空色の予感 3

「なにかに夢中になれるのって、それだけで幸せな気がする」と、わたしは言った。「恋愛でも部活でも、ひたむきに追い求められるものがあるってステキだと思う」

 命が輝いている気がするから。

 なにかに夢中になると、命が輝きを増すような気がするから。

 くす、と唯香が笑う。

「葵、詩人みたいなこと言うんだね」

 唯香の表情に少しだけ、いつもの明るさが戻る。彼女の微笑みに釣られて、わたしもニコリと控えめに笑う。

「ちょっとポエムっぽかった?」

「うん、ちょっとだけね」

 唯香が続ける。

「でも、葵の言うとおりだと思う。夢中になれるものがあるって、すごく恵まれてるのかもね」

「ね、わたしもそう思う」

 顔を見合わせて、微笑み合う私たち。

 風が吹く。

 風が吹いて、唯香の後ろ髪をさらう。彼女の長い髪がさざ波のように揺れる。寄せては返す波のように、彼女の髪が風に吹かれてユラユラと揺れる。

 教室のなかに吹き込む風が、白のレースカーテンを揺らす。からからと鳴るカーテンレールの音が、教室内に広がる朝の静けさに溶けていく。

 ふいに、唯香の顔が暗くなる。

 明るさを取り戻した顔から一転、ふたたび彼女の表情に陰がさす。快晴の空が雨模様に移り変わるように、ゆっくりと彼女の表情がかげっていく。

「あ、あのさ、葵……」

 唯香の言葉に、わたしが返す。

「うん?」

「昨日の今日で、ごめんなんだけど……」と唯香が言った。「もし、葵に好きな人ができたら、アタシ応援したいって思ってるから……その気持ちは、ホントだから……」

 好きな人。


 わたしの、好きな人。


「だから、昨日ので気を悪くしないで欲しくて……」と唯香が続ける。「アタシは、もちろん麻衣もだけど……葵のことも、大切な友だちだって思ってるから……」

 さきほどと同じように俯く唯香。

 尻すぼみになっていく彼女の言葉。

 気まずそうな顔。きまりが悪そうな表情。おねしょを隠そうとする小さい子さながらに、顔を下に向けてアチコチに目を泳がせる唯香。

 教室のなかへと視線を移すわたし。

 わたしの席。その隣にあるのは、麻衣の席。

 普段、麻衣が座っているイスに目を向ける。黒板に向かい、授業を受ける彼女の姿を幻視する。いつもの彼女の姿を、わたしは心のなかで視る。

 麻衣の横顔。真剣そうな表情で、先生の授業を聞く彼女。ぱちぱちと目を瞬かせるたび、きゅるんと上向いた彼女のまつ毛が上下する。シャーペンのノック部分を頬に当てる仕草が可愛らしい。

 想像のなかの麻衣が、わたしのほうを見る。彼女と目が合う。目を細めて控えめに微笑む彼女が、ふりふりと小さく手を振る。しだいに、彼女の姿がフェードアウトしていく。彼女の姿が完全に消えたあと、わたしは想像の余韻に浸った。

 視線を戻す。

 となりに立つ唯香に顔を向ける。

 俯く彼女の顔を見ながら、わたしは短く言った。


「いるよ」


 わたしの言葉を受けて、きょとんとする唯香。

「え?」

 唯香が小さく声をもらす。

 かまわず、わたしは続ける。

「いるよ、好きな人」

 驚いたように目を丸くする彼女。

「葵、好きな人いたの?」

「うん」

 唯香の表情が明るくなっていく。雲の切れ目から日光が差すように、ぱあっと彼女の顔が明るくなっていく。

「マジで! え、どんな人?」

 どんな人。

 どんな人、かぁ。

 んー、と唸るわたし。

「明るくて、思いやりがあって、すごく優しくて……」と、わたしは言った。「わたしの、ありのままを受け止めてくれて……すっごくカワイイ人、かな」

「カワイイ?」と返す唯香。「葵、かわいい系が好みだったの?」

 うん、とノドを鳴らすわたし。

「わたし、かわいいものが好きだから」

「へぇ、意外かも」と唯香が言った。「アタシ勝手に、葵はカッコイイ系の人がお似合いなのかなーと思ってたから」

 かっこいい。

 かっこいい?

 うーん、どうかなぁ。かっこいい麻衣。麻衣のカッコいいところ。うーん、うーん……。

 ぐるぐると過去の記憶を掘りかえして、麻衣のカッコいいところを探すわたし。記憶回路にリサーチをかけて、麻衣のイケメンなところを見つけ出そうと努める。かっこいい麻衣、イケメンな麻衣……。

「まぁ、カッコイイ、のかなぁ……?」

 たとえば。

 たとえば、わたしの気持ちを受け止めてくれるところ。かっこいい。

 たとえば、まっすぐに自分の気持ちを伝えられるところ。すごくカッコいい。

 でもやっぱり、麻衣は『かっこいい』よりも『かわいい』が似合う。『かわいい』のほうが、麻衣には似合う気がする。麻衣を表す言葉として、よりマッチしてるのは『かわいい』な気がするなぁ。

 麻衣には『かわいい』が似合う。

 わたしの好きな人は、ほんとうに『かわいい』がよく似合う女の子。わたしの大好きな人は、ほかの誰よりもカワイイの。すっごくすっごく、かわいい人なんだよ。

「いい人そうだね、葵の好きな人」と唯香が言った。「今度よかったら、アタシにも紹介してよ」

 うん、とノドを鳴らすわたし。

「たぶん唯香、けっこう驚くと思うよ」

「え、そんな『意外!』って感じの人なの?」

「意外すぎて、逆に冷静になっちゃうかも」

「なにそれ、めっちゃ気になるんだけど!」

 さきほどとは一転して、彼女の顔がパァッと華やぐ。

「その人の写真とかないの?」

 唯香の言葉に、わたしが返す。

「写真はあるけど……」

「えー、みせて見せてー!」

「でも、今はダメ」と、わたしは言った。「みんなには、まだ秘密にしておきたいから」

「えぇ? すっごい焦らすじゃん」

「いつかきっと教えるから、それまで待ってて?」

 うぅん、と小さく唸る唯香。

「葵がそこまで言うなら待つけど……気になるなぁ〜」

「ふふ、楽しみにしてて」

 会話がひと段落したところで、教室後方のドアがガラリと開いた。開かれたドアの先には、わたしの好きな人の姿があった。



「葵っ!」



 好きな人。


 わたしの、好きな人。



 麻衣。



「唯香も。おはよっ!」

 元気よく教室に入ってきた麻衣が、まっすぐに私たちの元へとやってくる。

「おー、おはよ」と返す唯香。

「おはよ、麻衣」と、わたしも返す。

「ふたりとも、朝はやいじゃーん」と麻衣が言った。「みんなにナイショで密談でもしてたの?」

 麻衣の言葉に、わたしが返す。

「ふふ、そうかもね」

「あ、匂わせ系だ〜。罪深き〜」

 からからと笑う麻衣。

 麻衣の笑った顔。わたしの好きな微笑み。わたしの大好きなヒマワリのような笑顔。

「ねぇねぇ。知ってる、麻衣?」と唯香が言った。「葵、好きな人いるんだって」

「へぇ、そうなんだぁ」

「どんな人かって聞いたら、思いやりがあって優しいんだけど……すごくカワイイ人なんだって。意外じゃない?」

「ふぅ〜ん……?」

 口角を上げてニヤニヤしながら、わたしの顔をまじまじと見る麻衣。

「葵の好きな人、あたし心当たりあるかも」

「マジで⁉︎」

「うん。でも、いまは秘密にしておこうかな〜」

「えぇ、なにそれぇ。葵と同じこと言ってるじゃん」

「へぇ、葵も同じ気持ちなんだぁ。ちょっと嬉しいかも〜」

 くすくすと笑う麻衣。

 いじらしい顔するなぁ、もう。

「いつか絶対、教えてよね!」と唯香が言った。「葵のこと応援したいって思ってるのは、ほんとうだから!」

「うん、約束ね」

 麻衣が教室に入ってきた後で、ポツポツと他のクラスメイトたちも登校してきた。

 わたしが「もう密談は終わりの時間かな?」と言うと、唯香が笑いながら「そうみたいだね」と続いた。

 しばらく談笑する私たち。先生が教室に入ってくると同時に、予鈴のチャイムが鳴った。その音を合図に、おのおの自分の席につく私たち。

 机の中から教科書とノートを取り出して、授業の準備を進める。わたしがパタパタと手を動かしていると、となりに座る麻衣から「ねぇ、葵」と声がかかった。

「ん、なぁに?」

「今日、放課後あいてる?」

「うん、空いてるよ」

「よかったら、一緒に本屋さん行かない? 今日、好きな小説の発売日なんだよね〜」

「あ、それだったらブックカフェにしない? わたしも買いたい本あるし」

「いいね、そうしよ!」

 満面の笑みを見せる麻衣。

「楽しみだなぁ〜。授業、早く終わんないかなぁ!」

 くす、と鼻を鳴らすわたし。

「まだ始まってもいないよ?」

「だってぇ、早く葵と遊びに行きたいもん!」

 そう口にする麻衣の背後には、先生の姿が。腕を組んで仁王立ちする彼女から、威圧感的なオーラが発せられる。ずごごごごご。

「篠宮さん?」と先生が言った。「早水さんと遊びに行きたい気持ちは結構ですが、まず私の授業を受けてからにしてくださいね?」

「は、はい……」

 勢いをなくした麻衣が、しおしおと縮こまる。

「今日は篠宮さんのために小テストを用意しましたから、ぜひ高得点を取れるよう頑張ってください。期待してますよ」

「えー!」

 麻衣の声に続くように、ほかのクラスメイトたちも「うわ、マジかー!」とか「サイアク〜!」などと声をあげた。とたん、ぎゃーぎゃーと騒めき始める生徒たち。

「ちょっとやめてよ麻衣〜!」と唯香が言った。

「あ、あたしのせいじゃないよぉ!」

 方々から非難の声を浴びせられ、針のムシロになる麻衣。

 ガヤガヤとした室内の騒めきは、本鈴のチャイムが鳴るまで続いた。

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