6話 極楽はラメで光る

 あの世、晴れ。極楽庁観光課の朝は、いつも静かだ。窓の向こうでは蓮の花が開き、職員たちはゆるやかに書類をさばき、遠くからは鐘の音が小さく響いている。

 天望は湯気の立つ茶を手に、端末のスケジュールを確認していた。


「……今日も通常運行、ですね」

 隣の席では、課長の摩訶迦葉まかかしょうが淡々と報告書をまとめている。背筋は真っすぐ、指先の角度まで正確。ホチキスの芯の向きも完璧だ。

 彼にとって“平穏”とは、業務の乱れがひとつもない事。それこそが彼の悟りだった。

 ——だったのだが。

 次の瞬間、廊下の向こうから高く響く声。


「おはようございまぁ〜す!!!」


 扉が開いた。目が痛いほど眩しい輝きがオフィスを包む。金糸で縁取られた衣。リップの光沢。背後の風に乗って舞うグリッター。極楽の空気が、いっせいにラメを吸い込む。


「本日付で天部から出向してきましたぁ。新・広報担当、“美の申し子”吉祥天でぇ〜す♡」


 その場の全員が、三秒ほど黙った。静寂のあと、迦葉の声が落ちる。


「……誰が、呼んだんですか」

「上・層・部♡」

「胃が……」

「あたしのデスクここですかぁ?」


 天望の隣のデスクに段ボールを置く。その中から出てきた携帯加湿器、卓上扇風機、ネイルオイル、鏡、化粧ポーチ、香水のアトマイザー、卓上端末充電器。何かのポップアップストアかと思った。


「き、吉祥さん、よろしくお願いします。天望吏です」

「天望ちゃん! 可愛い〜! 写真撮ろ!」

「え、なんで」

「大丈夫アプリで撮るから! はい三秒♡」


 カシャ、と小気味のいい音がして、吉祥天は端末のフロントカメラでツーショットを撮った。天望が普段鏡で見ている顔より、ほんの少し目が大きくて、ほんの少し顎が小さくて、だいぶ肌の質感が違う。


「かわい〜! ゴクスタ載せていい?」

「ゴクスタ……」

「やってない?gokustagram」

「やってないですね……」

「マジ? てかすっぴん?」

「まあ、ほぼ……」

「やっば!! 悟りすぎ!!」


 迦葉課長の咳払いが響く。


「吉祥天さん、機密情報が映る可能性がありますから、デスクでの撮影は控えてください」

「え〜。はぁい。盛れたのにぃ」

「ダメです」

「アタマ硬〜」


 吉祥天は天望を見ると、輝くまぶたでぱちぱちとまばたきした。


「え、てかさ、なんですっぴんなの?」

「なんで……? あんまり理由は無いですけど……」

「じゃあした方がよくない? リブランディングしよ!」

「リブランディング……」


 デスクの上に広げられたコスメの数々。ラインストーンで彩られたヘアピンで、天望の髪を留める。


「天望吏さん、吉祥天さん、仕事をして下さい」

「広報は極楽の顔! でしょ? 見た目整えるのも仕事のうちじゃん!」

「確かに、それはそうですね……」

「天望吏、納得しないでください」


 吉祥天が化粧水をコットンに浸し、天望の頬にぺたり。ひんやりとした感触が肌を冷やした。


「なんですか、これ」

「最初にねー、こうやって毛穴を引き締めると化粧崩れしにくくなるし、ノリも良くなるから!」

「ノリ……?」

「うーんぱっと見イエベっぽいかなー。髪ちょっと明るくしても似合うと思う!」

「染めるのはちょっと……」


 会話しながらも、吉祥天の指が顔の上を滑っていく。

 天望はどのタイミングで目を開ければいいのか、それとも閉じればいいのかが分からず、余計な所でまばたきしている。


「天望ちゃん肌きれー。なんか肌管理やってる?」

「いや、特別な事は……」

「いいなー。あたし毛穴気になっててー」

「そうですか……」


 天望は、正直あまり気にしてこなかった。「多少やった方がいいんだろうな」と思う瞬間もあったけれど、そのたびに視線をそらしてきた——が、正しい。

 吉祥天は楽しそうに天望の唇にリップで血色感をプラスすると、指で軽くぼかした。


「はいっ! できた!」


 吉祥天の差し出した鏡の中には、驚くほど華やかな天望が映っている。

 血色がよく、頬がやわらかく光って、唇にはほんのり花のような色。まるで極楽の朝日のようなラメが瞼で光る。


「え、誰……?」

「天望ちゃんに決まってるじゃーん!」

「いやこれもうほぼ詐欺……!」

「これ、今度の庁報に“観光課の新風”って載せよ!」

「いやいやいやそれはちょっと」


 天望が慌てて両手を振る。迦葉の書類を止めるホチキスの音が一際大きく響いた。


「吉祥天さん、広報掲載には事前の承認手続きが必要です」

「じゃあ天望ちゃん本人に確認取ればOK?」

「違います」


 天望は困ったように笑って、指先で頬をつつく。


「……なんだか、他人みたいですね」

「え〜!? 他人じゃないよ! これが“本来のあなた”だよ!」

「“本来の私”……」


 全然見覚えのない“本来”に戸惑いながら、天望は鏡を色々な方向から翳して自分を見た。

 呟く声に、迦葉が低く補足を入れる。


「本来とは“有為の相を離れた姿”を指します。化粧による修飾は、むしろ——」

「もー課長、難しい話は後!」

「……」


 迦葉がホチキスを空撃ちした。机の上に畳まれた芯がぽろりと落ちた。

 天望は苦笑しながら鏡を伏せる。視線を下げた拍子に、ラメの輝きが視界の端に落ちる。


「ね、自撮りしよ! 背景壁なら良いでしょ!?」

「庁内機密が映らない場所にして下さい」

「じゃここの壁! 天望ちゃんきて!」

「え、あ、はい」


 アプリのフィルターを通して写真を撮る。化粧で大きくなった目が更に大きい。面影はあれど、普段の天望の印象とはかけ離れた肖像がそこにあった。


「ね、これならゴクスタのストーリー載せていい!?」

「い、いいですけど……」

「ありがと〜」

「……気は済みましたか。業務に戻ってください。吉祥天さん、業務用端末の操作を教えますから、こちらへ。天望吏さんは地獄講話の打ち合わせ、遅れますよ」

「あ、はい」

「はーい♡」


 天望は恐る恐る頬を触ってみる。肌に触れる指先が、自分のものじゃないみたいに感じる。柔らかくて、軽くて、どこか心許ない。



 極楽観光課、会議室。

 閻魔大王の講話の打ち合わせのために、炎獄がひとり天望を待っていた。前回までの打ち合わせ資料と、閻魔からの言伝を見直していると、ノックの音。


「どうぞ」

「失礼します。炎獄、お待たせしました」

「いや、全……然……」


 時が止まる。炎獄の視線が固定されて、微動だにしない。


「な、なんですか……」

「いや、おま、なんだそれ」

「なんだとは何ですか。私だって化粧のひとつやふたつします」

「いや、初めて見た」

「……ここまでは初めてしましたからね」


 炎獄の鼓動が早くなる。指先に汗をかく。自分を落ち着けるため、持ってきた水を飲んだ。


「ま、たまには良いんじゃねえか」


 まるで興味がないとでも良いたげな声音は、そっくりそのまま言い訳でしかなかった。


 ――お前何しても可愛いのいい加減にしろよマジで。落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け仕事仕事仕事仕事。俺はここに仕事をしに来たんだ


 炎獄は無意識に天を仰いでいた。


「……炎獄?」

「いや、なんでもない。すまん、打ち合わせだな」

「あ、はい、えっと当日の動線なんですが……」


 伏せた瞼が光る。光を浴びて反射する。いつもよりカールした睫毛の影が落ちている。


「……マイクは有線で、ニ本ご用意します、一本は袖で……」


 資料を見ながら説明する唇が、いつもより色付いていて、水に覆われたような質感で、柔らかそうで――


「炎獄、聞いてます?」

「うん、かわいい」

「は?」


うっかり出た。脳みそを経由せずに勝手に口から出た。


「間違えた。聞いてる」


 天望がじっと炎獄を見る。


「かわいい、ですか?」


 視線に耐えきれなくなった炎獄が、観念したように目元を押さえたまま答えた。


「…………おう。似合う」

「ふーん……」


 天望が髪を指先に絡めて俯く。照れ隠しの癖。


「いつもより……?」


 追加で刺された。炎獄はもう勘弁してくれと思いながら、自分の中で言ってもいい範囲を探りながら喉を締めた。


「いつ……っも、も、かわいい、けど」

「毎日した方がいいですかね、化粧」

「やめてくれ、もたん」


 炎獄の視線が、まだどこにも行けずにいた。天望は頬を指で押さえ、少しだけ首を傾げる。


「……まあ、変ですよね」

「いや」

「別にお世辞とかいいんで、言っていいですよ。似合ってないとか、いつもの方がとか」

「……いや、似合ってる」


 それは、本当に嘘じゃなかった。色が増えても、輝きが増えても、炎獄の目に映るのはいつもの天望だった。

 それでも少しだけ下を向いた天望に、炎獄は言葉をかけずにいられなかった。


「……個人的な好みで言うと」

「はい」

「目頭のアイラインはいらねえ」

「…………は?」


 今度は天望が止まる。あまりに予想外すぎて。


「お前はそんなに遠心顔じゃねえから目頭にライン引く必要ねえ。目を大きくしてえなら横じゃなくて下瞼の方にしっかり色載せると重心も下がってトレンド感が出る。」

「え、炎獄?」

「涙袋はやりすぎると夜の女感が出て安っぽくなるからぼかせ。あと眉は全体の印象に直結するから手を抜くと全部台無しになる」

「待ってください、詳しすぎませんか」

「……公務上、必要だった」

「必要な事ないでしょあの裁判所で」

「証拠隠し化粧検出の講習受けさせられたんだよ。コンシーラーの厚みでそいつの性根がわかる」

「アテにならなそうな心理判定」


 天望が呆れたように笑う。炎獄はその笑い声を聞いた瞬間、ふと胸の奥が静かになった。さっきまでの軽口が急にどうでもよくなる。化粧の話も、技巧の話も、全部薄まっていく。

 沈黙のあと、無意識に言葉が零れた。


「俺はいつもの方が好きだけど」


 言ってから、炎獄は自分でも思う。なんて直球。どの口が言ってんだと殴りたくなった。

 天望が一瞬だけ目を瞬かせ、ほんの少しだけ口元を緩める。


「……いつもの方が?」

「……ああ」

「……へーぇ……」

「……んだよ……」


 天望は膝の上の資料を整え、軽く息を吐いた。その仕草まで柔らかくて、炎獄の胸の奥が少し痛む。


「でも、せっかく吉祥さんがやってくれたので。今日だけはこのままで」

「……ああ」


 コンコンココンコンココンコン

 やたらリズミカルなノック音の直後、扉が開いた。まず、光が入る。次いで、香水と金粉のきらめき。最後に、吉祥天がぱっと花が咲くみたいに顔を覗かせた。

 きらびやかで派手なメイク、長い爪の吉祥天を見た瞬間、炎獄は「こいつか」と思った。


「失礼しまぁ〜すお茶持ってきましたぁ〜」

「あ、ありがとうございます」

「えっはじめましてぇ。閻魔大王の補佐官でしたっけぇ」

「……炎獄鬼だ」

「えっマジ鬼すぎウケる」

「ウケんな」


 吉祥天が天望に顔を近づけ、ヒソヒソと声を顰めた。


「えっねえ、ピ??」

「なんですかピって」

「だから、かれぴ?」

「かっ……違います。友人ではありますけど」

「ふぅん?」


 振り返った吉祥天が炎獄を上から下まで満遍なく観察する。まるで品定めでもするかのように。


「うーん、ま、ハイスペではあるかあ……うーん」

「顔見てうーんって言うんじゃねえ」

「ツノ生えてんのが惜しいなー」

「惜しいって何だ」

「あの吉祥さん、ほんとに、ピとかではないので」


 吉祥天は笑いながらも、目だけは妙に冷静で、炎獄をまっすぐ見た。


「ま、許容範囲かな。炎獄さんゴクスタ交換しよ」

「……は?」

「あ、ゴクッターでもいいよ。こっちあんま動かしてないけどDM送ってよ」

「あのな、鬼だぞ俺」

「えっなんか関係あんの?」


 炎獄は一瞬、返す言葉が出てこなかった。

 吉祥天はそんな空気も気にしない様子で、ふっと笑って端末を操作する。


「鬼とか天人とかさー、良くない? 誰も困んないじゃん。鬼の隣でウチらが笑っててもさ」

「……」

「ね、これあたしのゴクスタID」

「……やってねえ」

「えー! 先言ってよー!」


 心臓の奥がひとつ、鈍く鳴った。

 天望は湯呑を受け取り、ゆっくりと口をつける。熱を確かめるように小さく息を吐く。


「困るの、私ですけどね」

「え?」


 空気が一拍止まる。炎獄の指先がかすかに動いた。

 天望はすぐに表情を整え、湯呑を持ち直す。


「書類の話です。境界の手続き、面倒ですから」

「そっか〜! マジで紙多いもんね!」


 吉祥天は朗らかに笑った。炎獄はただ黙ってその横顔を見ていた。

 微笑む天望の声は穏やかで、まるで雑談の延長のようだった。けれど、その一拍の間に、炎獄の時間だけが止まる。吉祥天は何事もなかったように笑って、手を振った。


「じゃ、戻るね〜! じゃーね炎獄さん! またね!」

「おう」

「ありがとうございます」


 ぱたん、と扉が閉まる。残された香水の匂いと、天望の言葉だけが、妙に重たく胸に残った。


「打ち合わせ、続けましょう」

「ああ」


 天望はわずかに笑い、机上の資料を整える。視界の端のきらめきの向こうに、炎獄の姿を見た。

 書類の端に一粒、金色が光を反射していた。

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