第2話 異世界の王宮にて

 視界を埋め尽くすのは、首が痛くなるほどの高さを誇る天井と、過剰なまでに煌びやかな装飾だった。


 リュゼスト王国の王宮。

 その広間には、冷涼な空気と共に、どこか古い紙と香料が混ざり合ったような、厳かな匂いが漂っている。


 壁一面に嵌め込まれた巨大なステンドグラスからは、七色の陽光が差し込み、磨き上げられた白い大理石の床に歪な模様を描き出していた。


 その鏡のような床面に映し出されているのは、異世界から召喚された「転移者」たちの姿だ。


 広間の中央。

 そこには三人の高校生が立ち尽くしていた。


 着崩された制服の感触、履き慣れたスニーカーの底が大理石を打つ音。

 男二人に女一人――彼らはこの国の命運を賭した「勇者召喚」によって、平穏な日常から断絶された者たちだった。


「えっと……名前の横に、HPとMPが表示されてるな」


 眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせたのは、神谷勉(かみや つとむ)だ。

 目の前に浮かぶ半透明のウィンドウを指先でなぞり、溢れる情報を冷静に整理している。


「俺は『魔法戦士の才能』って出てる。スキルポイントは……4万2千か。これって多いのか?」


 腕を組み、不敵な笑みを浮かべたのは山田陽翔(やまだ はると)だ。

 彼は未知の状況を恐れるどころか、まるで最新のゲームを起動したときのような、高揚感に満ちた余裕を見せていた。


「私は『治癒師』。ポイントは2万8千……転移者特典ってやつかな? あっ、便利そうな魔法がいっぱいある」


 佐伯麻衣(さえき まい)は、おっとりとした口調ながらも、手際よくスキルツリーを確認していく。


 三人は、この異常な事態に驚異的な速度で順応し始めていた。

 現実を「攻略対象」として捉え、互いのステータスを共有するその姿は、英雄の誕生を予感させるに十分な輝きを放っている。


「この世界、案外面白いかもな」


 陽翔の傲慢な独り言に、勉と麻衣も小さく頷いた。

 彼らの瞳には、選ばれた者だけが持つ万能感が宿っていた。



 ***


 その熱狂から取り残されるように、広間の隅で立ち尽くす男がいた。


 小山内誠一。


 先ほどまで死の淵――ビルの屋上の手すりに手をかけていた男は、濡れた靴から染み出す冷たさに、今さらながら身体を震わせていた。


「……ここは、一体……」


 誠一は、喉の奥から絞り出すように呟いた。


 数分前まで頬を打っていた雨の感触、耳を裂く風の音。

 それが、瞬きする間にこの豪華絢爛な、呼吸さえも憚られるような威圧的な広間へと入れ替わった。


 脳が追いつかず、強烈な目眩が彼を襲う。


「スキル? ステータス? 何の話なんだ……うおっ!」


 不意に、目の前に淡い光を放つ半透明のウィンドウが現れた。誠一は思わず声を上げ、大理石の上で足をもつれさせて後ずさる。


 必死にピントを合わせたその画面には、残酷なまでの「現実」が記されていた。


「……『劣化交換』? スキルポイント……420?」


 誠一は、何度も瞬きをした。


 高校生たちのポイントは万単位。

 それに対し、自分の数字はたったの420。


 二桁、いや三桁近い隔絶。

 数万の恵みを与えられた若者たちと、千にも満たない自分。その無残な対比を見つめ、誠一の心は激しく落胆し、沈んでいった。


(なんだこれ……俺だけ、何か間違ってるんじゃ……)


 小説もアニメも、日々の生活に追われて縁遠かった誠一にとって、この状況を読み解く術はない。ただ、圧倒的な「格差」だけが、冷徹な事実として突きつけられていた。


 そんな惨めな姿を晒す誠一に、三人の高校生が気づく。

 陽翔が、値踏みするような視線を向けながら歩み寄ってきた。


「あの、あなたも転移者ですよね? よければ、能力を教え合いませんか?」

「そうそう。ボクたちと一緒に行動しましょうよ」


 勉が淡々とした口調で続く。

 麻衣もまた、同情と好奇心が混ざったような笑みを浮かべて頷いた。


 誠一の心臓が、早鐘を打つ。


(なんで……俺なんかに……)


 だが、彼らの誘いには、純粋な善意とは異なる響きがあった。

 それは未知の世界における保険、あるいは「実はとんでもない隠し能力を持っているかもしれない脇役」を事前に囲い込もうとする、計算高い警戒心だった。


「えっと……何がなんだか、よく分からないのですが。ここは、どこなのでしょうか……?」


 誠一の乾いた声は、高い天井へと吸い込まれ、虚しく消えた。



 ***


「異世界の方々よ。まずは、我が国の状況と、召喚の理由を説明させていただきたい」


 広間を震わせたのは、重厚な玉座に座る男の声だった。


 リュゼスト王国第三十七代国王、ヴァルデリオ三世。

 流れるような銀髪に深紅のビロードのマントを纏い、その指先には巨大な魔宝石が輝いている。


 傍らには、古色蒼然とした杖を持つ魔術師セルディア=ノルンと、鋼の鎧に身を包み、鋭い眼光を放つ騎士ガルド=エルヴァンが控えていた。


「我が国は今、魔物の増殖により深刻な危機に瀕しておる。かつては精鋭の騎士団と魔術師団によって均衡を保っていたが、近年、魔物の質と量が急激に変化した。もはや、人の手には負えぬ。ゆえに、古の法を用い、異世界の英傑を招くべく勇者召喚の儀を行ったのだ」


 王の言葉は、まるで物理的な圧力となって広間に満ちる。

 高校生たちは緊張に肩を揺らしながらも、使命感に突き動かされるように真剣な眼差しで王を見据えた。


「召喚された皆様には、それぞれの類まれなる力に応じ、我が国の希望として戦っていただきたいと考えておる」


 王の視線は、太陽のような輝きを放つ陽翔たち三人に固定されていた。

 その光の環から外れた場所にいる誠一には、一瞥すら与えられない。まるでそこには、最初から何も存在していないかのように。



 ***


 誠一の瞳には、深い絶望と静かな諦めが再び宿り始めていた。

 それは、ただの落胆ではない。

 屋上での死を選んだときと同じ、魂を凍りつかせるような孤独の再来だった。


 この世界に来てもなお、自分は誰からも必要とされない――。

 その冷酷な事実が、鋭い刃となって彼の胸を抉る。


 王も、騎士も、魔術師も。

 誰一人として、隅っこに立つ疲れた中年の男など視界に入れていない。


(俺は……ここでも、余計な存在なんだな)


 陽光を浴び、未来を託される若者たちの背中が眩しすぎて、直視できない。

 偶然の事故か、あるいは召喚の余波か。


 自分はこの場所において、歓迎されない「異物」でしかない。


 どの世界にいても、自分は物語の中心にはなれない。

 必要とされることも、温かな言葉をかけられることも、決してない。


 ――そんな誠一の思考を遮るように、王の隣に控えていた魔術師セルディアが、冷え切った瞳でこちらへ歩みを進めてきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

異世界召喚されたおっさん、無実の罪で地下牢へ。ハズレスキル【劣化交換】で魔物の死体を資源に変え、迷宮を生き抜き剣聖へと至る。 猫野 にくきゅう @gasinnsyoutann

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画