8話 腐敗する地獄

 血の池地獄、午後。

 ぬるりとした血潮の中に、ひとりの女が腰まで浸かっていた。絹の衣はとうに色を失い、筆先だけが妙に瑞々しい。

 紫式部。罪状は過度な創作による情念の乱れ。

 彼女は端末を片手に遠くを眺めていた。焦熱地獄の方角。赤い光と、低く響く怒声。そこに立つひとりの鬼の背中を見つめ、うっとりと呟く。


「……メロい」


 熱風が血を揺らす。地獄に来て百年、愛も恋も煮詰めきったこの女が、いままた筆を取っていた。


「ビジュはド攻め……スパダリ攻め……いや、逆にって話も……でも待って閻魔……閻魔は絶対総受け……じゃあやっぱ攻めか……鬼畜攻……うん、鬼だし……炎閻……閻炎はちょっと解釈違い……」


 紫式部にとって書くことは生であり、死んでもなお止められない衝動だった。たとえそれのせいで地獄に堕ちたとしても。煮えたぎる血の池は書くことにおいて何の障壁にもならない。のが問題だ。


「おい、紫式部。お前血の池慣れすぎ」

「アーーッその熱、わたくしに注ぐのは特大の解釈違いですわぁ!!」


 炎獄が紫式部の浸かる池に手を突っ込み、温度を上げる。それでも紫式部はでへでへと気色の悪い声を上げながら端末に文章を打ち込んでいた。血潮を撹拌する腕の筋肉の動きまで、きっちり目で追っている。推しの動線は逃さない。


「てめえ、ちょっと熱い温泉くらいのノリで浸かってんじゃねえよ」

「アッアッアッ待って? 温泉ネタめちゃくちゃ滾りますわ! 地獄で僅かな憩いのひととき……旅館の浴衣姿の閻魔きゅん……そして夜は……ハァッ行ける!! 新刊いける!!」


 炎獄は雑に金棒で紫式部の頭をぶん殴って立ち去った。もう何を言ってもダメだと思った。

 紫式部はそれすら慣れた様子で、血の流れる頭を撫でながら炎獄の背を見送った。歩く時に肩から背筋が動くのがイイんだよなあなんて思いながら。

 すると、角を曲がる前に炎獄が立ち止まる。先程とは打って変わって、鬼の顔が柔らかく微笑み、腕を振る。その視線の先には、白い衣に袈裟を掛けた、春風のような天人が居た。


「えっ」


 紫式部の筆が止まる。目の前の光景に思考がついていかなかった。


「炎獄、お待たせしました」

「待ってねえよ。飯どうする?」

「お米が良いです! あっでもお肉でもいい」

「はいよ。ほら足元気を付けろ。転ぶぞ」

「ちょ、炎獄歩くの早い」


 瞬間――紫式部に雷撃が走る。

 脳内に紫色の花が咲く。


 な に あ れ 。

 何あれ何あれ何あれ!?!?!?!?

 全然、全然違う顔してたじゃん!?!? えっ!?!?

 待ってそんなの……ちょっと待って……

 かわいすギルティ……無理……


「書くしかありませんわ……」


 その日、紫式部のgokutterが更新された。

 

 ――

 バイオレットSHIKIBU @原稿やれ

【炎×天】鍵の内側

 灯が一つ落ちるたびに、部屋は呼吸を忘れていく。

 拒絶の形をした声は、熱に縋る。

「……やめなきゃ」

「なら、押し返せ」

 押し返すはずの掌は、絡め取られて沈んで行った。

 地獄の熱が、唇から伝わっていく。

 扉が閉まる音は、夜の始まり。

 #炎天

 ――

 

 紫式部の端末の通知がせわしなく鳴きだした。罪人が拝み、獄卒が苦笑し、天人が正座して「尊い」と書いた。

 一夜にして、界隈は爆発した。

 閻魔は机を叩いて笑う。


「あはーーーーっはっはっは!!!!見ろ炎獄!お前らトレンドトップだぞ!」


 炎獄は眉を寄せただけだった。閻魔の差し出した端末に表示されている“トレンド:#炎天”を見ても、炎獄にはそれが何かすらピンと来なかった。


「……なんだ、これ」

「え、なあちゅーした? ちゅーしたの?? ねえねえねえ!!!」

「してねえよ。してたらもうちょっと浮かれてるだろ俺が」

「ンヒィーーーーーッ!!!!!がわいぞーーーー!!!!!!おまっ、お前っ、お前だけガチなのにあはーーーーーーっはははは!!!!!!」

「うるせえ……」

「っくくくくくくっ、可哀想すぎるお前っ……!んふふふふふふふふっ」


 閻魔が文字通り転がり回る。過去五百年で一番楽しそうだ。目に涙さえ浮かべて、終始震え続けていた。


「あーおもろ。いやでもわかるお前クッソわかりやすいもん」

「……そんなにか」

「もうね、ハタから見てりゃ一発。ま、こんな一大コンテンツになるとは思ってなかったけどンフフフフ」

「コンテンツ……」


 炎獄はSNSに疎かった。まして、同人やら二次創作やら、そういったものの知識など爪の先ほども無い。だから彼は打ってしまった。無知故の最悪手を。


「式部コラ」

「ホァッ!?!?!?!? はい!?!?!?」

「有る事無い事、勝手に書くな」

「アッヒャ……」


 直で行ったのだ。

 更に最悪だったのが、勘のいい方は薄々お分かりのように、紫式部が地獄に落ちるレベルでちょっとアレだった事である。


 ――

 バイオレットSHIKIBU @原稿やれ

 炎獄さまから直々に『有る事無い事書くな』って……

 え、有る事があるんですか!?!?!?!?!?!?

 ――


 その呟きは、十分な餌だった。たった一つのカケラに飢えた鯉が群がり、水面を揺らす。飛沫をあげ、全員がその餌に喰らい付いた。

 ひとつ、またひとつと、“無い事”が増えていく。

 

 ――

 ほっとけーぬ @天コミありがとうございました

【炎×天】

「どれが“有る事”か……確かめていこうぜ」

 鬼の低い声が闇を震わせた。

「炎獄さま……」

 天望はふわりと微笑んで言った。

「あなただけが知っていればいい……」

 ――

 バイオレットSHIKIBU @原稿やれ

 灯火の揺れる書類机。

 炎獄が筆を走らせるたび、袖がわずかに天望の手元を掠める。

 朱の印が押される音。硫黄の匂い。

 そのたびに天望の指先が震え、朱肉に滲む。

 炎獄は静かにそれを拭った。

「焦るな、滲む」

「……はい」

 その声が、鼓膜ではなく、喉の奥を撫でていった。

 ――

 

 それは完全に祭りだった。地獄の妄想がタイムラインに引っ切りなしに流れ続ける。炎獄も天望も個人でSNSをやっていない。それを良いことに、最早無秩序と化していた。

 群がった鯉の上げた水飛沫は波紋になり、やがて当の本人にもじわじわと波が押し寄せる。


「あーあ、お前これはまずったなー。奴らこういう“匂い”に敏感だから、こんなん一生噛むぞ」

「……注意しただけだろ」


 炎獄が地獄の回廊を歩けばなぜか罪人に拝まれ、ついには部下の書き込みまで散見されるようになった。


 ――

 針山勤務鬼@hariyamaitai

 炎獄さんガチ上司なんだけど、正直最近目合わせらんない。普通に仕事してるだけなのに最近のタイムライン思い出して普通にメロついてる。

 ――


 そして極め付けに、天望が小首を傾げて炎獄に言った。


「最近、違う部署の人たちに“応援してます”って言われるんですよね。なんでしょう」


 炎獄の背筋を、冷たいものがひゅっと撫でた。自分達を餌に、生活をオモチャにされている事を知った時の事を思うと、血の気が引いていく。天望の性格上、「炎獄の迷惑になりたくないので」と言う姿が容易に想像がついた。


「俺のこと嫌いになって離れるなら、まだ諦めもつくかもしれねえ。でもこんなくだらねえ事であいつがいなくなるのは無理だ、死ぬ」


 五審の執務室で頭をかかえる炎獄を、後ろから閻魔がニヤついて見ていた。

 いちど話題になってしまえば、消費され尽くすまで止まらないのがSNSだ。供給の薄い界隈は、飢えていた。ゆえに、まだその波は収まらない。一週間、ニ週間経っても、創作が創作を呼び、作品数が増えるばかりだった。


「おっ、旬ジャンル。いや毎日毎日良いオカズが増えるなあ炎獄?」

「…………あ゙?」

「おっ……と……」


 炎獄は限界だった。いつもなら笑い飛ばせた閻魔の軽口さえ、流せない程に。

 天望には会っていない。会えば餌にされる。天望からのメッセージが来ても、今度な、としか返せていない。今以上に食い物にされないために、炎獄は耐えていた。が、打開策は何も無い。


「良い加減にしろよ……毎日毎日……何で俺があんなの気にしなきゃなんねえんだよ……」

「ま、そうだな。お前は悪かないよ」


 炎獄は一応、普通に楽しく過ごせていればそれで良かったのだ。なのに、その普通にさえ怯えて避けているのが一番気色悪かった。


「クソ……どうすりゃいい……直接言っても聞きゃしねえ。地獄にもう落ちてる。なんなんだ、クソ……」

「俺が言ってもなあ。あんなん公式から声明出す訳にもいかねえな。うーん、八方塞がりってやつ?」

「何か、何かねえのか。何でも良い。このクソさえ終われば何でも良い」


 閻魔にも答えは出なかった。一口にSNSと言っても集合体だ。色んな属性のやつがいて、想像もつかない程飛んでるやつもいる。それを一気に鎮火させるなんて、どだい無理な話だった。

 

 2人が考えあぐねていると、執務室の扉が開いた。

 立っていたのは、背筋の伸びた老人だった。アポは無い。だが、その人は堂々たる眼差しで2人を見た。


「任せなさい。インターネットにはインターネットの権威の使い方がある」


 妙に威厳のあるその老人は、2人に端末を掲げて見せた。

 

 ――

 画狂老人卍@hokusaikatsushika

 フォロー:25 フォロワー:36万

 

 nmmnは本人の目に入らないように鍵が鉄則。

 鍵パカで検索避けなしは流石にどうかと思う古のオタク

 ――


「……どう言う意味だ?」

「わかんねえけど、フォロワー数すっげぇ」


 老人――画狂老人卍こと、葛飾北斎。

 誰もが認める神絵師のそのつぶやきは瞬く間に界隈を走り抜けた。同調する書き込みがひとつ、またひとつと増えていく。

 小さな波紋から生まれた波が、更に大きな波に呑まれ、船を地獄の底へ押しやらんとする。

 そして、あの炎獄の悪手さえ、その波に乗った。


 ――

 せいちゃん@seisyonagon

 え、てか本人から直接やめろって言われてんじゃん

 推しなら推しの生活考えろよ。

 マジで仕事とかプライベートで本人達会えなくなってたらどうすんの?お前ら責任取れんの?

 ――


 雄大に見えた富士さえ飲み込む程の波によって、いまや完全に意見が反転した。

 そして最後の最後、ほんの少しの小石が落ちる。


 ――

 バイオレットSHIKIBU @原稿やれ

【お知らせ】

 今後は鍵付きで嗜みます。

 本人に迷惑をかける形の創作、反省しています。

 申し訳ありませんでした。

 ――


 海は凪いだ。紫式部はgokutterに鍵をかける。通知の嵐は途絶え、画面はしんと静まり返った。

 血の池のほとりで、彼女は小さくため息を吐いた。


「わたくしは……書きたかっただけなのに……」


 その瞳にはまだ熱が残っていたが、初めてそれをひっそりと抱える覚悟をした。

 数日後、炎獄は端末のメッセージ欄を開く。


 to.天望

「今日夜飯行く?」


 RE:天望

「いきます! もう繁忙期過ぎたんですか?」


 RE:RE:天望

「もう大丈夫。奢る」


 RE:RE:RE:天望

「やったー! 炎獄の家で梅鉄やりましょ!」


 炎獄の顔に自然と笑みが溢れる。

 今日は久しぶりに極楽まで迎えに行こう。きっとあいつは笑いながら、炎獄、って駆け寄ってきて、楽しそうにダービーやら麻雀やらの話をする。

 山もオチも意味もない、物語にならない日常が、一番いい。

 炎獄は端末のメッセージに、「了解」とだけ書いて送信した。


 *

 

 後日、第五審。執務室。

 地獄の王に呼び出された女は、肩を丸め下を向き、両手を握って震えていた。


「すみませんでしたァ…………」


 紫式部は青い顔をして閻魔大王の御前に引き出された。炎獄が複雑そうに閻魔を見る。


「おい、何でこいつが居るんだ」

「俺が呼んだ。紫式部」

「ひゃい」

「司法取引だ」

「…………へっ?」

「お前を血の池地獄の責苦から解放してやる」

「ファッ!?!?」

「は?」

「その代わり、仕事をしろ。内容は十王裁判所第五審広報――うちの公式gokutterの“中の人”だ」

「ヘェッ!?!?!?!?」


 紫式部が飛び上がる。と同時に、炎獄の眉間の皺が深く刻まれた。


「おい、絶対ダメだろこいつだけは」

「お前も見たろ?あの影響力。数字はあればある方がいい。なんならゼロよりもマイナスの方が美味しいんだよ」

「ふざけんな、俺がどんな目に……」

「八個だ」

「あ?」

「バイオレットSHIKIBU、むらさきちゃん、よくわかる!血の池ガイド【公式】……その他ハマったジャンル毎。結果、こいつのアカウントは全部で八個ある」

「ヴェ!?!?!?な、ななな、なぜ、なぜそれっ……」

「紫式部の名前を出さなくても、文才だけでゼロから伸ばせる力がある。俺はそれが欲しい」

「おいジジイ、見ただろ。こいつはリテラシーが低い。公式アカウントなんか任せられねえ。あと普通に嫌だ俺が」

「条件はある。一、絶対に五審のアカウントで暴走するな。ニ、萌え語りをするな。三、公式らしくふるまえ。オタクは封印。破ったら無間地獄でニ度と何も書けなくする。これが約束できるなら、もう血の池に浸からなくてもいい。裏アカウントなら好きに書け。イベントに出展してもいい。どうだ」

「やります!!!!!!!!」

「いい返事だ! 契約成立!」

「ジジイ! 俺の意見は!!」


 こうして、紫式部はひっそりと【十王裁判所第五審【公式】】の中の人となった。

 時々炎獄はじっくり見られているような気がするが、今のところ、gokutterは平和に動いている。


 ――

 十王裁判所第五審【公式】

【固定】

 個人に対する問い合わせ・推測・私的関係の確認には一切回答いたしません。

 ――


 嵐は凪ぎ、水の下で密やかな泡だけが揺らいでいる。

 紫式部は鍵の向こう側で、時々そっと炎獄と天望の名前を打ち込んでは、消していた。

 だってそれはもう、物語ではなく、本物の恋だから。二人が描く物語を、今はただ読み続ける。

 指先だけが、ときどき血の池の水面を撫でながら、次の物語の種を撫でていた。

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