勇者四分割物語 ~伝説のおっさん、レベル1になって分裂する~

スナモミ

第1話 十二年の異世界生活

『世界を、救ってほしい』


 社会人デビューして早数年はやすうねん

 外回り中に公園のベンチで休憩する俺を見上げながら、アリンコが言った。


「んんん~~ッ」


 うなりつつ、頭を抱える。

 俺、のかな……。


『どうか、うなずいてほしい』


 ベンチをよじ登ってきたアリンコが真横から語り掛けてきた。

 俺は空を見上げながら熟考し、ため息とともに言葉を絞り出す。


「そういうのは、もっと若いヤツに――」

『きみじゃないと、駄目なんだ』


 どうしよう。バリトンボイスが口説くどいてくる。

 ときめき始めた自分の胸を殴って黙らせると、俺は固く目を閉じた。


 ……まあ、サラリーマンにも飽きてきたし、そもそも俺の妄想だし?


「いいよ」


 声を潜めて、そう伝える。


 このアリンコが『あのガキを殴れ!』とか『銀行強盗しろ!』なんてことを要求してくるならこっちも出るとこに出ゴートゥーホスピタるんだが、善行であれば従ってやらんでもない。


 そうして妄想の産物からの返答を待つ俺の視界が、ぼんやりと白んできた。


『—―ありがとう』


 その声を聞き届けることなく、意識がと虚空に落ちた。



 ***



 目覚めたとき、俺は岩でできた神殿の中央、苔むした祭壇の上に横たわっていた。

 体を起こし、五体満足であることを確認してから、足元に転がるブリーフケースを拾い上げる。


 恐る恐る神殿を出た俺の目に映ったのは、うっそうと茂る森だった。

 周囲にそびえる木々は高く太く……その幹には二十センチほどの真っ赤な甲虫が張り付いている。


「おいおい」と独り言ちながらも、人の気配を求めてさまようこと半日。


 なんとか街にたどり着き、をしゃべる『ケモミミの衛兵』や『とんがり帽子の魔女っ子』に囲まれた俺は、遅まきながら理解した。


 あの野郎アリンコ、ガチだったのかっ!!



 ***



 その後、なんの力も持たず、言葉すら喋れない『謎のおっさん』こと俺は、街はずれの教会に身を寄せることになった。


 普通なら、絶望して当然の状況だ。

 しかし俺は存外気楽に過ごせていた。

 薪割まきわりや雑草抜きといった肉体労働は、取引先とのメール対応よりもはるかに楽だし、群がってくる獣人(!)の孤児たちを毛づくろいするのも楽しくて仕方がない。


 なによりも生きる喜びにつながったのが——我ながら情けない話だが――美少女シスターとの『個人レッスン』である。

 老神父に割り当てられた教会の一室で、


「トップアイドルか?!?」


 と叫びたくなるくらいに可愛らしい金髪碧眼の少女が、紙に書いた文字を指でなぞりながら、声に出して俺に言葉を教えてくれる……。


 そりゃあもう、覚えますとも!



 ***



 現地の人々にギャグが通じたときの達成感――。

 ダンジョンに足を踏み入れた瞬間の、抑えがたい高揚――。


 その一瞬一瞬は、死んでも忘れないだろう。

 異世界で過ごす日々は、サラリーマン時代よりもはるかに充実していた。


 こんな暮らしが、ずっと続けばいい。

 本気でそう思っていた。



 のは、それから間もなくのことである。



 その日、空から襲来した三人の魔族によって、街はあっけなく滅ぼされた。


 教会の人々も、街の子供たちも、一人残らず殺された。

 俺自身も両腕を折られ、顔を焼かれ、瓦礫がれきの山に捨てられた。


 魔族が去ったあと、見慣れた人々の亡骸をかき集めながら、俺は誓った。



 あいつら魔王軍を、必ず滅ぼすと。



 ***



 それから、十二年。

 幾度となくたおれ、そのたびに立ち上がり――血涙とともに磨き抜いた俺の一撃が、魔王の首を貫いた。


 同時に、と伝わる魔剣が、俺の体をに裂いた。


「—―先生ッ!!」


 崩れ落ちる背中に、愛弟子の叫び声が届く。

 急速に白みゆく脳裏に、彼女たちの顔が浮かんできた。



 騎士団長の一人娘に、獣人のサムライ、亡国の貴族令嬢……。



 三人とも、本当にいい子だ。

 実の娘のように愛している。


 だから、どうか俺のことより、


に、とどめを……ッ」


 駆け寄ってくる足が——わずかな逡巡ののち——俺の体を飛び越えた。


 地獄のような十二年を経て、魔王の首に、最後の一撃が振り下ちた。



 ***



「……ぇ、せんせえっ!!」


「だめ、だめだよこんな――」


「待って、置いて行かないでッッ!!」


 弟子たちの声が、かろうじて俺の意識を繋いでいた。

 けれど、それも長くはもたないだろう。


 淀んでいた空気が澄んでいくのを感じながら、瞳を閉じる。

 屍と化していく体を三人の弟子に抱かれながら、俺は笑っていた。


 切り裂かれた胸に痛みはなく、達成感で満ちていた。




 そうして死を受け入れたとき、聞き覚えのあるバリトンボイスが、脳裏に響いた。


 その声は、こんなことを言った。


『—―ありがとう』


 そして、


『【コンティニュー】』


 と。

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