マグノリアの浜

最中

マグノリアの浜

 見慣れた光景、見慣れた文字列、見慣れてしまった結果。壁に堂々と飾られている大きな額縁の中には、大輪の向日葵が華やかに咲き誇っている。今回の絵画コンクールの結果も、いつもと大して変わらなかった。絵画の下のプレートには、「御守天奈」の名前がつづられていた。

 高校一年生の冬からこのコンクールを目指して描いてきた渾身の一枚、高校二年生になったばかりの今、美術大学を目指す身として賞の一つぐらい取っておけたら、なんて考えていたものの、私の絵は表彰台に乗ることも審査員の琴線に触れることもなかった。有象無象の中に埋もれてしまった。展示室の入り口から遠く、大賞の絵を通り過ぎた位置に飾られている私の絵に足を止める人はいなかった。

 行き場なく会場内をふらついていると、突然後ろからがばっと抱き着かれる。

「とーおーかちゃんっ!」

「わっ…あ、天奈。やめてよびっくりするじゃん。」

楽しそうにニコニコ笑うのは御守天奈、私の友達であり、今回のコンクールで大賞を取った向日葵を描いた本人だ。ごめんごめん!と言って私から離れると、それでもまだすぐそばで話を続けてくる。

「しばらくいろんな人に声かけられてさ~!もー疲れたぁ!」

「そっか、お疲れ様。…今回の絵も、きれいだもんね。」

「ほんと?ありがと透香ちゃん!透香ちゃんの絵もすっごい上手だよ!」

「あり、がとう。」

 つい言葉に詰まってしまう。そっちの絵に比べれば大したことないじゃん、皮肉にしか聞こえないよ、大賞取った天奈に言われたって嬉しくない。零れそうになるドロドロ薄暗い言葉を抑え込んで、取り繕って、やっと一言を絞り出した。明らかに違和感があっただろう私のレスポンスを意にも介さず、天奈はとりとめもないおしゃべりを続ける。

 きっと天奈は次の全校朝会で表彰されて、今日あったセレモニーみたいに拍手を浴びる。向日葵の絵も、数か月後に控えた全国コンクールに出展されることになっている。あの絵なら全国でもいい結果を残すことだろう、と思う。ここまでの実績を残せば入試でも加点が付くことだろう。まさに順調というべき道を天奈は歩いている。本当は私がたどりたかった道を、天奈は進んでいる。

 天奈はずっとあの絵の向日葵よろしく眩い笑顔を浮かべている。対して私は、やるせない気持ちと醜い嫉妬、劣等感を抱えたまま、ぎこちなく笑っていた。


 あれから数か月、季節は移ろい夏になった。期末試験も終わって、夏休みの足音が聞こえてくる。クラス全体、いや学校全体が浮足立っているように感じる。私はと言えば、それでも愚直に絵を描き続けていた。受験の加点のために賞を取るなら早いことどうにかしないといけない。半ば焦りに近い気持ちで、私は美術室の住民になっていた。

 今週からは毎日授業が午前で終わる。授業が終われば教室内はすぐさま騒がしさを取り戻す。足早に部活動に向かう者、雑談に花を咲かせる者、青春の一ページ作りといわんばかりに街へ遊びに向かう者など、様々だ。私も、それに続く、という訳ではないが、手早く荷物をまとめ美術室に向かう。

 教室を出て廊下を歩いていく。この時期にわざわざ美術室を訪れる生徒はそうそういない。だんだんすれ違う生徒も減っていく。そんな中突然、後ろから腕をつかまれた。驚き声を上げて振り返るとそこには、

「ねぇ透香ちゃん、海行こうよ!」

いつもと変わらぬ様子の御守天奈が、笑顔を浮かべてそこに立っていた。


 そんなわけで、いやどういうわけか、私と天奈は二人きりで海へ向かうローカル線に乗っていた。昼下がりの強すぎる日差しが車内に差し込む。いくら学期末とはいえ、わざわざこんな時間に海へ向かう人はおらず、車内には私と彼女の、本当に二人だけだった。静かすぎる車内で声を上げるのは何だかはばかられて、というのは建前で、この前のコンクール以来私の方から一方的に距離を置いていたため、勝手に気まずさを感じていたために黙っていた。

「なんかこーやって話すの久しぶりだね!最近おしゃべりするタイミングなくてさみしかったんだよ?」

「あ、そう、だね。なんかごめん…?ずっと絵の練習してたからさ。」

 痛いところを突かれてしまった。別に天奈が悪いという訳でもないのに避けていたことに対する後ろめたさが隠し切れない。だからといって謝るわけにもいかず、頑張って話題をひねり出す。

「そういえば、あの、コンクール大賞おめでとう。…面と向かってはっきりとは言ってなかったから。」

「えへへ、ありがと!っていっても何か月か前だけどね。」

「そういえば、なんでモチーフに向日葵選んだの?いつもは風景画とかの方をよく描いてる気がするけど。」

「んー、なんとなく?ぱっと思いついたっていうか、印象に残ってたっていうか?とにかくきれいだなぁって思ったんだよね!」

「そっか。…色使い、すごくよかったよ。」

「えー?そんなに言われると照れちゃうな。ありがとうね!」

罪悪感が心を蝕む。別に実際に天奈に対して悪いことをしたわけじゃないけど、どうしても良心が痛む感覚がなくならない。天奈の笑う顔を見ていたらなおさらそれは強くなった。

 天奈は才能がある。あらゆる面で才能を持っている。絵の才能、色彩感覚や構図の作り方といったところはもちろんのこと、人に愛されることも天奈の才能の一つだ。先の会話でも分かるように、常に笑顔を絶やさないし、褒め言葉を受け取るのも上手。少々幼いところはあれど、それすら愛嬌だ。私はそんな天奈のことが、ずっと羨ましくて、敵わない自分が悔しくて、大嫌いだった。


 田舎ではない。かといって都会かと言われればそんなことはない。近くを通るローカル線に三十分程乗れば海にたどり着く。これが私、日向透香の生まれ育った町だ。私はこの町で絵を描いて育ってきた。

 変わり映えのしない毎日に変化が訪れたのは小学校高学年の頃。私のクラスに転校生が入ってきた。名前は御守天奈。かわいらしい女の子だ。天真爛漫な彼女はすぐさまクラスの人気者になった。でも、一番仲良くしていたのは私とだった。席が近く、絵という共通の趣味があった以上、仲が深まるのは至極当然な流れだった。小学生の頃はそれだけだった。ただただ二人で絵を描くのが楽しかった。

 ずれ始めたのは中学生の頃。その頃から私は本格的に絵の道を志し始めた。そこで初めて気づいた。気づいてしまった。私には芸術に関して目立った才能がない、そして、彼女には絵画の才能があるということに。それに気づいた日から、私は徐々に天奈と距離を置き始めた。といっても違和感を感じさせるほどではなく、しかし明確に絵を描くときは天奈から離れるようになった。それが意識的だったか無意識的だったかは私にもわからない。でも、天奈の絵と並ぶ私の絵はとても稚拙に見えて嫌だった。多分そう思ってた。だから離れた。けれど天奈はそんな私の内心など露知らず、いつも私に近づいてきた。私が一人で絵を描いていたらすぐに隣に椅子を置いて絵を描き始める。私が一人で歩いていればがばっと抱き着いてくる。私が完成させた絵を見れば自分の絵への評価など気にもせずほめちぎる。決して私の近くから離れることはなかった。そんな私の気持ちも知らず遠慮などなしに近づいてくるところが、絵の才能があるところが、大嫌いだった。だけど、天奈の為人、天奈の言葉、何より天奈の絵は大好きだったから、完全に離れようとはできなかった。

 そんなぐちゃぐちゃの心のまま、私たちは同じ高校に進学して今に至る。でも、確かに長い付き合いではあるけど、突然「海に行こう」なんて突拍子もないことを言い出すことは今までに一度もなかった。いつにも増して天奈の真意をつかみかねていて、会話にも身が入らない。

 そんな状況を何とかやり過ごしていると、電車が停車する。気づけば目的の駅に到着していた。ついたー!と言って私の手を引く彼女に連れられ電車を降りると、早くも潮の香りが漂ってくる。無人改札を抜けほんの少し進めば、目の前には雄大な海が広がっていた。

 どこまでも続く水平線は夏の快晴と溶け合って、青色に揺らめいている。水面は夏の光を乱反射して、サファイアを思わせるような輝きを放っていた。打ち寄せる波の奏でる音が心地よい。どんなにぐちゃぐちゃな精神状態であっても、海はこんなにも美しい。つながれた手を気にも留めずそこに立ち尽くす。久しぶりに見た海に目を奪われていたが、浜辺に向かって走っていく天奈の姿が目に入ってはっと我に返った。天奈は砂浜に足を踏み入れると同時に靴と靴下を脱ぎそこらへんに放り投げた。そして人一人いない海辺を駆けていく。日差しで温められて砂浜が熱いのか、足の動きはせわしない。それでも天奈は楽しそうに海を見ている。

 海を映すその瞳があまりにも輝いているものだから、本当に私と同じものを見ているのかわからなくなる。天奈にはこの海はどう見えているのだろうか。あんなに美しい絵を描く彼女のことだから、私が見るそれより色鮮やかできらきらしているのか、それとも私には想像つかないような見え方なのか。海の美しさで一瞬忘れかけていた嫉妬が再び顔を覗かせた。

 「透香ちゃん!はやくこっちおいでよ!ずっとそこにいても退屈だよ?」

 天奈の声で意識が引き戻される。はっとして、

「あ、う、うん。」

と答え、ほぼ反射的にそちらに向かって走り出す。靴を脱げば、砂の熱さが直に伝わり思わず顔をしかめてしまった。

 天奈はその足を海に浸し、波と戯れていた。天奈が足を動かす度波の音にぱしゃぱしゃと水が跳ねる音が混じる。彼女が動けば、それにあわせて制服のスカートがふわりと広がった。強すぎない海風が彼女の長い髪を揺らす。揺れる髪は太陽の光に照らされきらめいた。跳ねる水に、揺れる髪に、天奈はきゃらきゃらと笑っている。その姿があまりにも美しかったものだから、足裏の熱さも忘れ動きを止めてしまう。その様子を見た天奈は不思議そうに私のことを見つめた。

 「透香ちゃん、今日ちょっと変だよ?調子悪いの?」

「え、いやそんなことはない、けど。…でも、気になることは、ある。今日どうして急に海に行こう、なんて言い出したの?」

そう尋ねると、一瞬、天奈の表情に陰が差したような気がした。しかしすぐさまいつも通りの笑顔に戻って、

「…前に透香ちゃん、海の絵描いてたでしょ?それ思い出して、海見たくなったんだ!」

「ええ…?そんな急に?」

流石にこの返答には違和感を覚える。天奈はこんなに訳の分からない理由を出してくるような人ではない。何かごまかしているのではないかと思い、じっ、と軽く疑うような目を向け続ければ、ごまかすことを諦めたのか、

「あとはー…リフレッシュ、かな?」

一瞬の間、のちにぽつりと呟いた。

「全国コンクール、だめだったんだ。」

 一瞬耳を疑った。結果なんてわざわざ聞いてなかったけれど、なんとなく入賞したものだと思い込んでいた。

「こっちのコンクールじゃ賞もらったからさ、全国の方でも入賞できればいいなーって思ってたんだけど…てんでだめで。入賞どころか佳作ももらえなかった。そっから悔しくて、なんかうまく筆が動いてくれないの。」

天奈の言葉を聞いて、私はどんな表情をしていただろうか。でも少なくとも、私は少し喜ばしく感じていた。だって分かったのだ、彼女が、天奈が一人の凡人だったんだということが。今までただ楽しそうに、さらっと地域のコンクールを総なめにしていた天奈だって、こんな風に苦しむんだ。

「でも前に透香ちゃん海の絵描いてたでしょ?ちょっと前に偶然美術準備室でそれ見つけたんだ。それ見たらさ、心がすーってしたっていうか、まだ描けそうだなって、救われた気分になったの。そこから透香ちゃんと海見たいなーって思ったの!」

「…ほめてもらえるのは嬉しいけどさ、なんか大げさじゃない?私の絵は別にそんな大層なものじゃないよ。」

「透香ちゃんがなんて言ったって、透香ちゃんの絵は私にとってすごいものなんだよ。」

そう言うと、天奈は向かい合っている私の手を取る。そして優しく両手で私の手を包み込んだ。

「私、透香ちゃんの絵が大好き。ゴッホだってモネだってどんな画伯も敵わない。今回だけじゃないよ。うまく描けなかった時だって、悲しかった時だって、苦しかった時だって、私は何回も透香ちゃんに救われたんだよ。」

そう言って、真っ直ぐ私のことを見つめる。天奈がこんなに私の絵を好きでいてくれているなんて知らなかった。今まで言われたことないような言葉を真っ向からぶつけられて、返す言葉を見つけられない。ただ頬が徐々に熱くなっていくのを感じていることしかできなかった。


「隙ありっ!」

 突然強く腕を引っ張られた。気を抜いていた私はバランスを崩してそのまま天奈と一緒に二人して海へ倒れこむ。

「もう、ちょっと天奈っ!」

と、文句を言おうとしたが、顔を上げて彼女の表情を見たらそんな気も失せた。

「んふふっ、隙を見せた透香ちゃんが悪いよっ!」

と言う彼女があまりにも愛おしそうで楽しそうな表情で笑っているものだから、怒る気もすっかり無くなってしまった。それどころか、なんだか可笑しくなってしまってつい吹き出してしまった。頭から髪から服に足先まですっかり濡れてしまって、いくら夏とはいえ体は冷えるし海水でベタベタして気持ち悪いしで決して心地のいいものじゃないけど、でも、二人波打ち際に座り込んだまま二人してからから笑っていた。


 だんだん日が傾き始めて、太陽が夕日へと姿を変えていく。私たちは二人並んで波止場に座っていた。あの後も二人でびしょびしょになりながら海遊びをしていた。流石にびしょ濡れのまま電車に乗るわけにもいかないので、夏の日差しを信じて服が乾くのを待っていた。言葉一つ無く、ただ波と風の音だけが二人きりの海を満たしていく。そんななまぬるい時間が流れる中、天奈がおもむろに私にもたれかかってきた。そして、静かに、ゆっくりと口を開く。

「私、透香ちゃんのことだいすきなんだ。だって、急に海に行こうなんて言ってついてきてくれるぐらい優しい人だから。世界一大事な友だちなの。…こういう風に一緒にいられるの、しあわせだなぁ。」

 どうやら眠くなってしまったようで、少しろれつが回らなくなってしまっているようだった。眠さのせいかいつにも増してストレートな言葉が恥ずかしくて、「…そう。」とだけ、そっけなく返事をした。

「…透香ちゃんは?私のこと、すき?私って透香ちゃんにとって大事な友だち?」

そんな質問に思わず笑みが漏れる。そして、

「んー……秘密。」

とだけ返した。普通なら伝わらないけれど、天奈ならきっとわかってくれる。その証拠に天奈は、

「…もう、ずるいなぁ。」

と言って、ふわりと笑った。


 どこまでも続く水平線は夏の夕日に染められて、赤色に揺らめいている。水面は夕日を乱反射して、アンバーを思わせるような輝きを放っていた。打ち寄せる波の奏でる音が心地いい。

あぁ、どんな時であったって、海は美しい。

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マグノリアの浜 最中 @Monaka_bitter

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