第2話 天使獣ケルビムと雷の暴走


 《白い扉》が開かれた。

 ふわりと風に乗って、楽しそうな騒音が鼓膜を揺らす。

 一歩進めば煤けた服が魔法のように元に戻り、上履きの音がスニーカーの音へ変わる。

 微かに母から名前を呼ばれた気がして、振り向いた。

 そこにはまさに、天国のような野原が広がっているだけだった。

 冬の心地よい潮風。

 皮膚を暖める太陽の光。

 きっと真下には海が広がっている。

 美しいが、心にしこりが残っていた。


 “今の母さん”を、傷つけるわけにはいかないだろ。


 サラから聞かれた。


「力を制御できるようになったら、なにがしたい?」


 そんなの決まってる。


「なにもしたくない」


 セイは自分の言葉に頷き、サラの後ろを追いかけた。



▼▼▼



 俺はまず、サラに聞いた。


「サラ、もしかして俺を殺したの?」


 予想外の言葉に、サラは目を丸くする。


「違うよ! ここは天国のごく普通のショッピングモールだよ!」


 扉の向こうは、世界が変わっていた。

 明るい照明。

 明るい音楽。

 豪華な城のような内装に、どこまでも続く赤の絨毯。

 開けたガラス向こうの中庭では、黄金の木が雪景色をしていた。


 隣を過ぎ去る純白の翼を指差す。


「じゃあなんで天使が居るんだよ!」


 まさか、俺はもう。

 考えただけで尻尾の鱗がぶわりと逆立つ。


「俺死んだ?!」

「生きてるよ!」


 周りの生き物を見た。

 みんな生き生きと生きていた。

 天使も、角を持つ男も、皆楽しげで皆当たり前の日々を過ごしている。


「死んでないよ。ここは“天国”って名前だけで、みんな生きてるし、みんな生活してる」


 そんなの『天国』って呼べるのか?

 首をかしげ、直後に周りを見渡す。


「んでなんか、めちゃくちゃ見られてるんだけど?」


 突き刺さる視線に顔を歪めた。

 なんでみんなサラを見てるんだ。



「サラ様だ!」

「サラ様~!」


 目線が自分にも目を向けられているように感じ、だんだんと耳まで熱が籠る。


「ごめんね目立っちゃって」


 こんだけ慕われて有名すぎるのに、じゃあ俺にした誘拐って本当になんなの?

 視界の端で、サラが前へ進みだした。

 その足取りは軽く、まるでいつもの買い物のよう。


「けれど安心してよ、ここには傷つける大人なんて居ない。居ても、俺が“処理する”からね」


 何を。

 サラは張り付けたような笑顔で言っていたが、俺は隙を逃さなかった。

 ここは“陸”だ。

 さっきは浮いてたし小さな島だったから、サラの言葉に流されてしまったけれど。


 今なら逃げられる! 外へ出るぞ!


 踵を返し、走り出す。


「セイちゃん?!」


 名前を呼ばれても無視して逃げた。


「足はっや! 逃げる決断も早いなやらかしたな……」


 ぽつりと、背後でサラが何か言っていた気がする。


「やっぱり、信じて貰おうなんて、セイちゃんには失礼か」


 走りながら、止まらない胸騒ぎに違和感が強まっていく。

 今は、サラから逃げなきゃ。アイツめちゃくちゃ強引に取引しやがって、なにが一緒に居ろだ帰るぞ俺は。


 ふと。


 どこを走っても、同じ顔の天使を見る。

 足の速度を緩める。

 服は全員違うけれど同じ顔のパターンが三つ、どこを歩いても見かける。まるで鏡の中を走っているような感覚だ。


 俺これ知ってる、最近映画で見た《クローン》だ。


 その映画では大勢の同じ顔のクローンが働いてて、クローンが反乱起こして社会が壊れる! って感じのストーリーだった。

 天国もそれかもしれない。


 誰かに見られているような感覚を覚えながら、出口のメインエントランスへ目線を向けた。


 今やるべきことは観察じゃない、逃げることだ。


 ガラスの向こうは、バス停の看板と標識。

 周囲を見渡す。

 袴の姿も騒ぐ声もない。


 よし、撒けた。


 エントランスを抜け、バスシェルターへ入り込む。

 ここはガラス張りでベンチや自販機まで揃っていた。見渡せば、ガラスに時刻表と地図が表示されている。

 未来だなぁ。

 そんなことを考えながら、行き先を確認する。


「えーっと、駅行き、か」


 丁度あと一分で次が来る。

 心臓のうるさい鼓動を聞きながら、バス停のアナウンスを聞き道路の左右を見渡した。


 なんだあれ。


 空から、大きな獣が飛んできている。


「なに、あれ……?!」


 人と鳥をかき混ぜた顔が四つ。

 黄色い獣が、人間の腕でバスを引いている。

 太陽の光を反射する黄金の毛並み。

 青い空では真っ白な翼が、より目立っていた。

 異形で神々しい巨大な獣は、速度を緩めてパカラと蹄を鳴らす。

 

「ッ……?!」


 口を開いたまま、ゆっくりと止まるバスを見た。

 無機質なアナウンスが響く。


「終点、終点です。足元お気をつけください」


 バスの扉が開くと乗客は降りていく。

 獣は、ぶるる、と体を揺らした。

 ふいに。頭が一つ振り向き、青い目を向けられた。


 全身が震えた。

 その顔は、人間と鳥が混ざっているのに、知性を感じる顔だからだ。

 アナウンスが響く。


『いつも“天使獣ケルビム”に運行をお任せいただき、ありがとうございます』


 ギャイギュイ!


「うおっ?!」


 飛ぶように振り向けばケルビムと視線が合い、透き通った目が自分の姿を反射して映している。

 もしかして、乗らないの? って言ってる?


「あの、駅に、警察っていますか?」


 あれなんで。

 なんで俺言葉で聞いた? しかも敬語で。

 すると、人間の骨格をした腕が伸び、鋭い爪先に電子画面が開く。

 画面の『メッセージボックス』に瞳孔が細くなる。


【次の駅にて天使の特殊警備員がおります。案内は駅員が行いますのでお申し付け───】


 息を、飲んだ。

 頭の中で常識が崩壊する音がした。

 この獣はただの獣じゃない、人間並みの知能がある。

 メッセージボックスの文字が変化する。


【出発します。お乗りになりますか】


「え、いや」


 腕を掴んだ。

 今日はおかしい。少しでも気持ちが乱れたら、ビリビリって、あの感覚がする。


 ──ガラス張りのバスシェルターで、緑の光が反射した。


 視界に緑の稲妻が走る。


「違うッ、俺はなんもしてない!」


 それは、自己否定の言葉。

 全身に巡る熱が波打ち、周囲に雷が如く稲妻が走る。


 ギャッギャイッ!


 ケルビムは異変に気付き、バスを引き連れ待避。

 偶然居合わせた天使達は翼を開き安全圏を確保。

 天使の特殊警備員が警報を鳴らす。

 セイの周囲を取り囲むように、白い制服を着た天使が集う。


『魔力急上昇を確認、対象:悪魔』


 ──脳裏で混ざり合う、学校の警報音。


 セイの中で記憶の欠片が顔を覗かせる。


 ──バリバリバリッ!!


 悪魔の稲妻が狼のように口を開き、周囲に本能的な恐怖を目覚めさせる。


「悪魔!」

「子供か厄介だな」


 セイの稲妻は命すら狙い、警備天使が結界を展開。

 バチン! と音をたてて弾かれた。


 これが、攻撃開始の合図となる。


 天使は一斉に手を翳し、白く輝く武器を手にした。

 白い剣。

 白い槍。

 そして、白い拳銃。

 その光景にセイは怯み、辺り一面警備天使の視界に胸の奥で“本能的な何か”が弾けた。


 ──雷鳴が、“遠吠え”と共に轟く。


 バキバキと音を鳴らして姿が変わり、膨らむ体は黒い毛皮に包まれていく。

 凛々しい牛の黒角。黒鱗の尻尾。開くのは、鋭い緑の目。


 ──その姿は、巨大な狼の悪魔。




次回11月3日21時33分

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