イマジナリィ―仮想境界線の探索者―
白石誠司
序章
01:守るべき光、生まれし闇
「桜華さん、準備は良いですか?」
「ええ、いつでも良いわ。でも試作機のアルファテストくらいでこのカプセルに入る必要ってあるの?」
「今回は五感全部のテストになりますからね。なるべく現実の感覚を遮断できた方が良いんですよ。いろいろ不快かもしれませんが勘弁してください。」
「わかった!わかりました!製品をより良くするためだものね。我慢します。」
私はいまVRマシン、新型『スパイス』試作機のテストのため『知覚反応研究所』に来ている。 今度のスパイスは五感すべてをシミュレートするため、このカプセルに入る必要があるとのことだ。
VRカプセルの蓋が閉じられると私は完全な闇の中に閉じ込められた。
外の状況が何も見えない、音も聞こえないという状況になる。
テストとはいえやや不安になるわね。
そういえば、今夜は『EIO』でエリちゃんと修行する予定だった。
ここからログインしても良いって言われたし、クランハウスに向かわなくちゃ。
エリちゃんも……ゆーくんのパートナーになるために頑張ってるわね……。
あの、泣き虫だったけど天使みたいなゆーくんが……パートナーを持つなんてね。
完全な暗闇と静寂は、人の意識を過去へと誘うものらしい。
ゆーくん……瀬島悠斗。私の人生のほとんどは、あの子と共にあった。
私が初めてゆーくんに会ったのは、幼稚園の頃。
美悠紀叔母さまに抱かれたあの子は本当に小さくて、壊れてしまいそうな赤ん坊だった。
その後、叔父さまの海外赴任でカナダへ移住し、次に再会したのは2年後。
叔父さまが不慮の事故で帰らぬ人となった、悲しい再会だった。
日本に戻った叔母さまは、ゆーくんを育てるために復職したけれど、ファッションデザイナーという仕事は時間が不規則だった。
当時3歳だったゆーくんは喘息持ちで病弱だったこともあり、叔母さまとゆーくんは私たち瀬島家に戻り、一緒に暮らすことになった。
私は当時8歳。
叔母さまが留守がちな時、母と一緒にゆーくんの面倒を見るのは、自然と私の役目になっていった。
お世話をしているうちに使命感なのか、あるいはもっと別の強い感情なのか……気づけば「この子は私が守らなければならない」という意識が、私の根幹に深く刻まれていた。
幸い、ゆーくんも私によく懐いてくれた。
病弱ではあったけれど、良く笑う天使みたいな子。どこへ行くのも一緒だったから、周りからは本当の姉弟のように見られていた。
私が小学校6年生の時、ゆーくんも同じ小学校に入学した。
あの子の可愛らしさは尋常ではなかったわ。毎日手をつないで登校できることが、私の何よりの喜びだった。
けれど、その幸せは長くは続かなかった。
ある時からゆーくんの顔から笑顔が消え、私が手をつなごうとすると避けるようになってしまったのだ。
最初は姉離れかと絶望しかけたが、真相は違った。
私と仲が良いことをクラスメートにからかわれ、それがエスカレートし、病気で体力のなかったゆーくんは、数名から一方的な暴力を受けていたのだ。
――絶対に許さない。
私は即座に行動に移した。下級生のネットワークを駆使して首謀者を特定し、お年玉で高感度のボイスレコーダーを購入してゆーくんのランドセルに忍ばせた。
あの子の身体にできた痣も写真に撮り、病院で診断書も手に入れた。
証拠が揃ったところで、私は『お友達』の6年生男子に協力を仰ぎ、首謀者の男子3人を体育館に誘導してもらった。
もちろん、私の『お友達』には「絶対に手を出すな」と厳命してある。暴力の連鎖など、ゆーくんが望むはずもないから。
「げっ!ゆーとのねーちゃん!?」
逃げ出そうとする彼らの退路は、私の『お友達』が塞いでいる。
「なんだよー!なんのようだってんだよ!」
粋がる彼らに私が集めた証拠のすべて――写真、音声データ、壊された物品――を床にぶちまけた。
「ゆーくんをいじめてたよね?これが、証拠の数々だよ?」
彼らの顔が青くなる。
「さあ、お話ししましょうか……?」
気づいた先生が止めに来るまで、約二時間。 お話だけだったのに彼らはワンワン泣いていたわ。
その後、乗り込んできたモンスターペアレントにも私は一歩も引かなかった。
証拠を突きつけて『父は弁護士ですが』と微笑みかけ、『これ以上、悠斗に一切かまうな、近づくな』という条件を呑ませた。
『ユートをいじめると鬼ねーちゃんがやってくる』
不本意なあだ名はついたけれど、私自身が抑止力となり、ゆーくんを守れたのなら、それで良かった。
時は過ぎ、私は高校生になった。
ゆーくんは小学5年生。まだまだ幼さが残っていて可愛かったけれど、さすがにもうハグはさせてくれなくなっていたわね……。
私の通った高校から共学だったけれど、正直男子には全く興味がなかった。
ゆーくんのお世話で心が満たされていたから。休み時間に屋上でスマートフォンのゆーくんの写真を眺めるのが至福の時だった。
そんなある日、唐突に声をかけられた。
「お前か?w 子育てしてるJKってw」
声の主は制服のネクタイの色が違う上級生。
一度見たら目が離せなくなるような、不思議な存在感を持つ人だった。
私に唯一ズケズケ言ってくる、少し変わった人だった。
彼は群れるのを嫌い、よく一人でいたけれど、なぜか私には興味を持ったらしく、屋上で一人でいるといつも軽口を叩きに来た。
「瀬島さ、弟のことばっか考えてないでさ、今この瞬間を楽しんだら?w」
「いーんです!私にはゆーくんだけいればいーんです!」
そんなやり取りを繰り返すうち、私たちが付き合っているという噂まで流れたけれど、私にはピンと来なかった。ただ、嫌いじゃない、というだけ。
いいえ、本当は……彼との軽口の叩きあいを、少し楽しんでいる自分もいたのは確かよ。
彼が卒業する日。
私はいつもの屋上へ向かった。
「よう」 いつもと同じように彼はいた。
私が連絡先を尋ねると、彼は来月に日本を発つと告げた。
ライフワークのようなものがある、と。
「お前に本当に困ったことが起きたら、助けに行くよ」
「せ、先輩は、連絡とれないかもって言ってたじゃない!」
「行くよ。本当に困ったときは絶対に」
そう言って私の頭をポンポンと撫でて、彼は去っていった。 それきり、本当に連絡が取れなくなるなんて……。
先輩をどう思っていたかって?言いたくもないです。
……そして、運命の日が来た。ゆーくんが高3の時。 あの子がVR体験中の事故で、夢の中から覚めなくなったのだ。
私の人生で、一番心が揺さぶられた瞬間だった。
叔母さまの悲鳴を聞いた瞬間、「私がしっかりしなきゃ」とパニックだった頭が逆に冷静になった。
絶望的な状況の中、現れた一筋の光。
それが、ゆーくんの相棒だったエリオットくん……いいえ、エリちゃん。 『エリス・ハートフィールド』。
16歳にして脳科学の権威・マクミラン教授の一番弟子だという、お人形のように可愛らしい、でも芯の強い女の子。
彼女が、自らも危険に晒される「夢へのダイブ」を行って、ゆーくんを中から覚醒させると言う。 モニターをしているマクミラン教授によれば、二人の思考は『EIO』というキーワードを繰り返している、と。
私は確信した。エターナルイマジンオンラインしかない、と。 私は居ても立ってもいられず、日本で唯一、旧式の《ドリームキャッチャー》を持つという大学の…そう『篠上教授』に頭を下げ、なんとかそれを借り受けた。
私もダイブすることを決めたのだ。 ゆーくんを助けるため。そして、エリちゃんを一人にさせないために。
マクミラン教授に無理を言ってシステムのルールを破る特別な力をもらい、ゆーくんの悪夢の世界へ飛び込んだ。
そこでは、機械仕掛けのサイクロプスに、学生服のゆーくんと治癒術士の力しか使えないエリちゃんが苦戦していた。
「間に合いましたね、私の騎士(ナイト)さま♪」
私はゆーくんに神聖騎士のデータを転送し、3人で悪夢の核を打ち破った。
病院で目覚めた二人と再会した時、私ははっきりと理解した。
これが、昔、リョウ先輩が言っていた「ゆーくんの巣立ち」なのだと。
自分の危険を顧みず、ただひたすらゆーくんを助けようとしたエリちゃんの姿。
そして何よりエリちゃんが、本当に一途にゆーくんのことが好きなんだという気持ちが、痛いほど伝わってきたから。
ああ、この二人は、きっといつか結婚までいくのだろうな、と。
だから、私は「おねえちゃん、って呼んでいいのよ?」と、柄にもないことを言ってみた。エリちゃんは可愛いし、妹が欲しかったのも本当の気持ち。
……でも。どこか、胸の奥が少しだけチクッとして、さびしい、と感じてしまったのも、正直な気持ちだった。
『その時、お前はどうするの?』
リョウ先輩の声が蘇る。この、ぽっかり空いたような気持ちを……どうしたら良いのだろう?
……それが二年前のこと。
今、私の隣にはゆーくんがいない。ゆーくんの隣にはエリちゃんがいる。
私が守ってきたゆーくん。私だけのゆーくん。
(あの子は、私がいないとダメになってしまう…)
(私が守らなければ)
(エリちゃんが、邪魔……)
――ピリッ……!
(え…?)
再び、思考が焼けるような、鋭い感覚に襲われる。
さっきのはテストじゃなかったの?なにかが……おかしい。
『警告:外部より高レベルの精神干渉を探知』
カプセルのシステム音声ではない。頭の中に直接響く、冷たい声。
(な、に…これ…? 思考が…読み取られ…?)
やめて。私の心に入ってこないで。
『――エリチャンガ、ジャマ――』
違う! 私は、そんなこと、心の底では…!
『――ユークンハ、ワタシノモノ――』
あ…ああ…! 私の心の奥底にあった、黒い澱のような感情が…!
無理やり引きずり出されて、増幅されていく…! ダメ…意識が…
「いや…やめて…ゆーく……」
――私の意識は、そこで完全に途絶えた。
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