第24話
アレクシスがドワーフの里の入り口で待つこと、およそ三時間。太陽は山脈の向こうに傾きかけ、谷底には冷たい影が忍び寄っていた。
その間、斥候の兵士二人は、極度の緊張状態にあった。彼らは巨大な戦斧を抱えたドワーフの衛兵に監視され続け、いつ問答無用で斬りつけられるかと覚悟していた。
やがて、里の奥から、数人のドワーフが連れ立って現れた。 衛兵が道を開けると、先頭にいたのは、背は低いが横幅があり、長い白髭を三つ編みにした威厳のある老ドワーフだった。彼が、この深岩の氏族の長老、ドワーリンだろう。
ドワーリンは、アレクシスの前に広げられた設計図と、毒の結晶の小瓶を、無言で検分した。彼の横には、作業服姿の若いドワーフや、厳めしい顔つきの中年のドワーフが並んでいる。彼らは皆、鋼の匂いを纏っていた。
ドワーリンは、設計図を広げ、その複雑な数式と、図面に描かれた未知の火器の構造を、時間をかけて睨みつけた。
「……人間よ」 ドワーリンの声は、岩が擦れ合うような重い響きを持っていた。 「貴様の持つ『知識』は、まがい物ではないと判断した」
彼の言葉に、アレクシスは内心で安堵の息を漏らした。 「この『岩皮の熊(ロックベア)』を生きたまま捕獲する毒の製法と、この火器の構造。どちらも、我々の里に存在するどの技術にも当てはまらない、異質なものだ」
ドワーリンは、小瓶を掴み、厳しい目つきでアレクシスを見つめた。 「貴様は、これと引き換えに、我々の鍛冶師を一人、連れ去りたいと言った。……なぜ、我らの技術を欲する。お前たちの領地で、この魔物を狩るための武器を作るためか?」
「それもあります。ですが、最も重要な目的は、他に二つ」 アレクシスは、率直に答えた。 「一つは、私の領民に、魔物の爪で深手を負った者がいる。その命を救うためだ。ドワーフ族の医療の腕も、この辺境では伝説と聞いている」
「ふん。医療だと? 貴様は我らをただの治療師と見ているのか」
「いいや。違います」 アレクシスは、頭を下げたまま、さらに言葉を続けた。 「もう一つは、あなた方の『鋼の技術』を、私の『知識』と組み合わせ、この設計図に描かれた『連続発射火器』を完成させるためです。これがあれば、我々は、王国からも、山賊からも、そして岩皮の熊のような未知の脅威からも、完全に独立できる。そして、その技術は、あなた方ドワーフの歴史に、新たな一ページを刻むことになるでしょう」
ドワーリンは、沈黙した。彼の横にいた中年ドワーフたちが、興奮した様子で囁き合っている。
「岩皮の熊の生体錬金術と、この設計図か……。確かに、どちらも究極の技術の『種』だ」
やがて、ドワーリンは再び口を開いた。 「人間よ。我々は、貴様の取引を受け入れる」 アレクシスは、顔を上げた。
「ただし、条件がある」 ドワーリンは、毒の結晶と設計図を指差した。 「我々が受け取るのは、この二つだけではない。岩皮の熊の捕獲方法、解体の方法、そしてこの火器の運用方法、すべてを、我々の子孫に伝えることを誓え」
「誓います」 「そして、もう一つ。我らが里から行く鍛冶師は、治療のためだけに行くのではない。この火器を完成させ、その製造の『指導』を行うのが、その者の使命だ。貴様は、その者に、最大限の敬意と、最高の作業環境を提供せねばならん」
「無論です。私にとって、その技術者は、この集落の『王』と同等以上の価値を持つ」
ドワーリンは、満足そうに頷いた。 そして、後ろに立っていた若く、精悍な顔立ちのドワーフを前に押し出した。
「この者の名は、ブルンデル。我が里でも随一の腕を持つ鍛冶師であり、薬師の知識も持つ。彼は、貴様の領民の命を救うだろう。そして、貴様が持つ『火器』の夢を、鋼の現実にする者だ」
ブルンデルは、戦斧ではなく、巨大なハンマーを肩に担いでいた。 彼は、アレクシスを値踏みするように見つめ、不満そうに言った。 「人間。俺は、貴様の言う『技術』と『秘密』にしか興味はない。お前たちの汚い生活には、一刻も早く慣れるつもりだが、その代わり、失望させたら容赦はしないぞ」
「期待していてくれ、ブルンデル殿」 アレクシスは、彼の態度を全く気にしなかった。彼が求めていたのは、技術に対する純粋な情熱と、確かな腕前を持つ技術者だ。
「では、ドワーリン長老。岩皮の熊の捕獲方法の概要と、毒の調合法を、今からお話しします。それと、ブルンデル殿には、私と共に里へ戻っていただきたい」
ドワーリンは、頷くと、アレクシスたちを里の奥へと招き入れた。 彼らは、簡素な石造りの部屋に通され、アレクシスはすぐに捕獲計画の概要をドワーフたちに説明し始めた。
集落の運命、そしてアレクシスの「鉄砲」の夢は、今、このドワーフの技術と結びついた。 しかし、その取引は、あくまで「技術」と「知識」の交換。ドワーフの里から、人間への物資的な援助は、一切期待できない。彼らの建国は、依然として、彼ら自身の努力に懸かっている。
ブルンデルという最高の技術者を迎えた今、アレクシスの目の前に残された課題は、彼に最高の「素材」と「環境」を提供することだった。 それは、彼らがこれから進む道の、新たな、そして最も大きな壁となるだろう。
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