第3話:『神童と呼ばれた少年(ただし、全員神童です)』

シンは、期待と、失敗するかもしれないという恐怖が入り混じった、複雑な気持ちで魔導書を開いた。


魔導書の最初のページに書かれた初級魔法の項目をなぞる。 そこに書かれていたのは、たった一言。


《火球(ファイアボール)》


「……火球(ファイアボール)?」


呟いた瞬間、彼の掌の上に、ぽん、と小さな火の玉が現れた。 テレビゲームで見たことがあるような、温かなオレンジ色の光。


痛みも、熱さも感じない。ただ、そこにある。


シンは驚きと感動が入り乱れながら、自分の手の中の奇跡を見つめていた。


「……ひ、火が出た!」


隣で見ていたアルパスが、なぜか額に汗を流しながら頷く。


「ほ、ほぅ。……で、では、そこの的に向かって、放ってみるがよい」


森の開けた先に置かれた、古びた木の的を指さす。


「は、放つって、この手元に浮かんだ火の塊をどう飛ばすのですか?」


「魔術の根源はイメージじゃ。詠唱と共に、火の玉が放たれるイメージを浮かべるのだ」


シンは、恐る恐る、掌を的に向けた。


呼吸を整えて呪文を唱える準備をする。 (……できる。できる。自分ならできる。アルパスの期待に応えたい。できる、できる。できなきゃいけない。じゃなきゃ……また、あの頃に……)


「火球(ファイアボール)!」


高い声色とは反対に、脳裏をよぎる過去の雑音に、イメージがかき消される。


掌の上の火の玉は、数十センチ飛んだだけで、地面に落ちてジュッと小さな音を立てた。


シンは、目を見開き、絶望する。アルパスの顔が見られない。落胆しているだろうか。呆れているだろうか。それとも、あの母親のように、怒っているだろうか。


何も言葉を発しないアルパスに恐れながら目を向けると、彼は、信じられないものを見るかのように、目を大きく見開いていた。


「……よ、よもや……。たった一度の試みで、火球を『放出』させることに成功するとは! やはりこの子は、神より遣わされし神童じゃあ!」



【コントロールルーム】


「……あら。失敗しましたね。この世界では、魔術は誰でもイメージ通りに放てます。それなのに失敗してしまうとは」


モニターに映る結果を見て、セラフィムが乾いた声で言った。 神楽は、彼女の言葉に笑って返す。


「失敗? はて、僕の目には、とんでもない成功に見えるがね?」


「……何を言ってるの?」


訝しむ彼女に、神楽はモニターを指さす。そこには、絶望の淵にいるシンの姿。


「見ろ、監査官。彼は今、前世で数えきれないほど味わった『失敗の味』を、思い出している。……だが、この後、彼が『失敗だ』と思い込んだものが、尊敬する師から『千年に一度の才能の証だ』と告げられたら、彼の価値観は、どうなると思う?」


モニターの中で、アルパス役の天使が、完璧なタイミングで驚愕の演技をしていた。


「何事にも段階というものが存在する。クライアントにとって今大事なのは、成功ではない。彼の『失敗』の定義を、根こそぎ破壊することだ」



【森の賢者の家】


神童。 その言葉が、シンの魂に深く、深く突き刺さった。


あれが? あの無様な結果が? 成功? それどころか、神童の証?


じわり、と目の奥が熱くなり、やがて涙が頬を伝った。 失敗しても、怒られない。 それどころか、褒められる。生まれて初めての経験だった。


彼は夢中で、魔導書を読み進めた。


水魔術に失敗して、湖の表層を少しばかり凍らせれば「湖を凍らせるとは!」。


風の刃を制御できずに、明後日の方向に飛ばしてしまえば「その歳で広範囲攻撃の才能が!?」。


彼の「失敗」は、ことごとくアルバスによって「規格外の才能の証」へと変換されていった。


【コントロールルーム】


「……茶番にもほどがあるでしょう」


セラフィムは呆れながら、紅茶の入ったカップをスプーンで叩いていた。


「要するに、クライアントの失敗を、すべて拡大解釈で褒めちぎると。そのような手法で、彼の魂が救えると、本気で思ってるのですか?」


「もちろん、これだけではただの甘やかしだ」


神楽は通信機を手に取り、アルパスに指示を出す。


「アルパス、聞こえるか。クライアントの適性は素晴らしい。だが、基礎こそが大事だ。しばらくは、その魔導書の基本魔法だけを反復させろ。中級魔法は教えるな、理由はわかるよな」


通信を切ると、神楽はセラフィムに向けて笑みを見せた。 セラフィムは、嫌悪感を露わにして問いかける。


「中級魔法を教えるなというのは、それだけ成功をイメージできる力がないのですね」


「何を言っている。予算上の都合に決まっているだろうが。中級になると破壊の規模が大きくなる。……よもや君はこれ以上、天使たちにサービス残業を強いるのかね」


「……なるほど、常日頃からサービス残業を敷いているのですね。あなたの解任へと繋がる書類が増えてうれしい限りです」


セラフィムが冷たい笑みを浮かべてメモを取っていると、モニターの中では、アルパスから「お主ほどの才能なら、そろそろ魔法学園で学ぶ時期かもしれんな」と告げられ、希望に満ちた表情で目を輝かせるシンの姿があった。 自信に満ちた、しかしどこか危うい、作られた神童の誕生だった。


セラフィムは会話を打ち切り、手元のデータパッドに送られてきた『アルカディア魔法学園(仮設)』の設計図に目を通す。


張りぼての作りであり、中央入口の聖堂しか作り直されていない。 式典はできても、それ以外に何もできない状況に、深いため息が漏れた。


「……教室の一室も直されていないのですか」


だが、その添付ファイルの末尾に、奇妙な予算要求書があることに気づく。


『第5657回、最終聖戦ラグナロク。残存資産の転用申請:祝賀用花火一式』


その、あまりにも規模の大きい「花火」の項目を見た瞬間、セラフィムの背筋に冷たいものが走った。


(……とんでもなく、嫌な予感がします)

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