ミーヤが帰って来た

秋色

Missing

 夜中にガタガタという物音がし、その後に耳元で「みゃー」という子猫の声が聞こえた。窓の外に雪の気配を感じる。そうか。天気予報で今夜は雪が降るって言ってたっけ。

 ミーヤは寒くて寄ってきたのかな。それともお腹が空いてるのかな?

 そう思って見回すけど猫の姿はない。ミーヤは学校の帰りに拾ってきた子猫。姿は見えないけど、いつものようにミルクの用意をする。ミルクにミーヤの好きなハチミツをたっぷり入れたもの。あ、いつものミーヤ専用のお茶碗がない。まぁいいや、と花柄のスープカップにミルクを入れた。



 その時、玄関のドアの方から再びガタガタという音が聞こえてきた。

 ハッとしてミルクの入ったスープカップを手にしたまま、そちらの方へ行ってみると、アパートの玄関ドアの鍵が開けられ、チェーンキーだけが掛けられた状態で、その隙間から誰かの頑丈そうな腕が見えた。そしてその腕の持ち主は、ドアに掛けられたチェーンをヤスリのような道具で削ろうとしていた。

 え!? 何?  ここはどこだっけ? そうだ、ここに今夜は私一人なんだ。

 そう思い当たると恐怖で身体が震えた。

 手にしているコップを見る。


 ミ、ミーヤ。オマエはどこ? 助けて。


 そう心の中で叫びながらスープカップを中身ごとドアの隙間に向かって思い切り投げつけた。



 ***



 ここはカレシと二人で暮らすアパートの部屋。そして私は駆けつけた警察官にしどろもどろに状況を説明する。


「それでお二人の関係は? ご夫婦ですか? 名字は違いますね」


「その……。夫婦ではありません。付き合っています」


 警察官はこちらをジロジロ見つめた。

「同棲という事で良いですか?」


「……はい」


 悪い事をしているわけでないのに、なぜか咎められている気がした。同棲という言葉に漂う意味深な感じがそうさせるのか。


「昨夜は貴方お一人だったんですか?」


「ええ。カレシは工場で夜勤の日だったんです。それで犯人は? 捕まったんですか?」


「無事に捕まり、拘留中です。強盗の常習犯でしたよ。昨夜、貴方が独りという情報をどこかで知り得ていたのかもしれません。それにしても……」と間を置き、考え深げに言う。「ハチミツ入りミルクをドアの隙間からかけたのは良い判断でしたね」と警察官。「ハチミツの成分でヤスリが全く使えなくなったのと同時に、陶器のカップが割れた時の破片で犯人は手に傷を負いました。その血液の痕跡で逮捕に至ったのですからお手柄です。とっさに考えた事なんですか?」

 

「いいえ。寝ぼけていたんです。寝ぼけて、子どもの頃飼っていた子猫にとハチミツ入りミルクを用意してて……。そうしたらドアがガタガタ鳴って、見たら誰かがチェーンを切ろうとしてたんです」


「幸運でしたね。

 これまで被害に遭ったお宅では犯人に見つかり、暴力を受けた被害者もいたんですよ」


 その言葉に、私は胸をなでおろすと同時に、改めて昨夜の恐怖に身がすくんだ。



 ***



「そんなわけで大変だったの。リョウ君が帰ってからまた警察の人が来るって言ってたよ」


「そんな大変な事が起こってたなんてな。こういう安い集合住宅に住むのも考えもんだな。にしてもミーヤって咲がよく話してた、子どもの頃飼ってたネコだろ? 本当にその猫の声が聞こえたの? テレビやスマホから聞こえたとかでなく」


「テレビでもスマホでもなかったよ」


「じゃあ近所の猫か、幻聴だろうな」


「もう! 人をお年寄りみたいに言わないで。本当にあの声はミーヤだったんだから」



 ***



 ミーヤは八才の五月に、学校の帰りに見つけた子猫。段ボールの箱に入れられ、「すてねこ。ひろってください」と子どもの字で書かれてあった。

 両手に納まりそうな小さな猫。家につれて帰ると、相談もなしに連れて帰ってと両親に叱られた。それでも両親もお兄ちゃんも赤ちゃん猫の世話についていろいろ調べてくれて、ミーヤと名付けたその猫の味方になってくれた。

 それからは家に帰ると、真っ先にミーヤを探して遊ぶ毎日で、それまでと比べ物にならないくらい幸せだった。学校の先生からも、「最近咲ちゃんはよく笑うようになったね」と言われた。


 ミーヤはミルクが好きで、それもハチミツのたっぷりはいったミルクか好きだった。ミーヤ専用のお茶碗にそれを用意するのは、私の仕事。いつも心を込めて用意した。

 やがて夏が終わり秋が来て、私は冬になるのが待ち遠しくて仕方なかった。雪が降ったら、雪の積もった庭でミーヤと遊べるから。

 それなのにそれを待たずに秋の初めにミーヤがいなくなるなんて思わなかった。

 ミーヤは半分家の中で過ごし、残りの半分を近所の道をブラブラして過ごしていた。だから初めはいなくなっても気付かず、どこか近所を彷徨っているんだとばかり思っていた。よく姿を消しては、ふっと庭の隅に現れて「みゃー」と甘えてくる気紛れな猫だったから。

 でも今回ばかりは何日経っても帰って来ない。縁側の前の障子を閉めていると、向こうに何か小さな影が映って見える事があって、その度「みーやが帰ってきた!」と喜んだ。でも障子を開けてみると、庭に飛んで来た小鳥だったり、干してある洗濯物が風で揺れているだけだったり。そんなぬか喜びを何度も繰り返した。

 たまに朝起きて、ミーヤがいなくなった事が記憶の中から消え去っている事があった。目が覚めて真っ先にミーヤと遊ぼうと飛び起きたりもした。

 二度と帰って来ないものを待つ心の傷。生まれて初めての喪失の経験だった。


 以来、いくつかそういう出来事はあって、その度に八才の秋を思い出した。

 仲良しの子が引っ越していったり、好きだったポーチを家族旅行の時に失くしたり、初めてできたボーイフレンドが他のクラスの女の子に心変わりしたり。



 ***



「あの時寝ぼけてたのかもしれないけど、ほんとに声が聞こえたからミーヤがいるって勘違いしたの。そうでなかったら、ミルクを用意したりしなかったよ。信じてもらえないんなら仕方ないけど」


「とりあえずこの際、セキュリティのしっかりしたマンションにでも引っ越そうか。または郊外の戸建てなら安い家、見つけられるかもな」


「戸建て?」


「小さな庭付きの。そこで将来子ども遊ばせられるしな」


「それってもしかしてプロポーズ?」


「ま、そうかも。だって警察の事情聴取でも困ったんだろ? 関係を訊かれてさ。そういう時のためにも」


「そういう時のためって、もう二度とそういう経験したくないから」


「そういう経験はもうさせない。セキュリティが完全な所に引っ越すから。そして猫も飼おうよ」


「あのね、リョウ君、新しい猫を飼っても、あの時のミーヤと同じじゃないんだよ」

 そう、リョウ君はいつも楽観的に物事を考え過ぎる。いつも能天気。

 でもその時一瞬リョウ君の顔がしんみりした真顔になった。


「分かってるよ。だから……」


「だから?」


「ありがとう」とリョウ君は言った。


「えっと、私が空き巣を防いだから?」


「いや。今のはね、ミーヤに言ったんだよ。どこかにいたらオレの声も聞こえるかなと思って」





〈Fin〉


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ミーヤが帰って来た 秋色 @autumn-hue

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