第2話 無欲の化身
五時間目と六時間目が終了し、クラス毎のHR《ホームルーム》の時間になった。いつも通り、眼鏡をかけた担任がプリントを配り、明日の予定と注意を生徒に伝えて、日直が終わりの挨拶をしてHRは終了した。
現在の時刻は15時46分、一分遅れだ。まあ、それでどうにかなるということでもないので、ぼくは約束した通りに図書室へ向かう。放課後の図書室は二人っきりで話すには最適な場所と言えるだろう。なぜなら、図書室は放課後では生徒が自分で鍵を取りに行くので、先生が図書室にいるということがない。なので誰かに盗み聞きされるという危険は皆無だ。
渡り廊下を渡り、階段を登って三階にある図書室へ。扉の前には図書室の扉の前に腰掛けている見境さんがいた。もしかして鍵を持ってきていないのかな? と思ったが、ぼくが近づいていることに気がついたのか、右手に持っていた図書室の鍵を右手を振ってアピールしている。
「ごめん見境さん、遅くなった」
「ううん、大丈夫。私が早すぎただけだから」
図書室の中に入ったぼくたちは、手前の方の椅子にお互いの顔が見えるように座った。
「じゃあ話を始めようか。それで? 見境さんが話したいことっていうのは?」
「単刀直入に言うね?」
「うん、良いよ」
前置きがないのは助かる。ぼくはどちらかというと、本題を切り出してから補足説明をしてもらえる方が分かりやすくて良い。
「私と食事に付き合って欲しいの」
少し身を乗り出しかけて、興奮したような声色で見境さんはそう言った。まあ、うん、別に食事に付き合うのは良いんだけど、なぜぼくが? という疑問は当然持って然るべきだろう。
食事に付き合うといっても、それがどんな食事になるかによる。まずはそこを聞かなければ話にならない。
「どんな食事?」
「えっと……ね、菊原市にある黒牛っていう焼肉屋さんがあるでしょう? そこでたくさん食べたいの、お腹いっぱい食べたいの。でも、家族と行くのは恥ずかしいから、できれば安心できる人と一緒に行きたいな、って思ったの」
なるほど、焼肉か。しばらく行っていなかったし、タイミングも丁度良いかもしれない。けど、少し問題がある、
「お金が厳しいかも」
こういう問題があるのだ。この高校では一年生の間はバイトが禁止されている。それに加えてお小遣いが潤沢ではないぼくにとって、食べ放題だったとしても厳しいくらいだ。
「大丈夫、もちろん全部渡しの奢りだから」
任せておいて、と言いたげな顔でそう言った見境さん。なるほど、それはありがたい。けど、一つ疑問がある。
「それなら良いんだけど、一つ聞くけど、なんでぼくのことを安心できるって思うのかな?」
首を傾げて、不思議そうな表情でそう言ったのだが、見境さんはなんでそんなことを聞く必要があるの? とでも思っていそうな顔をしている。どういう顔と言い表すのが難しいが、まあ簡単に言うと不思議そうに感じている顔だ。まるで最初から分かっているんでしょう? と言いたげな表情にも見えた。
ああ、なるほど、そういうことかと思ったのも束の間、見境さんはぼくに答えを提示した。
「佐須蔵くんには欲がないの。人間の三大欲求と呼ばれる、食欲、睡眠欲、性欲……。思春期真っ只中の男子高校生ともなれば、女子と出かけるなんてもっと興奮しそうなものなのに、佐須蔵くんはそういうのを一切感じないの。なんていうんだろう、そう! 無欲の化身みたいな人だなって、今日初めて会って思ったの」
当たりだよ見境さん。ぼくはそう言いそうになった口を押さえて、口籠った。
人は欲を縛らざるを得ない環境に居続けると悟りを開くという。ぼくはまさにそんな状況に陥った。家の事情で色々あってぼくは縛られることが多かった、そしてぼくの脳みそは自然と欲に鍵をかけるが如く、中に引きこもってしまったのだ。
といっても、信じてくれない人が大半だから、口に出して言うようなことはしない。旧友である佐志糸にだってそんなことを言った試しはない。そんな馬鹿げたぼくの病状はお医者さんでも解明は不可能だとのこと。そんな内容を一般人に確かめてみろ、笑われるのがオチだ、という説明をお医者さんにされたのだから、それはもう神経にこびりついている。忘れられるはずがない。
とまあ、こんなことがあったのでぼくは無欲の化身だと言われている(一部に)。
「なるほど、それは面白い評価だね。まあ、奢ってくれる人に悪い人はいない、行こうか」
「うん、あ、言い忘れてたけど、最後まで付き合ってね? 約束だから」
ぼくは出会って数時間も経っていない付き合いの浅さで、夕食を共にするというなんとも不思議な体験をするのだった。
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