10体目
御餅田あんこ
第1話
私は、人生で九度恋をして、世界でいちばん美しい人を九人得た。
複数でありながらいちばんとは矛盾をしているようにも聞こえるかもしれないが、いちばんというのはなかなか長続きしない。
かつて彼あるいは彼女がやはり世界でいちばん美しかったことは疑う余地もないことであるし、私は今でもそれぞれがいちばんだった輝かしい日をしかと記憶している。
美しさとは花のようなものだ。千変万化、芽吹き、つぼみを膨らませ、やがて花開き、散っていく。ある花はつぼみの姿が最も華やかで、ある花はしおれる寸前が一際輝いて見える。けれどもその最も美しいままとどめておくことはできない。
同じように、人の美しさも一つの尺度で測ることは難しく、また、同じ人が昨日と違う美しさを得ることもあれば、逆に失うこともある。誰にでもそれぞれいちばん輝くときがあり、私がこれまでの九人と出会ったときも、それこそが彼あるいは彼女の輝かしい日々であった。そして、皆がそれぞれ違う色をした一等星だった。
移り変わるがゆえに、彼あるいは彼女の美しさは有限だった。花の命が短いように、彼あるいは彼女がどれほどの美しさの極致に至ろうと、燃え尽きるまでの時間はあまりにも短い。開きすぎた花はやがて見るも無惨な散り様をさらし、世界でいちばん美しかったその名誉を失う。
私は、彼あるいは彼女の名誉のために、彼あるいは彼女の美しさを不変のものにして、この世界につなぎ止めることにした。
*
真っ暗なまちに通り一本だけの狭い歓楽街があって、車の走行音が間遠になる頃にはその一帯だけがぼうっと光っていた。車一台通れない狭い道路に、店の電飾看板とエアコンの室外機がはみ出して、それから、持ち主がいるのかいないのか鍵のついていないさびた自転車がいつも同じ場所に駐めてある。
老夫婦がやっているレトロな雰囲気のスナックに、赤提灯の焼き鳥屋、地酒のうまい寿司屋、入れ替わりの激しい角地には今は焼き肉屋が営業している。あとはタクシー会社の営業所があって、狭い空を見上げれば新幹線の高架を挟んでホテルの看板が見えた。寿司屋の軒先の捕虫灯には、もう十一月になろうというのに蛾が飽きもせずぶつかっていて、ばちばちと音を立てていた。
今日日、こんな田舎の飲食店でも、店内で灰皿を出してもらえないことが多い。電柱脇に置かれた一帯の共用灰皿の横に立って、今日はどの店にしようかと品定めしながら、煙草に火をつけた。
店の通風口から漏れてくる匂いを嗅ぎながら考えていると、人影が一つ入ってくるのが見えた。ほとんど街灯がなく遠目で顔は分からないが、男にしては小さいから女性だろうと思っていると、やがて店から漏れる明かりの中に現れたのは、十四、五の制服姿の少女だった。
「あの、泊まるところがないんです」
おずおずと歩み寄って何を言うかと思えば――。
しかし、その子は、暗がりに目をこらして私の顔を見て、恥ずかしそうに目を伏せて、一歩引いた。
「ごめんなさい、その」
男だと思ったのだろう。私は女性としてはやや背が高く、厚ぼったいセーターの上に男物のブルゾンを着ていた。体格では判別しづらい。
慌てて踵を返した少女を慌てて呼び止めたのは、正義感でも好奇心でもなく、一つの使命感だった。暗がりの中ではお互いの顔立ちも体格も判然としないというのに、それでも、電飾が照らした顔を見た瞬間、私の芸術家としての感性は一目で彼女に恋をした。駆け巡る血の熱さを私自身が知覚することはないだろうに、全身の血液を熱い何かが置き換えていくような感触がある。十体目はこの少女でなければならないと思った。
短くなった煙草を灰皿に押しつけて消した。
「泊まるところがないんでしょ。家出でもしたの?」
少女は、上目がちにこちらの様子を窺いながら、ややあって頷いた。
「警察には言わないでください」
縋るようにか細い声を絞り出した。
こんな時間に制服姿の少女を連れて飲食店に入れば嫌でも目につくため、私はその子を連れてマンションにとって返した。保護者の同意なく未成年を泊めれば立派な誘拐だが、話を聞く限り彼女の親が慌てて捜索願を出すようなまっとうさを持ち合わせているようには思えなかった。
彼女は愛に飢えていた。渇望が顔によく表れていて、私にとってそれはちっとも瑕疵ではなかった。むしろ、彼女の欠落は一つの美の極致にあった。満たされないと全身で叫ぶような激情と、華奢で未熟な顔つきや肉体が醸し出す調和は、さしずめ未完の美学といえるだろう。月で喩えるなら十三夜月、子供と大人のあわいでもがく彼女はとても美しかった。
彼女は、私の部屋に入ると、アトリエにしている一室の廊下から中を興味深そうに眺めていた。部屋の左右の壁際には合計九体の石膏像が並んでいる。そのほとんどは日本人で、私以外にとっては街角ですれ違っても気にも留めないごく普通の人なのだろう。どれも私にとってはいちばんの恋人たちだった。ほかにも、彫刻に使う芯棒を人型に組んだものや、イーゼルにデッサンも置いたままになっている。
リビングでテイクアウトしたハンバーガーを広げながら、一晩だけ泊めるが朝には家に帰るように、と、さながら理解ある大人の顔で説得をしながら、私は彼女が私のアトリエに興味を持っているのをいいことに、何かあれば相談に乗る、よければ絵のモデルになってほしい、と誘導した。
彼女は、都合のいいように私に好意を抱き、私が誘えば何度でもマンションを訪ねてきた。彫刻家の家に泊まると伝えてきたから大丈夫だと、どこまで信じていいのか分からない彼女の言を信じて、彼女が望むたびに家に泊めた。
私は彼女を“認めて”やり、彼女が私を求めるように、満ち足りてしまわないように、私は彼女の心の隙間に入り込んだ。彼女が私にすっかり依存し始めた頃、私は彼女を作り始めた。土色の粘土で徐々に形作られていく自身の姿を、彼女もどこか恥ずかしそうに眺めていた。
あるとき顔の表情をつくるのに粘土を盛ったり削ったりしていると、それまで口を出さなかった彼女が、二重にしてほしいと言ってきた。私の作品に口をだしていいものかためらいがなら、密かな、しかし強いコンプレックスだったのだろう、彼女は強迫観念に取り憑かれたように何度も同じ話を持ち出した。その様子には痛ましさすら感じた。
彼女は一重で、ただ何の気なしに立っているだけで憂鬱そうなその眼差しがよい。二重にするとまるで印象が違う。もしも彼女が二重だったら、私は彼女を十体目にしようとは思わなかっただろう。
私は言葉を尽くして、彼女にありのままの美しさを伝えた。以降彼女は目のことは言わなくなり、一層私に心酔した。
像が完成していくにつれて、私には彼女がどんどん満ち足りていくように見えた。表情が柔らかく、明るくなった。おそらく私が彼女を満たしてしまったがゆえに、彼女は自分の欠落に対する激しい渇望を失っていた。
彼女の陰鬱たる魂は像の中に封じ込められ、一方で彼女自身は同じ人間とは思えないほど明るくなった。私の望む未完の美学は彼女自身ではなく像にのみ宿り、私は彼女が溌剌としていくにつれ、像にばかり没頭していった。
やがて、長い時間と労力の末に像は完成した。
最後に彼女にも見せてやろうと思って呼び出すと、彼女は私の目に映っていた自分自身の不完全さをまじまじと見て、少しだけ無理をして笑ったように見えた。
「君は出会ったころよりずっと明るくなった。君にはもう私なんて必要ないだろう。君はどこでだって生きていける、もうここへ来ないほうがいい」
彼女に私が必要ではないように、私にも彼女はもう必要ない。私の言葉がどんなふうに彼女に刺さったのか、それはもう私の興味を惹くところではなかった。
彼女は寂しそうに笑って、合鍵を忘れたから後日もう一度来ると言った。私の部屋のそこかしこに彼女の荷物があったので、私のほうでもそれをまとめてやったほうがいいだろうと思って、それがいいと返事をした。
私は大きめのトートバッグの中に彼女が部屋に残した衣類や雑貨を詰めて玄関先に置き、私が留守のときは合鍵は郵便受けに入れておいてほしいとメモを残した。
三日後、私が彫刻教室の講師の仕事から戻ると、ロビーの郵便受けに合鍵が入っていた。彼女が荷物を取りに来たのだ。
感慨深いような心持ちで部屋に入ると、微かに、錯覚かもしれないと思う程度だが、独特の匂いがした。胸騒ぎに近いものを強く感じて、アトリエに急いだ。そこで私が見たものは、砕かれた九体の石膏像と、胸のひしゃげた彼女の塑像だった。芯材に使う余った角材を胸にねじ込まれた彼女の像は、私が造った形より若干のけぞって見えた。
それは、どこか蝶の蛹に似ていた。
10体目 御餅田あんこ @ankoooomochida
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