第37話 匪賊


 厠から出ると、鉄戈てっか阿怜あれいの思い出を頭から追いはらって、こうべをめぐらせ周囲を見まわした。ゆうべから幾度か感じていた違和感を、このときも感じたからだ。つよい殺気ではない。だが緊張感のある視線が自分にそそがれているような気配――鉄戈は廊下と庭とを交互に注意深く観察したが、なにも見つけられないと詮索を打ち切って歩きだした。

 ところが庭のさき、宿のすぐそとから伸びて庭を見おろすように枝葉を茂らせる樅の樹のうえにそれはいた。樅の梢にまぎれていた寅照いんしょうを鉄戈が見つけられなかったのは無理もなかった。めまぐるしく入れ替わる辺境の実力者たちのあいだを寅照はするする渡りあるいて、その筋の者たちには知られた西域随一の間諜だったから。先頃の政変でそれまでの主をうしなったかれは、ちょうど巡察使を拝命した范雍はんようのあたらしい飼い犬となったのだった。

「奴らを探し出して張りつけ。様子を観察し、できるなら弱点を見つけよ」

 あらたな飼い主の命にしたがい難なく三人を見つけたものの、殺せとも捕まえろとも言わない妙な指示に、寅照はすこしばかり退屈していた。やたら剣の腕が立つとはいえ人を殺すだけが能の害獣、下命さえ頂けばさっさと始末して見せるのに。

「すこしつついてみるか」

 弱点を見つけよと言われた以上、ただ見ているだけでは芸がないというものだ。淫靡に笑って、昔なじみの悪党どもをあつめる算段を寅照ははじめた。


 違和感の答えを見つけられないまま部屋に戻った鉄戈は、なにか妙なことは起こっていないかポーリャに問おうと顔を向けたが、とたんに言葉をつまらせ顔をそむけた。

「なによ、どうかした?」

 怪訝な顔をするポーリャに、ちょうど目を覚ました阿怜がだまったままポーリャの鏡を手わたした。

「げ」

 手鏡のなかの自分の姿を見てポーリャは絶句した。もともとくせっ毛のポーリャの髪は、連日晴れの太陽で傷めつけられたためか重力にさからってたんぽぽの綿毛かライオンのたてがみかと言わんばかりにふわふわに逆立っていたのだ。

「吹いたら飛んでいきそうだな」

 すずやかな声で阿怜が言った。歯の奥で笑いを堪えていた鉄戈は、とうとう笑ってしまった。おかげでさっきから感じていた視線のことは忘れてしまった。


 ロフシャンは今回は宿には泊まらなかった。

「まず馬車の番が必要だってのが一つ。あと一つは、宿代がもったいねえ」

 宿に泊まらないのかとたずねた阿怜に、ロフシャンはこう説明した。

「寝るのなんざどこでもできるさ」

 昨日そう言ったロフシャンは、その言葉どおりにたっぷり休養をとれたようだ。隊商の荷車が続々あつまってくる広場でもう馬車の準備は済んでいた。

 出発をまえにした客たち目当ての屋台がそこらで煙をあげていた。ポーリャの手に包みが三つもぶらさがっているのは、屋台をはしごして調達したのにちがいない。

「今日も頑張ってちょうだいね」

 馬車をひく二頭の馬に声かけて頬をなで、きのう市場で買っておいた塩を与えた。どうしてもまとまらない髪を水で濡らしてむりやり寝かせつけたおかげで、まだ濡れているポーリャの髪から馬の顔にしずくがしたたり落ちた。それでも紐でくくっておかなければ、かわいたころにはたんぽぽの頭に逆戻りするだろう。

「ヴェールをかぶっといたら?」

 阿怜が言ったが、

「しばらくやめとくわ。また役人に目をつけられたらいやだもの」

 と答えて馬車の荷台に乗りこんだ。朝の光に、しずくを含んだ金色の髪がきらきら光った。ポーリャは手鏡に映った自分の姿を思い出してくっくと笑い、ラクダの引き綱をもって歩く鉄戈に馬車のうえから声かけた。

「カーチャも笑うんだね。いい表情かおだったよ、もっと笑えばいいのに」

「おもしろけりゃ笑う」

 さっき笑ったのがうそのように、鉄戈はとりつく島もないつめたい顔で言った。



「厄介な道になってきやがったな。あんたたちも馬かラクダを買っといた方がいいぜ」

 粛州を出て半日ばかりのあいだで四度目に車輪が砂に埋まったあと、ロフシャンが言った。周囲は日に日に赤が目立つようになり、道のよこを流れる河の岸沿いにポプラと紅柳タマリスクが生えるほかに木は見当たらなくなってきている。以前は町と町のあいだにまばらながらも村が見られたのが、いまやときおりすれちがう隊商以外に人の気配はない。

「こっからさきはずっとこんな感じさ。匪賊なんかも出るし、もうたいへんよ」

 ロフシャンがまだなにか言おうとするのを制して鉄戈が、沙漠の民がヤルダンと呼ぶ砂山のかげからあらわれた一団を指さした。赤い大地を蹴たて砂塵とともにやってくる集団は三十騎ほどだろうか、馬を駆歩から襲歩に移してどんどん真っ直ぐこちらに向かってくる。

「……あれが匪賊か?」

 阿怜が感心したように言った。

「ロフシャンの言ったとおりになったな」

「呑気に言ってる場合じゃないわよ。ロフシャン、どうすんの?」

 ポーリャが問うた。ロフシャンは腕組みをした。

「応戦して追っぱらうか、おとなしく荷物を差しだすか、だが――」

 言いかけながら隊商の頭領から発せられる指令の旗を見て、威勢よく言った。

「応戦だな! 兄さん加勢してくんな、荷物と仲間を守るんだ」

 鉄戈に声をかけ、自身も御者台の下から弓矢を取り出した。護衛のためにやとわれた連中が馬で出て匪賊のまえに立ちはだかり、他のメンバーは一列に長く伸びていたラクダや荷車を防御のために密集させようとするが、匪賊の到来のほうがはるかにはやい。護衛の兵をすりぬけては孤立した車を襲っていった。鉄戈は先日守備兵からうばいとった馬に乗って賊に向かうが、慣れない騎乗での闘いでは勝手がちがい、なかなか仕留められない。ようやくひとりをすれ違いざまに斬り倒したところで、背後からポーリャが叫ぶのが聞こえた。

「カーチャ! はやく戻ってきて。こっちがやられちゃう!」

 見ると馬車に乗り移った賊とポーリャがもみ合いになっているよこで、阿怜がさらわれようとしている。荷物だけでなく、人間も高価な商品になりうるから匪賊の狙うところだ。労働力としては成年男子の奴隷が重宝されるものの、女子供には別の需要があるから、場合によってはそれに倍する価値になる。

 まさにさらわれようとする阿怜の姿に、鉄戈は逆上した。子をうばわれた虎のように怒りで我を忘れている。馬首をかえして猛然と一直線に馬車へと戻るが、そのときすでに阿怜は匪賊の手に落ちている。砂塵が赤い曠野を染める。ポーリャは阿怜を助けようと追いかけていたのだが逆に捕まって、一緒に連れ去られようとしている。鉄戈は怒りのあまり、もはやなにも目に入っていないも同然だ。

 無我夢中で鉄戈が馬を走らせるよこを匪賊が並走する。その振るった半月刀が鉄戈の頬をかすめるが鉄戈は本能だけでよける。つづいてて刀をかまえた賊はしかし、振りおろそうとしたその腕を鉄戈に斬りおとされ、バランスを失い、うめき声を残して落馬する。主をうしなった馬が当てもなく走っていく…………

 自分が斬った人も馬も鉄戈は見ない。ただ前だけを、阿怜をかくす砂塵だけを追っている。いらぬ邪魔がはいって遅れをとったうえ、相手は生まれついての騎馬の巧者、馬上に生きる民だ。追いつくどころかみるみる離されていく。いつしか姿を見うしない、それでも砂塵と蹄の跡をたよりにヤルダンの林立する迷路を追っていくと、井戸のそばに馬が十数頭集まっているのに行き当たった。


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