第3話 日常のひび割れ
そう、ここが今の私の居場所だ。
古い紙の匂いと、風鈴の音が混ざる静かな午後。
外では子どもたちの笑い声。
――穏やかで、何も起こらない時間。
「焔花、昼はもう食べたか?」
帳場の奥から文蔵さんの声がする。
「まだです。ちょっと買ってこようかと思って」
「なら、わしの分も頼んでいいか? いつもの卵サンドでな」
「はい、了解です」
そう答えながらエプロンを外すと、文蔵さんが目を細めて笑った。
「……最近、表通りの客が減ったな。守炎者の見回りが増えてるせいかねぇ」
「そうみたいです。さっきも巡回してました」
「ま、平和である証拠だ。だが気をつけるんだぞ。
この街にも“逆炎者”の噂が立っておる」
「はい」
そう返して、私は小さく息を吐いた。
逆炎者――炎を悪に使う者たち。
文蔵さんの言葉が、胸の奥で静かに反響する。
でも、今日はそんな暗い話よりも。
久しぶりに晴れた空を見上げて、昼の光を感じたかった。
ドアの鈴が「カラン」と鳴る。
私は買い物袋を手に、通りへと出た。
……このあと、何が起きるのかも知らずに。
通りには昼のざわめきが広がっていた。
商店の呼び込み、子どもの笑い声、パン屋の香ばしい匂い。
私は袋を抱えて、時雨堂へと戻る道を歩いていた。
――そのときだった。
遠くから、怒鳴り声と人々の悲鳴が聞こえた。
胸の奥で何かが冷たく揺れる。
音のする方へ目を向けると、時雨堂の前に人だかりができていた。
「やめてください!」
「誰か!守炎者を呼んでくれ!」
その叫びで、私は一気に走り出していた。
袋から転がり落ちるサンドイッチの包みなんて、どうでもよかった。
店の前では、見慣れない男が文蔵さんに詰め寄っていた。
怒りで顔を真っ赤にし、手には光を反射する刃物。
「……金を出せ!!」
「そんな馬鹿なことを言うもんじゃない」
文蔵さんは落ち着いて言ったが、その声が少しだけ震えていた。
男が腕を振り上げた瞬間、
私は気づいたときにはもう、身体が勝手に動いていた。
――カラン。
男の手からナイフが落ちる。
男の腕を押さえ込み、軽く体をひねる。
力を込めずとも、相手は抵抗する間もなく倒れた。
「……っ、文蔵さん、大丈夫ですか?」
「お、おお……焔花、ありがとう。助かったよ」
周囲が静まり返った。
何人もの視線が、私に集まる。
……しまった、やりすぎたかも。
そのとき、背後から低い声がした。
「今の動き……素人には見えなかったな」
赤い徽章を胸に付けた男が現れた。
守炎者の制服。しかも――ただの巡回ではない。
その佇まい。
放たれる圧。
炎の気配が空気を震わせた。
……幹部の人間
焔花は、直感でそう思った。
男の声は落ち着いていて、どこか探るようでもあった。
「いえ……そんな事ないです。たまたま動いてしまっただけで」
「――炎の気配が強い。君、炎の能力を持ってるね。」
「はい。」
「――君、名は?」
一瞬、言葉に詰まる。
名乗るべきか。隠すべきか。
「……青藍、焔花です」
「青藍、か。……ふむ。いい動きだった。
俺は炎術士育成局のものだ。君のような者を歓迎するだろう」
「……私が、ですか?」
「力を持つ者は、使い方を学ぶべきだ。守るためにな。
一度局に来てはみないか?」
そう言って男はゆっくりと背を向けた。
制服の裾が、夕陽を受けて赤く燃える。
――守炎者。
国が誇る“ヒーロー”。
けれど、私にはまだ、その言葉が少し遠く感じられた。
文蔵さんの無事を確かめながら、私は胸の奥で何かが目を覚ますのを感じていた。
それが“運命”なのか“罠”なのか――このときはまだ、分からなかった。
アイン -Ain- ちゃき @saki216
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