第3話 約束の期限
笑う師匠をじろりと睨む。
「なんで笑ってるんですか」
「いやいや、ごめん。まるで母親と幼子のようだったから」
「戯れ言はやめてください」
こんな大きな子がいてたまるか。まだ十七歳だ。
「ごめんて。じゃあ、気を取り直して、わたしの考えを言おうか」
「はい、お願いします」
ごくりと息を飲み、師匠を見つめる。
「反魂香は魂を呼び戻すためのものだと説明したと思う。だけど、正確には『魂と器を紐付ける』が省略されている。紐付けて、器の前に呼び寄せるんだ」
「魂に綱をつけて目の前に引っ張ってくるようなもの、ですか?」
嫌な予感しかしない。紀生は反魂香を焚いてしまい、紀一郎の魂を目の前に呼び戻してしまった。
「その通りだ。そして、紀一郎の魂と、朔は結びついてしまっている」
「つ、つまり?」
「仮に他の器を見つけたとしても反魂の術は行えない。もう朔の体にしか入れることは出来ない」
血の気がさあっと引いていき、目の前から色彩が消える。
取り返しの付かない、間違いをしてしまったのだ。そのことに、紀生の頭の中は真っ白になる。朔でしか術は行えない、だが、生きている朔では術は行えない。どうにもならないではないか。
「いいよ。もう生きたくないから体あげる」
干し芋を食べきったのか、突如朔がしゃべり始めた。しかも言いだした内容に耳を疑う。
「は? 簡単に言うな。死ぬってことなんだぞ」
「だから最初から俺何度も言ってるよ。生きるのが面倒だから凍死しようとしてたって」
「そ、そうだけど……でも……」
言葉が出てこない。
そんな紀生の肩を師匠が軽く叩いてきて、笑顔を浮かべた。
「紀生、くれるっていうんだからもらっとけば? わたしが特別に呪い殺してやるよ」
「師匠! 怖いことをさらっと言わないでくださいよ」
「最近呪いの仕事が来ないから腕なまっちゃって。練習にちょうどいいかなと思ったんだけどな」
師匠はやる気満々なのか、ぐるぐると腕を回し始めた。
「ちょうどいいで殺さないで!」
「師匠さん、呪える人なんだ。凍死は寒いから、呪い殺してもらえるならそっちの方が嬉しいかも」
「お、乗り気だね」
「朔、しぃ! 黙って。もう一つ干し芋あげるから」
紀生は勢いよく干し芋を突き出す。
「干し芋はもらう。ふぁけど、食べなふぁらでもしゃべれるよ」
言葉通りに若干もごもごした発音だが、干し芋を噛みながら口を開くではないか。
「なんなの、こいつ」
紀生はがっくりと脱力する。どうにも会話をすればするほど気が抜ける相手だ。
朔は口に入っている分の干し芋を飲み込むと、だらりと再び卓上に延びた。
「紀生が体いらないといったところで、俺は死ぬよ。これはもう決めてる。だから、その辺で野垂れ死んで野犬の餌になるくらいなら、温かいお茶をくれた紀生の役に立ちたい」
朔の目がうったえるように紀生を見上げてくる。立てば紀生よりも頭二つ分くらい高いくせに、今は卓上に上半身を伏せているせいで上目遣いなのだ。まるで本当に捨て犬を拾ったような気がしてきた。役に立ちたいだなんて期待を込めた目で見つめられては、命が掛かっていなければ思わず絆されてしまいそうだ。
「朔は、まだ生きてるんだぞ」
握りしめた拳が、力の入れすぎで震える。
「そうだね。でも、死ぬ」
「さっき銭湯行きたいって言ってたじゃないか」
「だって話が長そうだったから。生きている間はなるべく心地よく過ごしたいのは普通でしょ。師匠さんが殺してくれるなら喜んで今すぐ殺されるよ」
本当に朔を器として使って良いのだろうか。死んでいると思っていた時は嬉々として使おうとしていたけれど、生きているなら話は別だ。
「生きていれば、楽しいことが待ってるかもしれない」
「待ってないかもしれないよ。地獄の苦しみだけかも」
「なんでそんな後ろ向きなんだ」
「そんなこともないよ。ねぇ紀生、俺を使ってよ」
朔の圧に押される。
紀生だって簡単に折れる気はなかったはずのに、つい目をそらしてしまった。自分の負けだ。
本音を言えば、喉の奥から手が出るほど器が欲しい。紀一郎を呼び戻せるのなら何だってすると決意していたのだし。
血を分けた半身、いつでも一緒だった。気弱だけど誰よりも優しかった。紀生の悪戯心のせいで、死んでしまった弟だ。
「わかった。朔の体をくれ」
紀生は意を決して顔を上げる。
視線の先の朔は、満足げに頷いた。
「よかった。犬死にしなくてすんだ」
どうしてそんな嬉しそうなのだ。死ぬのに。
彼の過ごしてきた人生を想像し、紀生は心に鈍い痛みを感じた。
「だが、ただでもらうのは僕の流儀に反する。朔、何か望みはないか」
これでも商家の娘だ、何事も手に入れるには対価を払わねば気持ち悪い。それにただほど恐ろしいものはないとも良く言うし。
「えー、そういうの面倒だからいいよ」
「欲しいもの、食べたいもの、着たいもの、したいこと、行きたいところ、会いたいもの、見たいもの、本当になんでもいい。こんなことで礼になるとは思わないが、お願いだ。僕に望みを叶えさせてくれ」
いろいろ難しい立場ではあるが、ある程度自由に動かせるお金はある。どんなに金が掛かる望みでも、なんとか調達して叶えることが出来るはずだ。
「詰め寄られても、望みなんて思いつかないって」
「よく考えろ。何か一つくらいあるだろう」
朔は困ったように眉を寄せ、長考したのちに、やっと口を開いた。
「じゃあ…………芍薬」
「芍薬?」
生薬が欲しいのだろうか。死ぬ死ぬと言っているのに?
もしくは芍薬という植物そのものをさしているのか?
それとも紀生の知らぬ何かの隠語とか?
”立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花” ということわざもあるくらいだ。
「芍薬の花が咲いているのをもう一度見たい」
花が咲くというくらいだから、植物の芍薬で合っているらしい。
芍薬は牡丹に似た華やかな花が咲くから、好む人は多いけれど。
「そんなことでいいのか?」
紀生の頭の中は金勘定で埋まっていただけに、肩すかしを食らった気がした。
「ひねり出した望みにけち付けないでよ」
「ご、ごめん。ええと、芍薬の花は確か五月の終わり頃だったか。まだ二ヶ月くらい先だな。他にはないのか」
「これ以上は何も出ません。考えるの疲れるからもう勘弁して」
朔が面倒くさそうに手を振ってくる。どうやらこれ以上粘っても新しい望みは出てこないようだ。ならば、紀生のやることは決まりだ。
「分かった。なら、芍薬の花が咲くまで、僕が最高に居心地の良い暮らしを約束するぞ!」
「おー、すごーい」
朔の返事が棒読みなのが気にくわないが、まあいい。まだ少し迷いもあるけれど、朔の口ぶりからすると、本当にその辺で野垂れ死にしていそうである。それくらいだったら、やはり器として欲しい。
その代わり、せめて生きている間は、自分に出来ることはしてあげたいと思う。
それが、例え罪悪感を誤魔化すだけの行為だとしても。
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