1.2


その街に着いて最初に感じたものは、東京など比較にならないほどの清涼感だった。


『本日は、JR大湊線を線をご利用いただきまして、誠にありがとうございました。まもなく終点、大湊、大湊。お出口は左側です』


車止めのある駅構内に、淑女のような足取りでゆっくりとブレーキをかけながら列車は停車した。まばらに乗っていた乗客は示し合わせたかのように一斉に降りる準備を始めたので、僕と母もそれにつられるように多荷物を抱えて車外に降り立った。


「ああ、疲れた……」


斜陽が差し込むプラットホームは五月とは思えないほどに涼しく、時間帯もあってか閑散としていて、それが妙に心を落ち着かせた。車掌が点検を行う車内を尻目に、長旅ですっかり凝ってしまった体をほぐすために体を大きく伸ばすと、程よい解放感が体を包み込む。


「龍馬、深呼吸してごらん。こう、腕を思いっきり伸ばしながら」


母がこちらを見て、自分がしていることを僕にもするように促した。


「深呼吸?」


言われた通り腕を伸ばし、息を深く吸って、吐く。


すると、冷たく新鮮な空気が肺を満たすのが分かり、それを吐き出すと先程までの疲弊が風に乗ってどこかへ飛んで行ってしまったかのように体が軽くなった。

おまけに、腕を伸ばしたことによって硬直した背筋がしゃんと伸び、とても気持ちが良い。


「ふわぁぁ」


思わずあくびが出てしまい、その動作の滑稽さに思わず苦笑してしまった。


「長旅お疲れさま。じいちゃん、もうすぐ迎えに来るって」


「……そうなんだ」


うっすらと微笑をたたえた顔で母がそう告げた。こういう時、どんな返事をすればいいのか分からなくて、ぼくは少しだけ愛想のない返事をしてしまった。


ゆっくりと動く雲を眺めながら、ぽつぽつと会話を交わして祖父の迎えを待った。涼やかな風が駅舎を通り抜ける音が聞こえ、遠くの木々がざわざわと揺れる音を聞いていると、いつの間にか時間は過ぎていて、やがて僕たちの前に銀色のプリウスが一台止まり、そこから一人の男性が降りてきた。


「明美……」


「父さん……」


その人が母の名前を呼ぶと、堰を切ったように母の目から涙が溢れ出した。

思えば母がこんな風に涙を流す姿を、僕は見たことがなかった。


離婚して家を追われてからも、どんな時でも凛と前を向いて生きていた母が適応障害になり看護師の職を辞したのは今から三か月前のことで、この引っ越しが決まったのもそれから間も無い頃のことだった。


祖父の腕の中で子供のように涙を流す母を見て、どうしようもなく胸が苦しくて堪らなくなったが、祖父はそんな僕を見てにこりと笑いかけてくれた。


「龍馬か、よう来たなあ。長旅ごくろうさまなあ」


「ありがとう…ございます」


祖父といっても最後に会った時のことをほとんど覚えていないので、僕にとってはほとんど初対面に等しかったが、目元の優しさや少し上に上がった口角が母や僕によく似ていたので、やはりこの人は自分の祖父なのだと確信が持てた。


「……すまんかったなぁ。お前らがこんなんになるまで何も出来ねえで」


「ごめん…父さ……ごめん、なさい……。私がぁ、しっかりしないとダメなのに……どうしてももう体がうごかなくって……龍馬を、守ってやれなかった……!」


「……ああ、いいんだ。もうお前は十分頑張った……さあ、家に帰ろう」


頷きながら助手席に乗せられた母に続いて後部座席に乗ると、少し埃っぽい車内の空気が少し懐かしい感覚がした。助手席からの嗚咽をかき消すように、車のエンジンがかかりゆっくりと動き出した。


ごめん、母さん。これからは頑張って生きるよ。


そう小さく呟きながら、車外に映るようになった海をぼんやりと眺めながら、これから始まる新生活がもうすぐそこに迫っていることをひどく実感するのだった。


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