第19話「北の谷への凱旋」

 王都での滞在を終え、私たちが谷へ戻る日は晴れやかな青空が広がっていた。行きとは違い、私の隣には正式な婚約者となったジークハルトが座っている。彼の機嫌は、言うまでもなく最高潮だった。


「これで、君は名実ともに私のものだ。もう、誰にも文句は言わせん」


「所有物みたいに言うのは、やめてください」


「ふふ、照れているのか? 可愛いな」


 馬車の中での痴話喧嘩(というより、彼が一方的にからかってくるだけだが)も、すっかり慣れたものだ。


 谷への凱旋は、盛大なものだった。私たちが谷の入り口に到着すると、そこには全ての領民たちが出迎えてくれていた。


「領主様、お帰りなさいませ!」


「ご婚約、おめでとうございます!」


 クラッカーが鳴らされ、色とりどりの花びらが舞う。子供たちが、私の足元に駆け寄ってきて手作りの花の冠をプレゼントしてくれた。


「ありがとう。皆、留守中、良い子にしていたかしら?」


 私が一人一人の頭を撫でてやると、彼らは嬉しそうに笑った。その純粋な笑顔を見ていると、ああ、帰ってきたんだな、と実感する。ここが、私の帰る場所。私が命をかけて守り抜いた、大切な楽園だ。


 その夜、谷の広場では私たちの婚約を祝う盛大なパーティーが開かれた。皆が持ち寄った料理や、『北の涙』を酌み交わし、歌い、踊っている。ゴードンやゲルハルト爺さんたち、古株の領民たちが涙ながらに私の婚約を喜んでくれた。


「いやあ、領主様がこんな立派な旦那様を見つけられるとは……。わしは、嬉しいだよ……」


「これで、この谷も安泰ですな!」


 皆の祝福の言葉が、少しだけくすぐったい。パーティーの喧騒から少し離れた場所で夜空を眺めていると、ジークハルトが隣にやってきた。


「良い場所だな。ここは」


 彼は、領民たちの楽しそうな笑顔を見ながらしみじみと呟いた。


「ええ。私の、宝物です」


「分かる気がする。彼らは、君を心から慕っている。血の繋がりや身分ではなく、君という人間そのものをだ。こんな国は、私の帝国にもない」


 彼の言葉に、少しだけ胸を張りたい気分になった。


「だからこそ、私はこの谷を離れるのが少しだけ……不安なのです」


 私が皇后として帝国に行けば、この谷を頻繁に訪れることはできなくなる。私が築き上げたこの楽園を、この手で守り続けられないことが少しだけ寂しかった。


 そんな私の気持ちを察したのか、ジークハルトは優しく私の肩を抱いた。


「心配するな。君が、いつでも帰ってこられるように私が約束しよう。いや、むしろ、帝国の首都をここに移すか?」


「本気で言ってます?」


「半分くらいは」


 彼は、悪戯っぽく笑った。


「君が皇后になっても、この谷の領主であることに変わりはない。君が築いたこの国の形を、誰も変えることはできない。私が、それを保証する」


 彼の力強い言葉に、私の心の中の不安がすっと消えていくのを感じた。


「……ありがとうございます、ジーク」


「礼には及ばん。未来の夫として、当然のことだ」


 私たちは、しばらく黙ってパーティーの様子を眺めていた。楽しそうな人々の笑い声と陽気な音楽。燃え盛る焚き火の光が、皆の顔を明るく照らしている。


 これが、私が求めていた景色だ。これが、私が手に入れた最高の幸せだ。


 パーティーが最高潮に達した頃、ゴードンが皆の前に進み出た。


「皆の衆! 我らが偉大なる領主様と、その旦那様である皇帝陛下に、改めて、祝福の乾杯を!」


 ゴードンの声に、皆が、一斉に杯を掲げる。


「「「乾杯!」」」


 谷中に響き渡る祝福の声。私は、ジークハルトと顔を見合わせ、幸せに満ちた笑顔を交わした。


 面倒で、波乱万丈だった私のセカンドライフ。でも、その果てにこんなにも温かい居場所と、かけがえのない人々、そして心から愛せる人を見つけることができた。


 転生して、悪役令嬢になって、本当に良かった。


 心から、そう思えた夜だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る