原点

 真壁はバイクを走らせていた。

 既に日は高くなり、アラートでシェルターに潜り込んでいた人々も、今は仕事や学業に勤しむべく外に出ていた。

 それでも、だんだんと灰色の街並みだったものが近付くにつれ、まずは民家が少なくなり、続いて店舗が消えていく。

 鉄格子に黄色いテープで張り巡らされた場所。

 封鎖地区。既に地図上からも名前が消された場所だった。

 どういう理屈で政府がオーパーツが降ってきて街が消えたことを公表しないのかはわからない。早乙女もここの調査のために各所に根回しをして数年かかってやっと許可を取ったのだ。どうしてここまでかかったのかもわからない。

 ここで生まれてここで過ごし、ここで生涯を終えると思っていた。

 灰色の街並み。どういう理屈か、未だに復興の兆しもなく野ざらしにされた場所を、真壁は見ていた。

 別に20世紀に取り残された場所でもよかった。現在に適してないと都会の人間から言われてもどっちでもよかった。ここに骨を埋める予定だったが、真壁は体質が故に、もうここに戻ることができない。

 宇宙防衛機構の中でしか、今の彼は生きることができない。空腹が満たされることはなく、虚無が埋まることはない。それでも、もう帰ることはできない。

 胸に占めたのは諦観だったが、それが揺らいだのは、この数日で封鎖地区出身の人間の異形化を阻止したからだろう。


「ふん」


 郷愁を覚えても、もうどうすることもできない。

 長瀬に言った下見をほとんどすることもなく、バイクで元来た道を戻っていった。

 空腹でも、虚無でも、食事が三食全てパウチに入った栄養ゼリーだったとしても。帰る場所はもう、そこにしかない。


****


 結局長瀬はひとり本部に戻ってきても、早乙女に「あれ、真壁くんいないの。なら駄目だね」とあっさりと封鎖地区の調査を取り下げられてしまったのに脱力した。


「なんでですか……というよりも、どうして真壁さんだけに伝えたんですか。エージェントは他にもいらっしゃるのに」

「というよりもねえ。封鎖地区。いろいろ問題はあるんだけど、一番の問題はあそこに今も残っている住民はほんっとうに警戒心の塊だから。もし長瀬くんひとりだけで調査に行ったら、身ぐるみ剥がれるかも」

「……っ。真壁さんは、そのう……あそこ出身ですけど、その心配はないんですかあ?」

「逆に聞くけど、長瀬くんは真壁くんの身ぐるみ剥がせるのかい?」

「無理ですね」


 そうきっぱりと言い切った。早乙女も頷く。


「だよね。僕も無理だと思うし。真壁くんの生い立ち考えたら、あそこに行ったら裏切り者扱いされても仕方ないけど、いくらあそこの住民でも、全員で彼の身ぐるみ剥ぐのは難しいだろうし」

「だから真壁さんが一緒じゃないと駄目なんですか……でも……普通に柏葉さんとか出向の方を巻き込むというのは……」

「あ、それはもっと駄目。彼らの警戒心を刺激されて、いよいよこちらのコントロールが利かなくなる」

「……そもそも、あそこが今も封鎖されてて全く復興作業はじまらないのも、あそこに人が住み続けてよそに行かない理由も、全然わからないんですが……あそこの人たち、なにをそこまで……」

「んーんーんーんーんー……」


 普段だったら、ヘラヘラ笑いながらも意外と疑問にはきちんと回答してくれる早乙女が、本当に珍しく言葉を渋っていた。それに思わず長瀬は「なんでなんですかあ」と尋ねる。


「んー……どこまで教えていいのか、僕にもわかんないけど。ただ公務員系の人間だと、上からの圧力に屈しちゃうから、言わぬが花というのがまずひとつ」

「……だから柏葉さんにも言っちゃ駄目なんですか」

「そうだね。あとひとつは、あちらもうちのことをかなり非人道組織みたいに思っているから、宇宙防衛機構の名前を出した途端攻撃されるかも。死ぬことはないかもしれないけど、かなりひどい目を見ることになる。だから長瀬くんひとりじゃ行かせられないし、真壁くんひとりにお使いを頼むこともできない」


 早乙女がかなり言葉を渋ってはいるものの、要は「国の上層部がなにか隠している」「宇宙防衛機構に対して不信感を抱いている」というところまでは、長瀬でも理解できたが。


「それはわかりましたけど……真壁さんひとりにお使いを頼めないって言うのはいったい……?」

「だって真壁くん。意外と絆されやすいから、向こうの子たちに『帰ってきて』って言われたら帰っちゃうかもしれないし」

「……え、真壁さん。そんな優しい人でしたっけ?」


 思わず長瀬は目を剥いた。

 なにをしゃべっても素っ気ないしつっけんどん。おまけに気分次第で質問に答えてくれないことだってある。無愛想で無表情な人間。それが長瀬の中の真壁のイメージだった。

 それに早乙女は「えー……」と言う。


「真壁くん、無口なだけで、別に無神経ではないよね? だって長瀬くん、何度もパートナー交代してるのに、それに対して真壁くん、一度でも気を遣ったことあった?」

「気を遣われたほうが困るんですけど……」


 それに長瀬は難色を示す。彼女自身、本来宇宙防衛機構に入った目標と、今やっていることが全然違うのは理解している。その上、真壁とパートナーになるまで、異形化した人を元に戻す方法も、オーパーツ摘出の際にもっと悲惨なことになることだってあった。

 あんなもの、慣れるものでもない。異形化した人々は理性を失ったかのように人間と同じ言葉を使いながらも、人間と違う倫理観で動き……最悪パートナーを殺してしまう。死ねたのなら、まだ死亡保険が降りるから、遺族だって困らないだろうが、問題は死ぬより最悪なことになった場合だ。宇宙防衛機構を辞める際、まるで恨むような憎むような罵詈雑言を並べて、不自由な体のまま去って行った人を見送ったことだってある。

 同性のほとんどいない職場で、ひどいことを言われても辞めなかった理由は、ひとえにそれでも自分のやりたい宇宙を目指す方法が、今のご時世ではここしかなかったからだった。

 長瀬の複雑な心境を知ってか知らずか、早乙女は「そこだよ」と言ってのけた。


「真壁くん、口を開くと暴言しか吐かない割に、余計な傷口を抉る真似は絶対にしないじゃないか。僕はそういうところは、とてもいいと思うんだよねえ」

「……早乙女さんがそれ言いますか?」

「アハハハハハハハ! 僕、いっつも余計なことまで言って相手を怒らせちゃうからさあ! だから真壁くんすごいなあ。僕にはちっとも真似できないなあって思ってるところ! あの子、僕らが思ってるより苦労してるっぽいからさあ!」


 天才ゆえか変人ゆえか、無神経にも程がある早乙女が評価するポイントはいまいちヘンテコながらも、長瀬も指摘されて若干理解できた。

 できたはできたが。


「……わかりました。どっちみち、真壁さんがいないことには調査ができないということで」

「そーそー。こっちも上からものすっごくやりくりしてなんとかできるように下準備はしたけど、問題は他にはあんまり教えられないからさ。この調査のことは君と真壁くんと僕だけの間の話ということで」

「わかりました」


 その日は待機時間まで本部にいたものの、結局は朝のアラート以外は鳴ることがなく、そのまま長瀬は帰路に着くことになった次第だ。


****


 宇宙防衛機構本部とは言われても、東京とは程遠い地方都市に存在している。

 逆に言ってしまえば、民間の宇宙開発機構というものは、東京よりも外れた場所でなかったらなかなか拓けた土地もなければ、天体観測を遮るようなビルのない空もないという訳だった。

 閉鎖地区ほど古めかしい街並みは稀だが、この辺りも未だに20世紀と21世紀初期の面影を残した街並みが残り、おしゃれなバルなどはほぼなく、肩と肩がぶつかるようなカウンターのみの席の飲み屋が未だに健在しているような街だった。

 そこで、長瀬は水穂と一緒に飲みに来ていた。同年代の女性がほぼいない職場で、暢気に飲み屋に入れるような相手は互いしかいなかった。


「はあ……最近アラート多いけど、あれって結局なんなの?」


 ねぎまを囓りながら、ビールを呷る水穂に、長瀬はどこまでだったら情報機密にならないかを考えつつ、枝豆を千切って口に放り込んだ。


「オーパーツ降る周期ってものがあるらしいんです。オーパーツも天体観測だと観測できないらしくって」

「それってどういう理屈?」

「うーんと。隕石とかが観測できるのは、星の軌道がある程度定まっているからだそうです。流星群とかもだいたい天気予報でどの時期に見られるかって、言われますよね? オーパーツは軌道が定まってない上に、ステルス機能が搭載されているらしくって」

「それって、ものすごくまずくない?」

「はい。まずいです。こんなもの放っておいたら軍事利用されちゃいますし」


 オーパーツの情報は、情報機密の塊だ。こんなもの民間企業に知られたら軍事利用されてしまうし、とんでもないことになるのが目に見えている。だからこそ、ネットニュースなどでも規制がかかっていて、ほとんど知られることがない。

 逆に言ってしまえば、オーパーツの欠片が刺さって異形化してしまった人々も、本来ならば射殺や隔離の対象になってしまうため、宇宙防衛機構でも積極的に保護に走っているのだが、この情報機密のせいで表に出せる話が限られてくるから誤解を招くのだ。


(世界中でオーパーツ落下したものの、回収とかも難癖付けて進まない理由だって、ほとんどそれが原因だもんね)


 地球だと存在しえない金属、ひとつの生命を司るものを全て圧縮還元した情報、地球の技術では未だに解析不可能なステルス機能。これらひとつでも解析が終わったら、地球の科学はひとつどころじゃなく成長を遂げるだろうが。この情報を巡って戦争に発展しえないため、これらの回収は国が積極的に動かなかったらできないものであった。

 長瀬の考えをわかってかわからずか、水穂はシャクシャクとポンジリに手を伸ばしながら声を上げる。


「あー……だから宇宙防衛機構もあれこれと根回しをしなかったら、いろんなものつくったり観測したりできないんだあ」

「そこまでわかってくれれば充分です」

「でも、これっていつまでもなあなあで済ませられる問題でもなくない?」


 水穂のわかってないなりの鋭い質問に、長瀬は頷きながら、レバーを囓って烏龍茶で飲み干した。


「そうなんだよね。上の人たちがなにを考えてるのかさっぱりわかんない」

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