいいんだな?」
「うむ、武家屋敷にいる吸血鬼。そいつを斃して妖力を奪って参れ」
武家屋敷に吸血鬼か。何ともナンセンスな組み合わせだ。吸血鬼はもっと洋風な館に住んでいそうなものだが、まさか古風な武家屋敷に住んでいるとは。
ともかくこれですべき事は定まった。この姉さんと一緒に武家屋敷に行き、吸血鬼を斃す。そして吸血鬼から妖力を奪いこの妖狐に返す。何とも簡単なお仕事だ。「うん、簡単だ」と自分に言い聞かせるように口に出す。到底簡単であるはずはないのだが、そう思わないとやっていられない。
「では、これで暫しのお別れじゃの」
「淋(さみ)しくなるの」と妖狐は小声で呟いた。出し抜けに見せた妖狐のしんみりとした表情に僕は少々動揺してしまう。不覚だ。こんな尊大な女を少し可愛いと思ってしまった。思わずギャップ萌えしそうになってしまった。
僕がドギマギしていると、彼女は僕の腕を掴み思いっきり引っ張った。僕はされるがままに彼女の胸に飛び込む。ち、近い。彼女の微小な胸からトクトクと淡い鼓動が感じ取れる。そのまま彼女は両腕を僕の背中に回すとその唇を僕の耳元に近づけた。吐息が耳に当たっている。僕の鼓動と彼女の鼓動が調和して頭の中に響いている。今までとは別の意味で頭がおかしくなりそうだ。暫しの静寂の後、彼女は今日一番の甘い優しい声で囁いた。
「余から主への呪(まじな)いじゃ。主が無事であるようにの」
そう囁き額にキスをした。唇の柔らかい感触が額に伝わる。こんな感覚は初めてだ。僕の頭の中は空洞になり、この感触だけが幾度となく響き渡る。数回の反芻の後(のち)に次
第に正気を取り戻し、止めていた思考が堰を切ったように溢れ出す。困惑、煩悩、恐怖、欲望、親愛、恋慕。様々な感情が僕の脳内を巡って駆ける。その中で何とか言葉を絞り出し、やっとの思いで彼女を突き放した。
「えっ、おい! ちょっと! 何すんだよ」
思わず額に手を触れる。額にはわずかに湿り気が残っており、先程の行為が現実であった事を認識させられる。やっぱり妖狐だ。こいつは人の感情を弄ぶあやかしだ。
僕が恐れ慄いていると妖狐は軽く笑って姉さんの方を見やった。
「さぁ、別れの挨拶も済んだ。ひぃ、頼んだぞ」
姉さんはさっきまでの光景をどうやら指の隙間から見ていたようで若干頬を赤らめていた。しかし、母親から呼ばれるとすぐさま元の調子に戻った。
「分かりました! このひぃが誠心誠意この人間を手助けさせていただきます!」
妖狐はうんうんと微笑を浮かべて嬉しそうに頷き、それから僕を見る。
「今日はもう夜も大層更けてしまった。そこでじゃ、余が主らを主の家まで送っていこう」
突然の提案に思わず一歩後退る。
どういう風の吹き回しだ?
先程のキスであちらも僕に気ができてしまったのか?
そう考えていると僕を試すかのように妖狐はフフフと含み笑いをした。
「他人の好意を無下にする男はモテぬぞ。いや、他(た)狐(こ)の好意と言うべきかの?」
彼女は僕を誘惑するかのように妖艶に扇子を扇ぎ始めた。
何故だ。
何故こんな感情が芽生える。
さっきまであんなに警戒していた相手だというのに何故こんな気持になっているんだ。
こんなに僕は単純な男だったのか?
キスの一つで簡単に心を許してしまうようなそんな男だったのか?
このまま僕は彼女に逆らって徒歩で家に帰る事は出来る。だが、今の僕にはその選択をする程の反抗心を持ち合わせてはいなかった。妖狐の一挙手一投足にまんまと絡み取られてしまっている。
「じゃあ、お言葉に甘えて送ってもらうよ」
僕がそう言うと妖狐は思惑通りといった感じでニンマリと笑い、僕とひぃを手招きした。
「では、ひぃと怜。近(ちこ)う寄れ」
手招きに従って僕達は言われた通りに近付く。
「それじゃあの、怜。久しぶりに人間と話せて楽しかったぞ」
僕は今日の一連の出来事から何も言う事ができず、ただ静かに頷いた。
「そして、ひぃ。お前を頼りにしておるぞ。必ずやあの吸血鬼から妖力を取って参れ」
ひぃも何も言わず、ただ母親に向かってビシッと敬礼をした。
「では二人とも頼んだぞ。また明日に良い報告を待っておる」
彼女はパチンと指を鳴らした。その瞬間前方から突風が吹き抜け、今日一日を回想する暇もなく僕は意識を失った。
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