3
水穂だったはずの異形体が、レーザービームを撃ち放とうとした中、真壁は手袋を外して水鉄砲のように構えた。
「ヘルメットしとけ」
「は、はいっ!」
真壁に無愛想に言われ、慌てて長瀬はヘルメットを被る。
水鉄砲の構えで、真壁は水穂に粘液を噴出したら、彼女は気付いたらしく、ひょいと後方に飛んで避けた。
「チッ」
「あら? いい男」
異形体が真壁を目に留めると、うっとりとしたような声を上げる。日頃の水穂の言いそうなことをトレースしているのか、オーパーツに保存されている外宇宙人がそういう人格なのか、長瀬にも判断できなかった。
だがその声を聞いて、真壁はいつもの温度のない声で長瀬に尋ねる。
「おい、あいつ……」
「……水穂さんです。水穂さんが、深度4に……」
「購買員か……深度4は厳しいが……」
「水穂さん、元に戻れるでしょうか」
「わからん。やるだけやるが、無駄だったら線香上げとけ」
もしも長瀬がエージェントでなかったら「この不謹慎!」と軽蔑した声を上げていただろうが、既に長瀬は理不尽なパートナーの脱落に何度も立ち会っている上に、宮女に行って間に合わなかった浸食者たちにも遭遇している。
真壁が来た時点で、まだ助かる確率が少し上昇しただけなのだ。まだなんの解決にもなってはいない。
水穂だった異形体が馴れ馴れしく言う。
「まあ、この星にもったいない男ね。可愛がってあげる」
そう言いながら、再びレーダービームを撃ち放とうとsるうが、それより先に長瀬は手を抑えながら構えた。
抑えながら打ったことで、粘液が霧状に変わる。それと同時にレーダービームが撃たれたが、途端にもわんもわんと光が曲がる。
「あら? ちゃんと撃てないわ?」
「そりゃそうだ。毒霧だろうが、霧は霧だ」
「まあ……頭も切れるの。やっぱり素敵ね、あなたは」
「……石に発情する覚えはねえ」
「失礼しちゃうっ!」
彼女の甲殻で覆われた腕が、真壁を抱き締めようとしたとき。霧状の粘液を浴びた。途端にあれだけ硬質に覆われていたはずの皮膚がジュッと音を立てて蕩ける。
「なっ……これは……っ!」
「これは硫酸だ。俺の体液は全て毒だよ」
独特の異臭を放ちながら、辺りは毒でシューシューと音を立てて溶けていく。
オーパーツ全体に攻撃をする際、もっとも効果的だったのは、オーパーツの物質ごと穿つほどのレーダービームを放つか、硫酸以上の強酸や猛毒を使って溶かすかのいずれかだ。他の検証は未だに進んではいない。
それに水穂だった異形体が、やっと焦り声を上げた。
「あなた……私たちの仲間のはずでしょう? この星の人間に寄生し、乗っ取り、この星を我らの惑星と同じく住みよくするはずの……どうして、この星の人間の真似事をするの。だってあなたは……!」
「うるせえ。なんでもかんでも決めつけるな」
真壁は乱暴に言い放つと、異形体の首筋に毒を垂らした。途端に首筋に深く突き刺さったオーパーツが見えた。
(深度4ってことは、だいぶオーパーツに遺伝子組み替えられてるな……これを抜いても……)
抜いたら死ぬかもしれない。でも、抜かないことにはオーパーツを冷凍封印することすらできない。真壁は乱暴に、指先に力を込めた。粘液の毒が強く濃くなる。
異形体は、まるで地球人のような悲鳴を上げる。
「ヤダヤダヤダヤダヤダヤダ、ヤダァァァァァァァ!!」
「……うるせえ、そう叫んだガキが何人いたんだよ」
水穂に刺さっていたはずのオーパーツが自動的に抜け落ち、逃げ出そうとしたが、それより先に真壁がむんずと掴んだ。彼の汗が粘り、毒になってオーパーツを蕩かせていく。逃げようとしたオーパーツを無理矢理ロケットの中に突っ込むと、そのまま蓋をした。本部に戻ったらそのまま冷凍封印だ。
辺りは異臭塗れになり、水穂は倒れたままだ。どのみち、宇宙防衛機構の息のかかった病院でなければ、彼女の治療は困難な上、そもそも無理矢理遺伝子を組み換えられた体がどこまで元に戻るかが未知数だ。
真壁がせめてもと硬化した皮膚を取ってやると、かろうじて人間の肌を見せた部分はぐったりとしていた。
やがて、ヘルメットを被った長瀬がやってくる。
「真壁さん、これは……」
「深度4でだいぶ宇宙人に改造されている。勝手にオーパーツが抜け出さなかったら完全に体を乗っ取られていたが、改造された体がどこまで元に戻るかわからねえ。すぐ病院に入れてやれ」
「はい! あの、真壁さんは……」
だんだん霧も晴れ、異臭も落ち着いてくる。
真壁は手袋を引っ張り出すと、それを嵌め直す。
「……勝手な憶測で同情したら殺す」
「すみません。同情しているつもりはないんですが」
真壁はチラッと端末を確認し「深度2の方がまだ残ってるな、あと任せる」と、そちらのオーパーツ回収に行ってしまった。
長瀬は溜息をつくと、先に救急車を呼び、次に地下シェルターを回って保険の話を聞いて回るべく、ひとまずヘルメットを外すと走りはじめた。
真壁巧。元々彼は、オーパーツを浴びて異形体になるはずだったが、深度5になってもなお人格が乗っ取られることがなく、異形体になることも、外宇宙人に人格を乗っ取られることもなかった適合者。
彼のような適合者は1%の確率で現れるらしい。100人にひとりはいると考えればわかりやすいが、100人もの人間が一度にオーパーツに浸食された例がほぼ見当たらないため、観測したくてもできないというのがある。
その、観測すべき場所が封鎖地区なのだが。その封鎖地区の観測も、ほぼできていない。
****
「二カ所同時オーパーツ襲撃事件。解決できておめでとう!」
「……ありがとうございます」
さっさと真壁は冷凍保存用のロケットを引き渡して自室に戻ってしまった中、長瀬は書類作成のために本部に戻ってきていた。
あまりにもテンションの高い早乙女に、長瀬はげんなりとしている。
「いやあ……それにしても、まさか適合者がふたり目、しかも身内から現れるとはねえ!」」
「いや……水穂さん適合者じゃないじゃないですか。いきなり遺伝子いじくられて。今入院しているのに、エージェントなんてさせられる訳ないでしょ」
「でも、彼女体を弄られて家に帰れるのかい? なにかの拍子にビーム撃っちゃうのに?」
「……決めるのは早乙女さんじゃないです。水穂さんです」
なにがなんでもエージェントに水穂を購買部から引き抜こうとしている早乙女を、長瀬は必死に止めていた。あんな死にやすい場所に気安い仲の彼女を巻き込みたくない。ただでさえ女友達の少ない職場なのだから、女友達がいなくなるリスクは避けたかった。
それを柏葉は「んー……」と聞いていた。
「でも、早乙女さんは前々から適合者以外の戦闘員エージェントのパワードスーツ開発中でしょう? あれがちゃんと完成すれば、長瀬さんももうちょっと安全にエージェント活動できるし、自分ももうちょっと積極的に前線に出られるんだけど」
「うん。真壁くんのおかげでだいぶ進んでるからねえ、開発。彼の体液からオーパーツに関する弱点やら浸食率やら深度の抑制やらいろいろ調べられてるしね」
早乙女の軽い口調で、長瀬はなんとも言えない顔になった。
真壁はオーパーツに浸食されたことにより、適合者になった。軍備もない人間が生身で異形体と立ち向かえるのは、彼自身がオーパーツにより遺伝子調整を受けた末に、人間よりも丈夫になったからだ。
だからと言って、彼におんぶに抱っこでもいられない。
真壁はオーパーツに浸食され、体液が全て毒に変わってしまったことにより、彼は日常のありとあらゆることができなくなってしまった。食事をすれば、彼の唾液で人が死ぬ。風呂に入れば、彼の少量の体液でも人が死ぬ。彼が出す体液は、なにも硫酸だけではない。時には青酸カリのような、少量でもあっという間に死に至る毒すら排出するのだから。そして彼は恋人との営みをすれば、相手が死ぬ。
真壁は人間としての営みを、一切合切奪われてしまっているのだ。
だから彼は、この本部の居住区以外で住むことができず、ここで用意された宇宙食のパウチのみを食し、毒に適応したシャワールームでしかシャワーを浴びることができない。
(そんな飼われないと生きていけないって人のような真似、私は勧めることができない……)
真壁には「同情したら殺す」ときつく言い含められているため、本人に言う気は全くないが。それでも水穂にこんな生き方をさせたいとは思えなかった。
長瀬の歯がゆい表情に、柏葉は困った顔で首を傾げた。
「長瀬さんがあんまり落ち込む話でもないと思うよ。自分たちはオーパーツが降ってくる日常しか生きることができないし、誰だって彼みたいになる可能性はある。水穂さんがそうなるかならないかはお医者様によるから、今度お見舞いに行こう。もしかしたら、治療が上手くいって、適合者からは外れるかもしれないんだしさ」
「……そう、だといいんですけど。すみません、柏葉さんを困らせてしまって」
「いや、いいよ。でも、あれはどうしてそんな君に寄り添ってあげないんだ。さっさとオーパーツ引き渡して自室に篭もってさ」
柏葉視点では、だいぶ真壁は傍若無人な男に見えるだろうし、長瀬も緩くはそう思っているが。それでも長瀬は真壁を嫌いになることはない。
「真壁さん、あれで手加減してくれてましたから。あの人、成人男性に対してはそこまで優しくないですけど、女子供が浸食されたとき、だいたい命は助かる方向で行動してますから。この間の高校生の子も、もうそろそろ治療が終わるはずなんです」
「学校襲撃のオーパーツの、ねえ……」
長瀬は「そういえば」とふと気付いた。
(彼女も、閉鎖地区出身だったような……)
それは彼女を病院に入れる際の手続きをする際、長瀬が確認取ったことだった。書類仕事は基本的に長瀬がほとんど全てやっているから、パートナーの真壁には聞かれてない限りは答えてないが。
(真壁さん知ってたっけ)
そのことを彼女は思いながら、その日の書類を必死に片付けることになったのだ。
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