つじつまが気になる私。

@yana_1018

第1話



運命ーー人間の意志を超越して人に幸、不幸を与える力


 これはあくまで私の主観なんだけど、みんな運命って言葉好きだよね。物事をドラマチックに表現してくれる。フィクションでも再々登場する。


 でも、この言葉の使われ方、私には気になるんだ。

 実際に起きた事象(過去)を指して、これがあなた(世界)の運命だったんだと人に現実を突きつける。この使い方に違和感はない。問題は次。

 未来を指してこれがおまえ(世界)の運命だと押し付ける。これはどうなんだろうか?


●運命とは人の意志を超越した力=人に予測も予想も出来ない事


 だと、私は考える。しかしながら人はしばしば、日常でもフィクションでも予測(環境要因)や予想(主観)を元にした推測を『運命』だと表現することがある。例えば、運命に立ち向かう姿を描くという構図。私の考えでは人は運命(未来)を知ることは絶対に出来ない。しかしこの構図を見ることは非常によくある。

 何故か?美しいからだ。世の中は理不尽で溢れている。人が生き続ける為にはこの理不尽(運命)に立ち向かい続けなければならない。つまり、「運命」という言葉は「理不尽」の比喩的な表現だと考えられる。この理不尽に抗う力は人にとってなにものにも変えられない。だからよりドラマチックな表現が求められるのだろう。

 構図は美しい。しかし、文脈には矛盾が残る。私はこれが気になって事あるごとに話を進められない。




 長々と話したけど簡単に言えば


A「これがお前の運命なんだ!受け入れろ!」

B「運命は自分の手で変えてみせる!」


 いや二人ともなんでこの先の運命を知ってる前提で会話してんの?知ってる時点でそれは運命と呼べないだろ!…って突っ込みたいだけの話(笑)

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