第16話
山賊団「灰色狼」が、蜘蛛の子を散らすように峠の向こうへ消えていく。 集落の入り口は、熱湯で焼け爛(ただ)れた者、アレクシスの即席燃焼剤で黒焦げになった者、そしてマルクスたちの剣に倒れた山賊たちの死体が十数体転がる、凄惨(せいさん)な光景が広がっていた。
「……やった」 「勝ったぞ……!」
ブルックたち領民が、遅れてきた勝利の事実に打ち震え、泣きながらその場にへたり込む。 この半月、病気、飢え、ゴブリン、そしてついに人間の軍勢と戦い、生き残った。彼らの自信は、もはや揺るぎないものに変わりつつあった。
一方、王国兵士の生き残り、マルクス隊長とその部下たち(五体満足なのは五人、残りは負傷者)は、呆然(ぼうぜん)と立ち尽くしていた。 彼らは、自分たちを赤子扱いしたあの「灰色狼」が、熱湯と謎の「爆炎」によって、赤子のように逃げ惑う姿を目の当たりにしたのだ。 そして、そのすべてを指揮したのが、屋根の上で涼しい顔をしている、一人の追放された貴族の青年だった。
「……静かにしろ」 俺は、歓喜に沸く領民たちを制した。 「戦闘は終わった。だが、戦争は終わっていない」
俺は屋根から飛び降りると、まず負傷者の元へ駆け寄った。 「ガレス殿! 煮沸(しゃふ)した湯(ゆ)(冷ましたものだ)と、ありったけの清潔な布を! 負傷者を手当する!」 幸い、領民側に死者はゼロ。ブルックが腕を軽く斬られた程度だ。 問題は、マルクスの部下たちだった。関所で負った深い傷が、すでに化膿(かのう)し始めている者もいる。
「……アレクシス殿」 マルクスが、俺の前に進み出た。彼は、部下たちが領民の女たちから手際よく(煮沸した水で)傷口を洗われ、手当てを受ける姿を、信じられないという顔で見つめている。 「……あんたは、一体何者だ。先ほどの、あの『光』と『音』は……聖なる魔法か、それとも……」 「魔法?」
俺は、悪役貴族らしい冷笑を浮かべた。 「魔法などという不確かなものに、俺は領民の命を賭けん。あれは『化学』だ。あんたたちが知る必要のない、俺の知識だ」
俺はマルクスから視線を外し、ブルックに向かって、この戦闘で最も重要な指示を出した。
「ブルック! 領民たちに告げろ! 『戦利品』の回収だ!」 「せ、戦利品……?」 「そうだ。奴らが置いていったもの、すべてだ!」
俺は、戦場に転がる山賊の死体を指差した。 「奴らの『剣』! 『槍』! 『弓矢』! 『鎧(よろい)』! そして何より、奴らが乗り捨てていった『馬』だ! あれはすべて、今この瞬間から、我々(われわれ)の『財産』だ!」
「「「……!」」」
ブルックたちの目が、血走った。 「鉄」だ。 彼らが、錆びたクワやカマしか持てなかった、あの絶望的な日々。 今、目の前には、本物の「鋼(はがね)」の武器が、十数本も転がっている。
「うおおお! 拾え! 拾え! 領主様からの『獲物』だ!」 領民たちが、狂喜して戦場に駆け出し、武器や防具を剥(は)ぎ取り始めた。
「……アレクシス殿」 マルクスが、その光景を咎(とが)めるような、しかしどこか羨望(せんぼう)するような目で見ていた。 「……死体から剥ぎ取るなど、騎士道に反する……」 「騎士道?」 俺は、マルクスを睨みつけた。 「騎士道は、あんたたちの腹を満たすか? 騎士道は、次の山賊の襲撃から、あの子供たちを守ってくれるのか?」
「……それは」 「俺は、領主だ。俺が守るべきは『名誉』ではない。『領民の命』と、その『生活』だ。そのためなら、俺は悪魔にだってなる」
俺は、回収された戦利品――剣が十本、槍が五本、弓が三張り、そして馬が六頭――の前に立った。 マルクスは、俺のその徹底した合理性と、領民を守るという揺るぎない覚悟に、何も言い返せなかった。
「……さて、マルクス隊長」 俺は、彼に向き直った。 「あんたたちは、これからどうする?」 「……」 「関所は落ちた。あんたたちは『敗残兵』だ。王都に戻れば、敗戦の責任を問われ、良くて牢屋、悪ければ処刑台だ。……違うか?」
マルクスの顔が、絶望に歪む。 「……その通りだ。我々には、もう帰る場所など……」
「なら、ここで働け」 俺は、回収されたばかりの、まだ血のついた上等な「剣」を一本、マルクスの足元に投げた。
「……!」 「俺は、この土地に『国』を作る。王国(おうこく)のような、民を見捨てる国ではない。民が食え、民が笑い、民が安全に眠れる、俺だけの国だ」 俺は、ブルックたち領民と、マルクスの部下たちを見渡した。 「だが、今の俺たちには『力』が足りない。ブルックたちは『農民』だ。優秀な働き手だが、『兵士』ではない。……マルクス、俺はあんたたちの『戦う技術』が欲しい」
「……我々を、雇うと?」 「雇う、か。違うな」 俺は、首を横に振った。 「あんたたちも、今日から俺の『領民』だ。ここの食糧(スープ)を食い、ここの水を飲み、ここの家に住め。その代わり、あんたたちの『剣』を、この国のために捧げろ」
マルクスは、足元の剣と、俺の顔を交互に見つめた。 敗残兵として死ぬか。 それとも、この得体の知れない、しかし確実に「何か」を成し遂げようとしている悪役貴族の下で、新たな「生」を得るか。
「……アレクシス・フォン・ヴァルケン殿」 マルクスは、ゆっくりと片膝(かたひざ)をつき、その剣を拾い上げた。 「……このマルクス、追放された王国兵士にあらず。ただの『兵士マルクス』として、あなたの『剣』となりましょう。……この命、預けます」 彼に続き、生き残った兵士たちも、次々と膝をついた。
「よし」 俺は、満足げに頷(うなず)いた。 これで、この集落は「農民(ブルックたち)」と「専門兵(マルクスたち)」という、二つの集団を手に入れた。
「マルクス、最初の仕事だ」 俺は、山賊の死体を指差した。 「領民たちに、あの死体の『処理』を手伝え。……ああ、鎧(よろい)や服は剥(は)いでからだぞ。布も貴重な資源だ」 「……し、処理……とは?」
俺は、湯気を上げるあの「堆肥(たいひ)の山」を指差した。 「決まってる。来年のジャガイモのための、『肥料』になってもらう」
「ひ……」 マルクスは、この新しい領主の合理性(という名の狂気)に、戦慄(せんりつ)を禁じ得なかった。
「そしてブルック」 「へ、へい!」 「手に入れた弓矢で、マルクスたちから『弓術』を習え。次の敵は、熱湯が届く距離まで近づいてくれるとは限らん」
俺は、再び館の屋根に登った。 手には、先ほど使い残した「硝石」「硫黄」「木炭」。 (ヴァーグは必ず戻る。次は、もっと大規模に、もっと慎重に、だ)
俺は、峠の向こうを睨みつけた。 (熱湯も、ハッタリの爆炎も、二度は通じない。……だが、もし。あの爆炎が、ハッタリではなく『本物の力』を持ったとしたら?)
悪役貴族の領地経営は、ついに「軍事技術」という、禁断の領域へと足を踏み入れようとしていた。
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