第3話 沈黙の果て



誰も話さない世界になって、どれくらい経ったのか。

時計の針の音だけが、日々を刻んでいた。


浅倉はひとり、公園のベンチに座って空を見上げていた。


カラスの鳴き声さえしない。


風だけが、言葉の代わりに木々を揺らしている。


かつては「断れない」ことが苦しかった。


次に、「断りすぎる」ことが怖くなった。


今は――何もない。

人の声が消えたこの静寂だけが、奇妙にやさしかった。



―――


ある日、壊れかけた街のスピーカーから、

ふいにひとつの声が流れた。


「ねえ、聞こえますか?」




浅倉は息をのんだ。

女の声だった。

久しぶりに他人の声を耳にした。


「私は……あなたの[NO]のおかげで、生きてる。

だから今度は、あなたを[YES]にしたい」




どこからか届くその声に導かれ、

浅倉は足を動かした。



―――


ビルの屋上。

そこに立っていたのは、かつて浅倉が守れなかった部下の美月だった。

[NO]を言えずに心を壊したあの子が、

今は穏やかに笑っていた。


「美月……なのか」


彼女は静かに頷いた。

「世界は[NO]で壊れたけど、同時に[YES]を探す人も増えたの。

誰も命令されず、誰も従わない世界で、

初めて[選ぶ]ことができた」


浅倉の頬を、一筋の涙が伝った。


「じゃあ、もう俺の役目は終わりだな」


彼女は微笑んだ。

「ううん。最後の[NO]を、まだ言ってない」


「……最後の?」


「[自分を責めるのは、もうやめます]を」



―――


その言葉を聞いた瞬間、

浅倉の体から光が零れた。


街中のスピーカーが一斉に震え、沈黙していた世界に、小さな声が戻り始めた。


「おはよう」

「ありがとう」

「ごめんね」


人々の声が街を満たしていく。


美月がそっと手を伸ばすと、

浅倉はその手を取った。


風が吹き抜け、二人の姿は薄い光に包まれた。


「声は刃だった。けれど、刃は光にもなる」




そう言い残して、浅倉は消えた。



―――


翌朝、新聞の見出しはこう書かれていた。


[奇跡の夜!世界中で言葉が戻る]




公園のベンチには、ひとつの紙コップ。

その底に、ボールペンでこう書かれていた。


[YES、僕らは生きている。]




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YES&NO 志に異議アリ @wktk0044

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