魔女狩り ――見えないものを恐れた町で――

彼辞(ひじ)

魔女狩り -見えないものを恐れた町で-

幼いころ、私はアメリカ・マサチューセッツ州の小さな港町セイラムを歩いたことがある。

十月の風は海の方から湿り気を帯びて吹き、通りにはジャック・オー・ランタンと黒い帽子をかぶった人形たちが並んでいた。

ハロウィンの賑わいの中に、私はどこか沈んだ気配を感じていた。

それは、蝋人形館の中で形を取った。

薄暗い照明の下、処刑台の女が蝋で作られ、まるで眠るような顔で吊られていた。


1692年、この町では二百人近くが“魔女”として告発され、十九人が絞首刑に処された。

発端は、数人の少女が突如「呪われた」と叫び、奇妙な痙攣を起こしたことだった。

その言葉が火種となり、村の内部に潜んでいた恐怖と疑念が一斉に燃え広がった。

神を信じることが、悪魔の存在をも信じることと同義だった時代。

彼女たちの指さす先に、共同体は“見えない敵”を見出したのだ。


牧師コットン・マザーは『Wonders of the Invisible World』に、これを“新世界における悪魔の試練”と記した。

だが史家ボイヤーとニッセンバウムが『Salem Possessed』で指摘するように、それは信仰だけでなく、土地や権力、階層の不均衡が絡み合った「社会の歪み」の発露でもあった。

魔女狩りとは、見えない不安を“可視化する儀式”だったのだ。

理解できぬもの、説明できぬ現象を、人は物語によって封じようとする。

恐怖は姿を求め、そして“魔女”という名を与えられた。


蝋人形館を出ると、港から冷たい潮風が吹いた。

屋台で焼かれたトウモロコシの甘い匂いが漂い、観光客たちは笑いながら写真を撮っていた。

だが石の記念碑の上には、犠牲者たちの名が整然と刻まれていた。

花束が置かれ、どこかで風鈴のような金属音が鳴った。

私はその名をひとつずつ指でなぞりながら、かすかな声を聞いた気がした。

――私は魔女ではない、と。


その声は、遠い過去のものではなかった。

人は今も、異なる声を恐れ、見えぬ意志を“敵”と呼ぶ。

SNSの群衆、政治の言葉、職場や教室の沈黙。

どんな時代にも、見えないものを追い出すことで均衡を保とうとする力が働く。

魔女狩りは終わってなどいない。

それは社会が持つ“無意識の儀式”として、形を変えながら続いている。


信じることは、人間にとって祝福であり、同時に暴力でもある。

セイラムの人々は、信仰の純粋さゆえに、最も残酷な行為を選んだ。

彼らは悪魔と戦っていたのではない。

自分たちの内にある恐怖と、言葉にできぬ不安と戦っていたのだ。

信じることが、疑うことよりも容易だった――それが悲劇の理由だった。


現代のセイラムは、ハロウィンの聖地として明るい。

だがその明るさは、過去を覆い隠すものではなく、むしろ「かつて恐れられたものを祝福する灯り」でもある。

魔女はもはや呪われた者ではなく、創造と自由の象徴になった。

恐怖の対象が、希望の比喩へと転じるとき、人間はようやく「見えないもの」と和解し始めるのだ。


あの日、蝋人形の前で私は息を呑んだまま動けなかった。

吊られた女の瞳は、どこか安らかに見えた。

まるで彼女の方が、私を見透かしているようだった。

――おまえの中にも、私がいる。

そう語りかけられた気がした。


セイラムの空は透明だった。

けれど、その透明さの中にこそ、いちばん濃い影が潜んでいた。

それは、見えないものを恐れる心そのもの。

人間という種が、まだ手放せずにいる古い呪いである。

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