色恋匂えど散りぬるを

渡貫とゐち

第1話


 ――またやってる、と周りの生徒が嘆息するほどに、ふたりは犬猿の仲だった。



「よお、宇垣うがき。相変わらず頭が高いな、バカのくせに」


「そういうアンタはいつまでチビでいるつもりなの? 脳みその出来だけは良いみたいだけど……色々知ってて脳が重たいから身長が伸びないんじゃないのー?」



 廊下ですれ違うだけでこれだ。睨み合い、お互いを貶し合う。バチバチだ……。だが、ふたりと距離が近い友人から見れば、じゃれ合っているようにも見えるのだから不思議な関係である。


「うがっちゃん……また? 先に練習いっちゃうよ?」


「あ、待って! あたしも一緒に行くから! ……アンタはどうせ図書室で勉強でしょ? はいはい、努力アピールですか、そうですか……どうせ大半の時間は動画でも見て時間を潰してるだけなんでしょ。寂しいやつめ」


「お前と一緒にするな。ノートを広げたらちゃんと勉強するに決まってるだろ……こういうのは一日でも休んだらダメになるものなんだ。実力、と言うよりはメンタルが、だな。スポーツマンのお前だって、この気持ちは分かるだろ」


「それは……、うん、確かにそう」


 一日でも休めば体が鈍る。なので休みの日なのに自主練をしてしまう。休みって言ったのに……と友人から呆れられるのも日課であった。


 実際に鈍るかは分からないが、気持ち的に、だ。彼女の場合は身長が高いので、少し休むと付けた筋肉とその体重を支えるための足腰が鈍ってしまいそうで怖い。


 嫌いな相手とは言え、彼の持論には素直に頷く。


「おれだって同じだよ。ちゃんとやってる。汗水垂らすことはないけど、サボってると思われるのは心外だな」


「うん、言い過ぎた。よく知りもしないで言うべきではなかったわね……ごめん」


「うむ、許す」

「偉そうに……っ!」


 ちょっとー? と、後ろで友人が呼んでいた。


「ねえもう、うがっちゃん!!」

「はいはい……――じゃあ、あたし行くから」


「おう。いや、なんでおれに言う? 勝手に行けばいいだろ」

「言われなくとも行くわよ、バーカ!」


 そんなやり取りをしながら、宇垣はバレー部の練習へ向かったのだった。



 カバンを肩にかけ、図書室へ向かった坂城さかき


 人がいない、いつもの席へ座りノートを開く。

 ペンを持ち、問題を解き始めた……。

 静かな空間で、今日も日が暮れるまで勉強だ。



 下校時刻になった。

 帰り支度を終えて図書室を出ると……、

 練習を終えて、汗がまだ引いていなかった宇垣とばったり出会った。


「っ、よお」

「う……。狙いすましたかのように……さては狙っていたわね?」


「はあ? お前がメールしたんだろうが」

「ちょっ!」


 宇垣の大きな手が坂城の口を塞ぐ。

 誰が聞いているか分からないんだからやめて! という圧が強い。


「…………こっち、きて」


 ぷは、と息をする。彼女の大きな手が口から離れ、坂城の手を握り締めた。

 力強く引かれ、坂城はなす術なく連れていかれる。


 彼女に従い、ついていくと、辿り着いたのは屋上の手前の、踊り場だ。

 屋上は開かないが、扉の前までは行くことができる。


 ふたりが向き合った。

 向き合うと、身長差がはっきりと分かる。


 坂城がメガネを取った。


「なんで取るのよ」

「邪魔だろ」


 これからすることを察した(……まあ、分かっていたが)宇垣が、今更ながらパタパタと体操着の中に風を送っている。その程度で消えるわけもないのだが。



「……お前のことは、大嫌いだ。だけど……お前のその汗の匂いだけは、認めてやる」


「大好き、って、言えばいいのにねえ……」


「それを言ったら変態だろ」

「あのさ、もう変態だから」


 坂城が、「いいよな?」という確認をしてから――宇垣がこくり、と頷いた。


 バレー部の激しい練習の後。もちろんタオルで拭っただけでシャワーなど浴びていない、そのままの姿だ……。坂城が宇垣に抱き着き、彼女の体操着に鼻を埋めた。


 抱き着かれた宇垣もまた、坂城の頭頂部に鼻を押し当て匂いを嗅ぐ……――ふたりは犬猿の仲だ、それは間違いない。

 だが、互いの体臭だけは、世界でたったひとりしかいない、大好物なのだ。


 彼女の――彼の――匂いだけは、好き。


 相手のことは性格から全部、大嫌いだけど。



「お前、このノリで変なところ触るなよ?」

「こっちのセリフよ! アンタも、胸とか……っ、触ったらぶつからね!?」

「触るかバカ」


 触るどころか顔を埋めた位置がまさに胸であるのだが……、匂いが優先されている今は、お互いに気にしていないようだった。


 坂城も胸にはドキドキしない……心動かされるなら匂いばかりで、今にもふにゃふにゃな笑顔になりそうだが……そこまで気を抜いたらまるで家にいるようだ。


 まだ彼女には明かせない顔がある……ここはがまんだ。


 ――脇、からも……。


 前々から気になっていたところだ。脇、もっと言えば汗がたまる谷間。……その匂いも、気になっていた。

 そこへ鼻を埋めたいところだったが、さすがにそれはやり過ぎだろう、と自覚があったのだ。……今はまだ、体操着が限界である。


 もっと、もっと距離が縮まれば……? 許可を貰えば嗅がせてもらえるかもしれないが、それこそ恋人でもなければ無理だろう。


 今の関係性では難しい。



「ねえ……アンタの部屋ってさ……」

「ん?」


「いや、なんでもない……!」


 彼の体臭だけでは満足できなくなってきた宇垣は、考えた。もしも坂城の部屋へ行けたなら……、全方位から漂ってくる彼の匂いを好きなだけ堪能できるのではないか、と。

 しかし、それこそ恋人でもなければ嗅げるわけもなく……今の関係性だとこれが限界だ。


 今はまだ、ここまでしか嗅げない関係。



「……もういいだろ」

「もういいの?」


「……じゃあ、もう少しだけ、嗅がせてくれ」

「アンタから提案してきたんじゃん。……はぁ、いつまで嗅がせればいいのかな?」


 まるで小さな男の子のわがままを聞くように。

 それに文句を付ける暇も余裕も坂城にはなかった。


「お前がもういい、って言うまで嗅ぐぞ」


「それだと一生終わらないんじゃない?」


 彼が匂いを嗅いでいる時、彼女もまた彼の体臭を嗅いでいるのだから。



 ……ふたりはお互いの匂いを嗅いでいるだけだ……だけなのだが。


 陰から覗いている友人からすれば、もう愛し合っているようにしか見えなかった。


 前々から怪しいとは思っていたけれど、ここまで進んでいるなんて!?



「だだっ、大スクープですわぁ!?!?」



 普段言ったことのない口調で叫ぶあたり、かなりの動揺があったらしい。


 親密な関係である、とは匂わせることもなく。


 ふたりの噂は瞬く間に学校中へ拡散されることとなった。





 ・・・おわり

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