第2話 丘に咲く薬草と、初めての納品依頼

 朝のリュフェリア丘は、まるで香りそのものが陽を吸っていた。

 ミントの葉先には露が光り、カモミールの白い花弁のあいだから金色の粒がこぼれていく。丘を渡る風は海の潮を運び、薬草と混ざって柔らかい香気をつくる。それは数字で測れない“豊かさ”だった。


「採取範囲、今日は西側ね」

 レリアが風を読みながら指を差す。妖精たちは軽い羽音を立て、花畑の上を跳ねていった。

 優馬は《真理視界〈オムニアイズ〉》で薬草群をなぞる。成分比、含油率、採取時刻の最適範囲。どれも前日よりわずかに上向いている。

《循環耕作〈サイクルファーミング〉》が地中の養分循環を整え、菌層が安定しているのが見て取れた。


「収穫率、前日比一五%増……いいペースだ」

「数字で言うのやめなよ、朝から固い」

 レリアが笑う。

「でも、気持ちは分かる。ここの空気は“回ってる”感じがするから」

「回転率が上がってる、ってことですか」

「そう、それ」


 優馬は苦笑しながら、刈り取ったミントを束ねた。

 彼の視界に、《会計台帳〈アカウンティングレッジャー〉》の青い線が現れる。――“在庫更新:ミント三一束、カモミール二七束、ラベンダー二九束。品質指数:良”。

 日々の労働が、こうして帳簿に記録されていく。それが、前世で数字と向き合っていた彼にとっての“安心のリズム”だった。


 そのとき、丘の下から馬車の音。

 見慣れたギルド支所の紋章が揺れている。

「朝からお客様か」

 レリアが目を細めた。

 降り立ったのは、栗色の髪のリシア。ギルド担当官にして、この村の商業の実質的なまとめ役。


「早いわね、もう仕事中?」

「薬草は朝の方が香りが強いので」

「まじめなのはいいことよ」

 リシアは手帳を開き、一枚の依頼書を差し出す。

「港の診療所から納品依頼。喉薬と清涼薬水、各二十セット。三日後まで」

 優馬は目を通し、すぐに頷いた。

《錬精構式〈アルケミックフォーミュラ〉》が頭の中で工程表を組み始める。温度、抽出時間、瓶詰本数。

「条件は?」

「ラベル表記を統一すること。前回と濃度を変えないこと。あと、瓶は港の青砂ガラス工房製を使うように」

「了解です。工房へは昨日発注済みです」

「早いな。信頼できる職人と組むのは正解よ」

 リシアは笑みを残して、馬車に戻った。


     ◇


 午前中は静かな作業が続いた。

 妖精たちが瓶を洗い、ドライアドが薪を運び、レリアは乾燥棚で花を分別する。

 優馬は抽出鍋の温度を《真理視界》で管理しながら、濾過布を交換した。

《錬精構式》が淡く光って、注意を促す。――「このバッチのミントは油分過多、抽出時間を短縮推奨」。

 指示どおりにすると、液体はより澄み、香りが軽く仕上がった。


「仕事って、やっぱり調整よね」

 レリアが湯気越しに笑う。

「会計士もそうです。数字は整えるもので、戦うものじゃない」

「あなた、だんだんこっちの空気に馴染んできたね」


 正午、丘に工房の馬車が上がってきた。

「青砂ガラス工房だ。瓶、三十六本納品」

 親方の手は煤けて太い。瓶は薄青に透き通り、底には“青砂”の刻印が打たれていた。

《真理視界》が品質を確認し、“歪み率:低/気泡:極小”と緑色で表示する。

「見事です」

 優馬は支払いを済ませた。

「あんた、作れるんだろう? 自分で瓶を」

「ええ。でも、仕事は分け合うほうが続くんです」

 親方は笑い、去り際に言った。

「次は刻印を“サクラ薬局”と並べよう。あんたの評判が上がれば、うちのも上がる」


 レリアがにやりとした。

「職人の心、掴んだね」

「数字だけではなく、信頼の方も積み上げていかないと」


     ◇


 午後、瓶詰作業が始まる。

 妖精たちが小さな手でラベルを貼り、ドライアドが封蝋を押す。

 香りの波が小屋の中を満たし、《会計台帳》が“進捗:72%、濃度誤差±1%”と更新した。

 夕刻前、予定数量を達成。

「納品は明朝に」

「一緒に行くよ」レリアが短弓を背負い直す。「港は目が多い。味方は多いほうがいい」


     ◇


 翌朝、港の診療所。

 白壁の建物の前には潮風が吹き、窓辺には乾燥薬草が吊るされている。

 医師は厳しい目をした老人だった。

「ギルド推薦の薬だな。試す」

 瓶を開け、香りを確かめ、喉薬を口に含む。

「濃いが、刺さりがない。良い」

 待合の患者が薬を飲み、五分後には咳が和らいだ。

 医師が頷く。

「成分表示も明確だ。よくやった。次は定期契約を考えよう」

 リシアが横で書類に印を押す。

「台帳登録完了。信頼点、五」


 港を出ると、昼の喧騒が始まっていた。

 商人、漁師、荷運び、子ども。彼らの声の中に、優馬の瓶を見た誰かが「それ、どこの?」と囁いている。


     ◇


 納品の帰り道、港の酒場の女将が手を振った。

「アンタがあの薬の人だね?」

「ええ。サクラ薬局の井上です」

「うちの船乗りたち、夜勤明けで手がひび割れてるんだよ。軟膏を卸してくれないかい? あと、寝つけない連中に“眠り草茶”を頼める?」

 優馬は即座に《真理視界》を起動。眠り草・蜂蜜・薄荷の組み合わせが“安全・安定・低依存性”と表示される。

「可能です。二日ほどください」

「助かるよ。漁に出る前に、一杯飲むんだ」

 女将は豪快に笑って去った。

 《会計台帳》がページを開き、新しい項目を自動生成する。――“受注:眠り草茶二〇袋/ひび割れ軟膏三〇個/依頼主:港酒場ルネ”。


     ◇


 丘に戻ると、仕立屋の老夫婦が待っていた。

「糸を通す指が割れてねぇ。何か塗るもん、あるかい?」

「少し待ってください」

 優馬は蜂蜜とオリーブ油、カレンデュラを混ぜる。《錬精構式》が最適比率を示す。

 指に塗ると、老夫婦は目を細めた。

「香りがいい。これなら糸が滑る」

 代金を受け取り、優馬は微笑む。

「また必要になったら、瓶を持ってきてください。詰め替え割引にします」

「商売上手だねぇ」老夫婦が笑いながら帰っていった。


 レリアが肩をすくめた。

「優しいのか、計算高いのか」

「両方ですよ。働くって、両方が要るんです」


 午後の陽は、丘の上を金に染めながら下っていった。

 乾燥棚のハーブは半分が乾き、妖精たちが花束を編んで遊んでいる。

 優馬は木机に座り、《会計台帳〈アカウンティングレッジャー〉》を開いた。ページには朝からの動きが自動記録されている。


 ――診療所納品:完了。売上銅貨一二〇枚。

 ――港酒場ルネ:軟膏三〇個・眠り草茶二〇袋、納期三日後。

 ――仕立屋夫妻:指軟膏一セット、販売済。

 ――在庫推移:瓶残数九本/原料残量十分。

 ――信頼指数:+八(診療所+仕立屋+港酒場)。


 ページの端に小さく、緑の印が光る。“営業良好・過労傾向なし”。

 前世では、こんな評価を誰からももらえなかった。

 数字が自分を責めるだけの世界から、数字が“支えてくれる”世界へ。

 その変化を、彼は噛み締めていた。


     ◇


 夕方、ギルド支所に寄ると、リシアが手紙を手にしていた。

「あなた宛て。隣町の薬師からよ」

「薬師?」

「旅の治療屋、ルグラン・フェルス。あなたの清涼薬水の噂を聞いたんだって」

 封を開けると、達筆な文字が並んでいる。


『あなたの薬水は、港の診療所で見た。香りが強く、濃度が均一。

 同業として興味を持った。こちらも“疲労回復剤”を開発中。

 調合法を交換しないか? ――旅薬師ルグラン』


 優馬は思わず笑った。

「もう同業が興味を持ちましたか」

「当然でしょ。あんたの作るもの、職人の目で見ても整ってる。……どうする? 交換する?」

「ええ。知識は分けた方が早く育ちます。取引として、成文化しておきますね」

 《種子覚書〈シードレッジャー〉》に“技術交換申請:ルグラン薬師”が自動記載された。


「交換、成功したらどうする?」レリアが尋ねる。

「互いの製法が広がる。市場が広がる。結局、みんなが楽になります」

「うん。あなた、相変わらず真面目」

 レリアは笑い、窓の外を見た。

 港から吹く風が、丘まで届いている。


     ◇


 三日後、眠り草茶の試作が完成した。

 乾燥した眠り草に蜂蜜を混ぜ、薄荷をわずかに足す。

 《錬精構式〈アルケミックフォーミュラ〉》が“鎮静効果安定/依存性なし/香気評価:良”を表示した。

 味見をしたレリアが目を細める。

「ほわってする。眠くなる前に、気持ちがやわらぐ」

「成功ですね」

 妖精たちが茶袋を詰め、ドライアドが葉の香りを閉じ込めるために木箱を組む。

 その様子は、小さな工場のようだった。


 翌朝、港酒場に納品すると、女将が大声で笑った。

「いい匂い! これなら船乗りもぐっすりだ。軟膏も評判だよ」

《会計台帳》が即座に更新される。

 ――港酒場ルネ:納品完了。売上銅貨八〇枚。

 ――信頼指数:+三。

「今度、港の魚商たちにも紹介してやるよ。塩水で荒れる手に効くんだもの」


 レリアが笑う。

「口コミって早いね」

「数字よりも早い」優馬も笑った。「だからこそ、数字が支える。流れを整理して、信頼を積む」


     ◇


 夕暮れ、丘に戻ると、村の若者たちが小屋の前に集まっていた。

「母ちゃんが夜眠れねぇんだ。眠り草茶、売ってくれ」

「俺も。仕事終わっても手が熱くて寝られねぇ」

 優馬は在庫を確認し、急ぎ追加生産を始めた。

 妖精たちが笑いながら茶葉を詰め、レリアが湯の温度を整える。

 数十分後、出来たての茶袋が十数個並んだ。

「熱いお湯で一匙。香りを吸ってから飲んでください」

 若者たちは銅貨を置き、何度も頭を下げて帰っていった。

《会計台帳》のページが増え、村顧客の項目に新しい名前が並ぶ。

 ――個人顧客:五名。平均満足度:高。


     ◇


 夜。

 小屋の窓から、港の灯が見えた。

 優馬は帳簿を開き、今日一日のまとめを眺める。

《会計台帳》が自動で集計を始める。



《サクラ薬局 第2営業週末記録》

• 総売上:銅貨二二〇枚

 (診療所一二〇/港酒場八〇/仕立屋+村顧客二〇)

• 支出:瓶工房三〇/原料一五/雑費三/協力費五

• 純利益:銅貨一七二枚

• 信頼指数:+一二(診療所・港酒場・仕立屋・村顧客)

• 在庫:清涼薬水六本/眠り草茶八袋/軟膏五個

• 受注中:眠り草茶再発注二〇袋、旅薬師ルグランとの交換交渉進行中

• 備考:評価「誠実」「香りの薬屋」

• 状況:労働時間 九時間/休息確保 ◎


 帳簿の最下段に青い文字が浮かぶ。

 ――“この働き方、適正”。


 優馬はその言葉を指でなぞり、ゆっくり息を吐いた。


「数字、きれいだね」

 レリアが横で椅子に座り、温かい茶を差し出す。

「数字がきれいなのは、働き方がきれいだからですよ」

「ふうん」

「前の世界では、働き方が壊れても数字は動いていました。ここでは、働き方を正せば数字も整う」

 レリアは小さく笑った。

「あなたの数字、森のリズムに似てる。急がず、でも止まらない」


 妖精たちは棚の上で眠り、ドライアドは薪のそばでまどろんでいる。

 丘を包む夜気は涼しく、薬草の香りが火の名残に混ざっていた。


     ◇


 翌朝。

 リシアがギルドの封印印を携えて丘を訪れた。

「報告よ。診療所から正式契約の申し出。月に二度、定期納品」

《会計台帳》が瞬時に反応し、“定期契約(診療所)登録完了”と記した。

「おめでとう、ユーマ。これであなたは正式な“薬商会”の一つ」

「ありがとうございます」

「でも、気をつけなさい」リシアは小声で言った。「連合商人たちが目をつけてる。安く買い叩こうとするかもしれない」

「値は崩しません。人の健康を削って稼いでも、帳簿の数字は赤くなるだけですから」

「……その言葉、ギルドの講義で使っていい?」

「著作権料をいただけるなら」

 二人は笑い、丘の風が抜けた。


     ◇


 午後、瓶工房の親方が再びやってきた。

「新しい刻印だ。あんたの薬局の名と、うちの印を並べた」

 瓶底には、桜の花と青砂の波紋が刻まれている。

「美しい」優馬が目を細める。「共に残る印ですね」

「そうさ。仕事ってのは、名前を刻むものだ」

《真理視界》が刻印の線を解析し、“偽造防止率:高”と表示した。


「これで偽物も防げるね」レリアが満足げにうなずく。

 優馬は頷き、《市場掌握〈マルクトコントロール〉》を開く。

 小さな地図が広がり、港市場・村商店・丘の薬局、それぞれの流通経路が青く光った。

 赤い点が一つ、港外れの倉庫街で瞬いた。

「粗悪な模倣品が出てる」

「どうする?」

「放っておきます。自然に淘汰される。信頼は時間で育つものです」

《会計台帳》が“対応方針:静観/信頼維持”と記録した。


     ◇


 夜。

 焚き火を囲みながら、レリアがふと尋ねた。

「あなた、こっちに来て、もうどのくらい経つ?」

「十日ほどですね」

「十日でこれ。働き者だよ、ほんと」

「焦らずに働くって、案外難しいものですね。けれど、できるようになれば気持ちがいい」

「森の木も同じ。早く伸びようとした枝は、折れる」

 優馬は火の粉を見つめた。

「……俺、前の世界ではずっと折れっぱなしでした」

「でも、根は生きてた。だから、今こうして芽が出た」

 レリアの声は静かだった。


 《会計台帳》が最後のページを開く。

 ――“精神状態:安定/労働適正:良/幸福指数:上昇傾向”。

 優馬は笑い、帳簿を閉じた。

 香りが夜に溶けていく。

 焦らず、競わず、ちゃんと儲かる。

 働くことは、もう苦しくない。


 リュフェリア丘の灯が、ゆっくりと港の光と重なっていった。

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