第16話秘密の共有

 俺がルナに聖痕を刻んでいる間にも、地下の秘密基地では、俺の忠実な相棒が忙しく立ち回っていた。イシュラーナには、元の異世界にある本体マザー「エルファリア」への通信という巨大な目的があった。そして、その通信の準備こそ、コロニー計画の実行の始まりだ。遥か彼方の宇宙空間に建設される巨大な円筒コロニーの姿が、イシュラーナの演算空間に壮大なスケールで映し出されていた。


 俺は、ルナの全てを俺の形に馴染ませた満足感と共に、そっとベッドから抜け出した。その体には、愛の証と幸福感だけが残っている。


 キングサイズベッドの上で、ルナは深い愛の契りのあとの心地よい眠りに沈んでいた。俺は、汗に濡れた美しい横顔に優しくキスの挨拶をし、元の安アパートを引き払うために秘密基地を後にした。


 数時間後、深い愛の契りのあとの心地よい眠りから、ようやくルナは目覚めた。


 彼女の顔は、耳まで真っ赤に染まり、先ほどまでの激しい愛情の交換を思い出しているように照れた表情を見せていた。体には、俺の愛の痕跡が残り、全身が幸福な熱を帯びている。


「わたしったら、ぐっすり眠ってしまったのね。お陰でトールさまのお見送りもできなかったわ。トールさまはどちらに?」


「姐さん、お愉しみのところ恐縮ですが、」


 ルナの甘い陶酔を打ち破るように、冷徹で事務的なイシュラーナの声が、スピーカー代わりの高性能スマホから響き渡った。


「はっ、はぃぃ?」


 ルナの裏返った返事が、デザイナーズマンション風のワンルームに響く。彼女のポンコツな反応は、愛の余韻とイシュラーナの現実のギャップによるものだ。


「明日からの渋谷上級ダンジョンの情報共有をお願いしたいので、とっととシャワーを浴びてきてください」


 イシュラーナの遠慮ない言葉は、ルナのプライドを全く考慮していない。「愛の共同作業」と「タスクの遂行」の境界線は、イシュラーナの中には存在しない。


 ルナは、キングサイズベッドの上で羞恥心と闘いながら、最強のAI相棒からの冷酷な命令を受け入れた。


「もう、わかったわよ」


 ルナは、怒りと諦めが混ざった愛らしい悪態をつくと、皺くちゃになった下着姿のまま、シャワーブースへと向かった。


「はて? ルナ姐さん、いきなり覚醒しましたね」


 イシュラーナの意味深な独り言が、ワンルームの空間に静かに広がる。その「覚醒」が、肉体的な快感によるものか、あるいは俺の壮大な計画に本格的に巻き込まれたことによる使命感なのかは、イシュラーナのみぞ知るところだった。


 俺が安アパートの荷物を引き上げ、最低限の買い物を終えて「愛の巣(秘密基地)」に戻ってくると、デザイナーズマンション風のワンルームは既にビジネスの空気に満ちていた。


 キングサイズベッドの脇にあるダイニングテーブル。そこでルナがコーヒー片手に、空中にいるはずのイシュラーナと打ち合わせの最中だった。


 ルナの容姿は、笑顔の20代の女性。艶やかなアッシュブラウン色のセミロングヘアの髪の毛はサラサラと光を反射している。柔らかな生成り色の、とろみのある素材のリボンタイブラウスをまとい、リボンは大きめに、ゆったりと結ばれている。ボトムスは、ブラウスと同系色のベージュのワイドパンツで、足元までストンと落ちるシルエットだ。その目元の艶と肌の潤いが、夜の愛の証を雄弁に物語っていた。


「ただいまぁ。ルナ、おはよう」


 俺は、愛の夜を経た後の挨拶を、最も親密な響きを込めて告げた。


「おはようございます、御屋形さま」


 イシュラーナが、スマホ(筐体)から、律儀な挨拶を返してくる。ルナは、俺の顔を見て愛おしそうに微笑んだ。


「引っ越し完了です。ここが今日から俺たちの拠点です」


「トールさま、お手伝いできず恐縮です」


 俺は、ダイニングテーブルのサーバーからコーヒーをカップに注ぎ、ルナの隣に腰かける。昨夜、羞恥心で赤面したルナは、もういない。目の前には、公私を使い分ける大人の女性の顔があった。


「ルナも落ち着いたようだし、今後の話をしたいと思っていたんだ」


 俺は、意を決して切り出した。


「はい」


 ルナは、椅子に座り直し、俺の目をじっと見つめてくる。その瞳には、愛と、俺の野望への理解を示そうとする真剣な光が宿っていた。


「まずは、俺の話を聞いてくれる?」


「はい」


 俺は、自身の驚愕の出来事を掻い摘んで話し始めた。


「まず、俺は異世界から帰ってきたんだ。その時、中央指令ゴーレム、通称『マザー』から、俺の世界再建計画の相棒として、イシュラーナというAIつまりこのスマホの核になっているスーパーチップをもらってきた。それとこの棒。」


 ルナの瞳が、イシュラーナのスマホと俺の杖を交互に見る。


「イシュラーナの最終目的は、宇宙空間に巨大な円筒コロニーを建設する、『惑星間活動再開計画』だ。そのためのエネルギー源として、この地下に『闇魔力炉(核融合炉)』を作る必要がある。だから、ルナに無理を言って『青紫色の極大魔石』を要求した」


 ルナの顔から、徐々に表情が失われていく。


「とまあ、そういうことなんだよ」


 俺が、全てを話し終えると、ワンルームには静寂が訪れた。ルナは、コーヒーカップを持ったまま、口をポカンと開けていた。


 優雅なブラウスとワイドパンツの着こなしとは裏腹に、その表情は、普段の彼女からは想像もつかないほどの「ポンコツ顔」だった。切れ長の瞳は、焦点が合っておらず、世界がひっくり返ったことを認識しようとして、完全にフリーズしているかのようだ。


「…………えっ……そ、それって……異世界……コロニー……」


 彼女の口から出たのは、意味をなさない単語だけだった。


「御屋形さま、ルナ・マイヤー氏の感情処理が『限界値』を超えました。エラーコード:『世界観崩壊に伴う処理停止』。彼女のシステム再起動には、糖分と、御屋形さまによる愛情の補給が必要と判断します」


 俺が異世界からの帰還、AI相棒イシュラーナの壮大な「惑星間活動再開計画」、そしてその核となる「闇魔力炉(核融合炉)」建設のために、ルナに無理を言って「青紫色の極大魔石」を要求したという驚愕の告白 ―。その情報過多で一時停止(フリーズ)していたルナの「システム」は、俺の優しい抱擁と、口づけという愛の魔術によって再起動した 。


「はっ、わたしったら……」と、我に返ったルナは、まだ頬に熱を残しながらも、俺の野望のスケールを測りかねている。


「まあ、ゆっくり理解してくれればいいから……」


 俺は、そう言って彼女の肩をそっと抱き寄せると、キッチンへと向かった 。愛の契り、そして世界観の崩壊という激動を経たルナには、精神的なケアだけでなく、温かい現実(リアル)な糧が必要だと、俺は本能で理解していた。


 俺が取り出したのは、現世パラレルワールドに帰ってきてから、ずっと渇望していたというマーボー豆腐の材料だった 。


 俺の手捌きは、まるで迷宮(ダンジョン)のトラップを解除するがごとく、迷いがなかった。ネギを刻む音は、剣閃のように鋭く 。ニンニク、ショウガがみじん切りにされ、フライパンの炎の釜に投じられると、異世界の香りのような芳醇なアロマがワンルームを満たした 。


 豚ひき肉(ルナの好みを知っているかのように豚肉だ )が炒められ、豆鼓醬(トウチジャン)、甜麺醬(テンメンジャン)、そして豆板醤(トウバンジャン)という、東洋の秘薬が次々と投入される 。赤い麻婆ソースは、俺とルナが今しがた潜り抜けてきた愛の熱のように、深い赤みを帯びていく。湯通しされた木綿豆腐が、そのソースを纏い、中華スープがその熱を優しく受け止め、水溶き片栗粉でとろみがつくと、それはまるで闇魔力炉(核融合炉)の炉心のように、とろりと、しかし確かな質量を持って完成へと向かう 。


 仕上げにごま油がフライパンの縁を伝って回し入れられると、マーボー豆腐は、俺の「愛の巣」の中心で、金色と赤の聖痕(しるし)を放った 。


「ルナ、おなかがすいたでしょう」。


 俺は、完成したマーボー豆腐を白い皿に盛り付け、湯気を立てる白いご飯と共に、ルナの前に静かにサーブした 。その皿の上の光景は、昨夜の激しい抱擁の後の安らぎを体現しているかのようだった。


 俺は、紹興酒の瓶を取り出し、「また、紹興酒で乾杯」と、優しく微笑みかける。


 ルナは、まだ頬を赤く染めながらも、目の前の現実の料理に吸い寄せられた。優雅なブラウスとワイドパンツの着こなし とは裏腹に、彼女はスプーンを手に取り、熱々のマーボー豆腐とご飯を口に運んだ。


「んっ……!」


 ルナの目が見開かれた。その味は、激辛な愛の告白と、深い包容力が混ざり合った、「俺の味」だった。豆板醤の刺激的な辛さが、彼女の体内に残る羞恥心とフリーズの残滓を吹き飛ばし、ひき肉の旨味と甜麺醬の甘さが、俺の支配的な愛のように、優しく、しかし有無を言わせぬ力で彼女の舌を包み込む。


 紹興酒の乾杯の音と共に、ルナの表情はみるみるうちに緩んでいった。その艶やかな目元 に、今度は羞恥ではなく、純粋な幸福感が宿る。


「トールさま……美味しいわ」


 その一言は、世界観の崩壊も、コロニー計画も、全てを許容できるほどの、最高の降伏のサインだった。


 俺は、ルナの満足そうな顔を見て、心の中で確信した。


(愛と支配は、肉体の奥底で永遠の楔を打ち込んだのだ)


 ルナの体と魂には、俺の聖痕が深く刻まれた。そして今、彼女の味覚もまた、俺の創り出す世界に完全に順応し始めていた。キングサイズベッドからダイニングテーブルへと移った二人の愛の共同作業は、目の前のマーボー豆腐を通して、新たな、より強固な次元へと昇華していたのだ。


 俺は、再び紹興酒を注ぎながら、ルナの瞳を見つめる。


「さあ、ゆっくり食べて。これから俺たちの秘密の共有は、まだまだ続くんだから」


 俺の言葉には、愛と野望の炎が宿っていた。そして、ルナは、その炎に照らされ、俺の隣で、もう二度と離れられないと知っていた。


(あぁ、トールさま。今夜もわたくしを『大聖女』へと導いてくださるのですね)



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