4話 様子がおかしい女/珠薊瑠璃

「は?」

「い、いや、ほら、あ、あああ、あそ、こ」


 ぶるっと興奮して震えた純が、声を顰めながら改札の方の人込みを指差す。スーツを着たサラリーマンや学生の集団が多い中、純が示す先には目深にフードを被り、黒いマスクを付けた女が居た。


 端から見たら正直誰とも判別がつかない。完全に髪も顔も隠れているし、改札前の柱に寄り掛かってスマホを弄っているから目元も見えないんだ。


菖蒲あやめちゃんって、あのあんたが送り付けてきたなんとかってグループの子?」

「なんとかじゃなくて【Arcenciel】! もうマジで神だったんだからいい加減覚えてよ!」

「知らないよ、興味ないし。てか人違いじゃないの? そんな有名人がこんな片田舎の駅ビルにいるわけないじゃん。顔も見えないし」

「いや、一瞬目が合ったけどマジで菖蒲ちゃんだから! 私が菖蒲ちゃん見間違えるわけないから! ていうか菖蒲ちゃん出身がここら辺ってアイドルとして出始めの頃に出演したローカルラジオで言ってたから全然居てもおかしくないし!」

「ふうん、なら声掛けて来れば?」

「そんなことできるわけないでしょ! もう菖蒲ちゃんはアイドルじゃなくて一般人なんだよ! 迷惑だから! これ常識だから!」

「ドルオタうるさ……じゃあほら、どこ行く?」

「待って……もう少しだけ眺めさせて……」

「いや、一般人なんでしょ? 迷惑なんでしょ?」


 あまりのガチな熱量に辟易としながら言うと、返事よりも先に鼻をすする音が聞こえてぎょっとする。


「だ、だってぇ、死亡説とか、絶対ないと思ってたけど、流れてて、生きててよかったぁって思って……本当に私、菖蒲ちゃんのステージに人生救われたから……」

「ああもう、泣くな泣くな、分かったから。ほら顔上げな」


 いつの間にか号泣し始めていた純の背を撫でて宥めつつ、涙をハンカチで拭ってやる。流石に目立ってきたから通路の端に避け、ため息を吐いた。


 ただそうして純を宥めていると、雑踏の中から、こつりと一つだけ足音が近付いてくるのが聞こえた。

 なんでもない、その他大勢の中の一つの音。でも不思議と意識の端に残る引力を持った存在感を帯び、真っすぐに踏み込んでくる。


 純から目を離して、そちらを向く。

 すると、壁際に寄った私達の近くに、件のフード女が歩み寄ってきていた。


 背の高さは百七十中ばの私よりも少し低く、近くで見ると着ている服も仕立てが良さそうなブランドもので、そんな服の上からでもわかるくらい足も腰も嘘みたいに細い。

 そして何より、見上げて来るフードの下の灰色の双眸が狼のように気高く、野性味を帯びて、美しく。


 確かにこの目を見間違えることはないだろうなと、たった一度MVを見ただけの私でも確信をするほどの〝化け物〟が、そこに居た。


 じっと見つめ合う。なんだか道端で野良猫とか烏と遭遇して目が離せなくなった時みたいだ。別になんだということもないけど、こちらの様子を観察されているような気がして居心地が悪い。


 もしかして、さっきの会話が聞こえていたのだろうか。


「あー、すいません。うるさかったですかね。この子、すぐ連れて行きますので」


 純を宥めつつ頭を下げても、まだ深淵菖蒲ふかぶちあやめは私をじっと見つめて来る。なんだ、こいつも様子がおかしい女か?


 そう思っていると、彼女は黒いマスクを顎まで下げて、フードを少し持ち上げて顔を晒しながら、細い唇を開いた。


「ねえ貴女、アイドルに興味ない?」


 思わず耳を疑う程に美しい声だった。光沢を帯びる弦楽器を静かに鳴らしたような、艶めいた色香のある低音と淀みのない発音。

 耳から脳内に浸透してくるその音声は魔力にも似た暴力的な魅力を纏い、私の感性に爪痕を刻む。


 そんな圧倒的な存在感を放つフードの女に気圧されつつ、遅れて気付いた。


 いや、今、『アイドルに興味ない?』って言われた?

 何を言ってるんだ、この女は。


「はい? なんと?」


 聞き返すと、彼女は大真面目という風に私の目を見返して言った。


「アイドルよ、アイドル。私、近々新しいユニット組んでレベル・ゼロっていう〈Colosseo〉のオーディション受けるんだけれど、メンバー探してるのよね。で、今貴女を一目見てびびっときたの。あ、この子素質あるなって」

「……何を根拠に?」

「細かく言うと色々あるけれど、一言で言えば直感ね。貴女を一目見た瞬間に目に焼き付いたの、貴女のことが」


 はっきり言ってのける深淵菖蒲に辟易とする。なに、アイドルっていうのは関わった人間をみんなおかしくするの?


「申し訳ないですが、私アイドル嫌いなので。他を当たって下さい」

「あら、そう……ふむ。じゃあ、」

「じゃあとかないですから」


 食い下がってくる予感がしたから、はっきりと断りなおす。私もなんとなくだけど、この深淵菖蒲が我が道を行くタイプなのは直感できたんだ。

 ちなみに純は泣きじゃくってて私が誰と話しているかは気付いてないみたい。教えてあげた方がいいのかな。


「どうしてアイドルが嫌いなの?」


 深淵菖蒲が構わず話しかけて来る。宝石みたいな灰色の瞳を相変わらずこちらに向けていた。思った通りのタイプみたいだ。


「さあ? 教える必要あります?」

「本当に嫌いみたいね」

「だからそう言ってるでしょ」

「そこをなんとか、話だけでも」

「間に合ってますから。この間も同じような事をクラスの奴に言われて迷惑してるんです、他を当たって下さい」

「この間も、クラスの奴から……? そういえばなんとなく……へぇ、そういうことね」


 じっと私の顔を見て勝手に納得した深淵菖蒲は、意外にも潔く一歩引いた。


「それじゃあ、また。急に声をかけて悪かったわね、珠薊瑠璃」

「っ!? なんで……私の名前を?」

「あら、やっぱりそうだったのね? ふふふ、確かにあの子が見惚れるっていうのもわかるわ」


 含みがあるように微笑み、深淵菖蒲はそのまま改札の方に歩いて行こうとした。


「ちょっと、答えになってないですよ。なんなんですか、貴女」

「あら、教える必要がある?」


 意趣返しをされて言葉を失う。嫌な女め……私が言えた台詞じゃないけど。


 そうして歯噛みをしていると、深淵菖蒲はぺろりと蛇のように長い舌で唇を舐めて、無邪気な小悪魔のように妖しく、とびっきり魅力的な笑みを私の網膜に焼き付けた。


「まあでも、私は貴女のこと好きだから教えてあげる。答えはね、私が貴女のファンだったからよ」

「は? ……あ、まさか、フィギュアの時の?」


 小学生の頃に多少テレビに出たことを思い出す。でもあの時から結構背も伸びてるし、髪も染めてるし、最近は外見で気付かれることなんてなかったのに。


 そんな逡巡の間にも彼女は更に離れてしまい、フードとマスクを付け直して、手を振りながら雑踏に紛れてしまった。


 変な女だ。なんだか最近こういう奴によく絡まれる。一体なんなんだ。

 そんなことを思っていると、腕の中で号泣していた純がようやく落ち着いてきてきょろきょろしだした。


「ぐす、ぐす……今、誰かと話してなかった?」

「あぁ……まあ、変なのに絡まれてただけだから」

「なんかそういうのばっかだね、瑠璃」

「おかげさまでね。で、落ち着いた?」

「うん、ありがと。あぁ、なんかめっちゃドルオタモチベ上がって来た。ねえ、やっぱうち行かない?」

「行かない。ドル活には付き合わないって言ったでしょ」

「えぇ、そこをなんとかぁ」

「ならないから」


 駄弁りながら適当に駅ビル内をぶらつく。その間もなんだかんだと、深淵菖蒲が抜けた後の【Arcenciel】が迷走してるだの、そのせいで〈Colosseo〉の今シーズンの順位が荒れているだの、アイドルトークを聞かされてしまう。


 本当、どいつもこいつもアイドルアイドルと楽しそうで羨ましい。


 ……本当に。

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