第15話
絶望的な数の敵が、峠の稜線(りょうせん)に現れた。 その数、四十騎以上。 「灰色狼(はいいろおおかみ)」と呼ばれる山賊団。彼らは、俺たちを嘲笑(あざわら)うかのように、ゆっくりと陣形を整えている。 対するこちらは、痩せこけた農民兵が十五人。そして、息も絶え絶えの敗残兵が十人程度。 戦力差は、火を見るより明らかだった。
「……終わりだ」 腕から血を流す王国兵士の隊長――名を「マルクス」と名乗った――が、膝から崩れ落ちた。 「奴らの首領(かしら)は『ヴァーグ』。元王国の重装騎兵だ。残忍で、戦(いくさ)を知り尽くしている。我々(われわれ)は……関所で、赤子のように捻(ひね)り潰された」
その言葉が、集落のわずかな士気を打ち砕こうとしていた。 ブルックの顔が、恐怖で引きつる。
「……顔を上げろ、隊長マルクス」 俺の、氷のように冷たい声が響いた。 「俺は、ここの領主、アレキス・フォン・ヴァルケンだ」 「……ヴァルケン? あの悪役……いや、追放されたと聞いた公爵家のご子息か……!」 「そうだ」
俺は、パニック寸前の領民と、絶望しきった兵士たちを見渡した。 「あんたたち兵士は、王国に仕える者として、この土地の民を守る義務がある。違うか?」 「……! し、しかし、この数では!」
「まともに戦えばな」 俺は、峠のヴァーグたちを指差した。 「奴らは、関所を落とした勢いで、ここを『略奪』しに来た。奴らにとって、俺たちは『獲物』でしかない。だからこそ、奴らは『油断』している」
俺は、マルクス隊長の肩を掴んだ。 「兵士に聞く。あんたたちに残っている武器は?」 「……剣と、盾が数枚。弓矢は、もう……」 「十分だ。あんたたち『兵士』は、この集落の入り口――逆茂木(さかもぎ)が途切れる、唯一の『門』を死守しろ。いいか、絶対にそこを抜かせるな。それが、あんたたちの唯一の仕事だ」
俺は、次にブルックに向き直った。 「ブルック! お前たち『領民』は、絶対に白兵戦(はくへいせん)になるな! お前たちの仕事はただ一つ!」 俺は、館の屋根と壁際に据え付けられた、ぐつぐつと煮え立つ大鍋(おおなべ)を指差した。 「あの『湯』を、合図があるまで絶対にこぼすな!」
「「「……へい!」」」
そして、俺は館の屋根に駆け上がった。 手には、ガレスたちが必死で集めてきた「木炭(もくたん)の粉」「硫黄(いおう)の塊」、そして代官が忘れた「硝石(しょうせき)の樽」。 時間がない。 完璧な火薬(ブラックパウダー)を精製している暇などない。 だが、この三つを、ある程度の比率で雑に混ぜ合わせるだけで――火薬にはならずとも、凄まじい「燃焼剤(ねんしょうざい)」にはなる!
「ガレス! ゴブリンの『脂(あぶら)』を! それと、一番丈夫な『土鍋』を三つ!」 俺は、屋根の上で、石臼(いしうす)を使って必死に材料を砕き、混ぜ始めた。 前世の化学の知識。 硝石75、硫黄10、木炭15。その比率が頭をよぎるが、今は目分量だ!
その時。 峠のヴァーグが、巨大な戦斧(せんぷ)を振り上げた。
「――突撃(チャージ)!!」
地響きと共に、四十騎の山賊が、雪崩(なだれ)を打って坂道を駆け下りてくる! 「うわあああ!」「来るぞ!」 領民たちが悲鳴を上げる。
「構えろ!」 マルクス隊長が、残った兵士たちと盾を並べ、集落の入り口で最後の防衛線を張る。
山賊たちは、俺たちが作った貧弱な逆茂木など、馬で踏み潰せると思ったのだろう。 先頭の数騎が、速度も落とさずに逆茂木に突っ込んだ。
ブスッ! ギャイン!! 「!!?」
馬の悲鳴が響き渡った。 逆茂木は、ブルックたちが想像以上の強度で二重三重に打ち込んでいた。 先頭の馬が、鋭く尖った丸太に胸を貫かれ、転倒。後ろから来た馬も、それに乗り上げて折り重なるように倒れた。
「チッ! 罠(わな)か!」 「馬を捨てろ! 歩兵で押し潰せ!」
山賊団は、即座に馬から降り、歩兵となって逆茂木を力任に引き抜き始めた。 彼らはゴブリンとは違う。 パニックにならず、即座に戦術を切り替えてきた。
「マルクス! 今だ、そこを叩け!」 「応!」 マルクスたちが、逆茂木の隙間から、引き抜こうとする山賊の腕や顔を、剣で突き刺す! 「グァッ!」 数人が血を吹いて倒れるが、敵の数は減らない。
「ブルック! 逆茂木が破られるぞ!」 「く、クソッ!」 ブルックが、恐怖で動けなくなる。
「今だ!!」 俺が、屋根の上から絶叫した。 「『湯』を放て!!」
「「「うおおおお!!」」」 ブルックと領民たちが、恐怖を振り払うように、煮え滾(たぎ)る湯がなみなみと入った大鍋を、一斉に傾けた!
「「「ぎゃあああああああああ!!!」」」
熱湯のシャワーが、逆茂木に取り付いていた山賊たちの頭上に降り注いだ。 兜(かぶと)の隙間から、革鎧(かわよろい)の隙間から、沸騰した湯が流れ込む。 皮膚が焼け爛(ただ)れ、目玉が煮える。 阿鼻叫喚(あびきょうかん)の地獄絵図だ。
「な、なんだと!? 湯だと!?」 後方にいたヴァーグが、予想外の「原始的な」反撃に目を見開く。 山賊たちの足が、確実に止まった。 彼らは、剣や斧で殺されることには慣れている。だが、「熱湯で茹(ゆ)で殺される」という恐怖は、彼らの想定を遥かに超えていた。
「……今だ!」 俺は、この一瞬の「恐怖による硬直」を逃さなかった。 俺は、屋根の上で、即席の「燃焼剤」を詰め込んだ土鍋に、松明(たいまつ)から火をつけた。 ゴブリンの脂(あぶら)を吸った導火線(ボロ布だ)が、ジュウ、と音を立てる。
「ヴァーグ! 貴様が首領(かしら)か!」 俺は、屋根の上に立ち、あえて大声で叫んだ。 「この土地の領主、アレクシスだ! 貴様らに、我が領地から立ち去る最後のチャンスをやろう!」
「……小僧が!」 ヴァーグは、俺が一人、屋根の上で武器も持たずに立っているのを見て、激昂(げきこう)した。 「弓兵(アーチャー)! あの生意気な小僧を射殺(いころ)せ!」
数人の山賊が弓を構え、矢を放つ! ヒュッ、と風を切る音がして、矢が俺の頬を掠(かす)めた。
「遅い」
俺は、導火線が燃え尽きる寸前の土鍋(つちナベ)を、ヴァーグの足元――山賊が最も密集している場所――めがけて、全力で投げつけた!
パリン! 土鍋が、地面に叩きつけられて割れる。 一瞬、山賊たちは「(石か?)」ときょとんとした顔をした。
次の瞬間。
――FWOOOOOOOOOOOOOOOOOOOM!!!
爆発ではない。 だが、それよりも恐ろしい「現象」が起きた。 雑に混ぜられた硝石、硫黄、木炭の粉末が、ゴブリンの脂を巻き込み、一瞬にして「激しく燃焼(デフラグレーション)」したのだ。
閃光(せんこう)! 鼓膜(こまく)を破るような轟音(ごうおん)! そして、すべてを焼き尽くすかのような、白く輝く火柱が、山賊団の中心で巻き上がった。
「「「――――ッ!?」」」
声にならない悲鳴。 視界を焼かれた者。 炎に巻かれた者。 そして何より、生き残ったすべての山賊が、その「超常現象」に凍りついた。
「……ま、魔法だ……」 「悪魔の……硫黄(いおう)の匂いだ……」 「ひ、ひぃぃぃ!」
関所を落とした彼らの「勇気」は、人間相手のものだった。 「未知の力(=化学)」の前には、無力だった。
「……怯(ひる)むな! 奴は一人だ! かかれ!」 ヴァーグが、顔を半分焼け爛(ただ)れさせながら、それでも無理やり剣を振り上げた。 (……クソッ、倒しきれないか!)
俺は、二つ目の土鍋を手に取った。 だが、その時。
「――王国兵士(おうこくへいし)の底力、見せてやる!」 マルクス隊長が、この好機を逃さなかった。 彼は、盾を構え、生き残った兵士たちと共に、恐怖で足がすくんでいる山賊団に、集落の入り口から逆襲(カウンター)を仕掛けた!
「う、うわあ! 来るぞ!」 「もうダメだ! 逃げろ!」 マルクスの突撃が、最後の一押しとなった。
熱湯の恐怖。 謎の爆炎。 そして、死んだはずの王国兵士の逆襲。 山賊団の士気は、完全に崩壊した。
「退(ひ)け! 退けェ! 覚えてろよ、悪魔め!」 ヴァーグは、悪態を吐きながら、真っ先に馬に飛び乗り、峠道へと逃げ帰っていった。 残りの山賊たちも、武器を放り出し、我先にと敗走を始めた。
「……」 嵐のような戦闘が、嘘のように静まり返った。 集落の入り口には、熱湯で倒れた者、炎に焼かれた者、そしてマルクスたちに討ち取られた山賊たちの死体が、十数体転がっていた。
「……か、勝った……」 ブルックが、その場にへたり込んだ。 「……俺たち……あの『灰色狼』に、勝っちまった……!」
領民たちが、遅れてきた歓喜に沸き立つ。 マルクス隊長も、信じられないという顔で、屋根の上の俺を見上げていた。
俺は、燃えさしがくすぶる戦場を見下ろし、小さく息を吐いた。 手は、アドレナリンでまだ震えている。
「いや、まだだ」 俺は、敗走していった峠道を睨みつけた。 「ヴァーグは逃げた。……奴は、必ず、戻ってくる」
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