公園のお婆さん

遠平(えんだいら)

愚か者

 会社員である日野信之は会社帰りになんの気なしに公園に立ち寄ることにした。その公園は、信之が毎日会社を往復して通る場所である。そのため、ときたま信之は現実から目を背けるように、夕日に黄昏れていた。

 今の子どもたちは公園で遊ぶ習慣がなく、公園には信之ひとりだけだった。それは信之を心地良くさせる一つの要素であった。

 そして今日も彼は缶コーヒーを片手にベンチで右足を組んで座る。公園にある秋を象徴する紅葉が焦茶色に変色しつつあった。風が氷柱のように冷たく吹いていく。

 十五分ほど経って、そろそろ肌寒いのを感じてきた信之は雀の涙ほどの缶コーヒーを飲み干し、さあ立ち上がるぞというところに、一人の老人が公園に入ってきた。いつもなら、そんなことはいちいち気にも止めない。

 しかし、その老人は様子が少し普通ではなかった。冬だというのに、非常に薄着であった。上はタンクトップで、下は灰色の半ズボンだった。手に身につけている手袋だけは、季節感があった。彼は老人を不審に感じ、もう少しここに居ようかと考えた。

 元来、彼のたいへん逞しい好奇心がその老人へと向けたことを、後から後悔することになろうとはこのときは思わなかっただろう。

 老人は見た目にそぐわないぱんぱんに膨れた大きなリュックを背負っていた。


 (…え?)


 どこへ向かうのかとじっと見つめていたら、老人が信之の方に近付いて来た。


(見すぎるのは失礼だっただろうか?)


 その老人の顔を読み取ろうとしたが、怒りでも、悲しみでも、機嫌が良いわけでもない。ただ、無の表情だった。もう残り三メートルのところで、信之は息がし辛くなる。


(う、臭い…腐乱臭か? 息がし辛い)


 信之は表情を読み取られぬように平然を装う。

そして、もう話せる距離まで来たことで、老人は口を開く。


「すみませんねえ、ちょっとお願いがあって。お時間頂けますかな?」


「はい、まあ、大丈夫ですよ」


「ちょっとこの荷物が重くてね、一緒に運んでくれないかい?」


 信之は少し間を置いてから


「…はい、いいですよ」


 と応えた。ここでも彼は、好奇心が優ってしまった。腐乱臭も慣れてきて、信之は余裕ができてきた。


「隣町の–––町の◯◯さんの家なんだがね」


「ああ、そこですね僕わかりますよ」


 信之の家の近くだったので、すぐに案内はできた。その道中、気になって質問をした。


「お婆さん、もしかして〇〇さんのお孫さんですか?」


 息子と母親が一緒に暮らしているので、信之はそう推察した。


 「あら、そうよお。やっと今日久しぶりに会うの」


 「へえ、それは楽しみですね」


 不審者かと思ったが、近所にいる息子の祖母で、信之は納得した。以外にも呆気なく正体が判明し、落胆もあったが、その後は他愛ない会話をして、無事家に着いた。


 「ありがとうねえ。少し家に上がって行かないかい?」


 「いえ、僕はこれで…」


 「まあまあ、いいじゃないか」


 そう言って、ドアを開けた。こちらへ手招きされては、もう引くに引けない気がして、中へ入る。家の中は誰一人いなかった。大きなリュックは居間へ置いた。


(玄関も開けっぱなしだったし、この家、意外と不用心なのか? 家に誰もいないなんて)


 人様の家に口出しするのもあれなため、信之は気に留めないようにした。老人に連れられて家へ上がったと言っても、お茶を一杯飲んだだけだった。しかし、信之は違和感を覚えた。


(なんだ?)


 お茶を飲んでいるのを、ニコニコと見つめていて、老人は一切お椀に手をつけなかった。飲みきったので、


 「帰ってくる前に、僕帰りますね」


 「あらそう? また、会えるといいわね」


 そう言って玄関まで見送って、その老人とは別れた。信之が帰ったのは十九時で、一時間以上一緒にいたようだった。


 次の日の朝、どんどんとドアを叩く音が聞こえてくる。宵闇から目を覚ました信之は、急な音に驚き、体がびくっと屋上から飛び降りた夢を見たように震えた。


 「どちら様ですか?」


 そっとチェーンをかけて、ドアを開けると、信之の耳にとんでもない内容が飛び込んでくる。


 「日野信之、殺人容疑でご同行願えますか?」


 「–––は? いや、待ってください。誰を殺したと言うんですか?」


 「昨夜、〇〇一家の遺体が室内で発見されました。現場には貴方の指紋しかありませんし、貴方がよく通っているとされる公園から、凶器が発見されました」


 信之は、一つの仮説をたてた。


 (あの腐乱臭みたいなのは死臭じゃないのか?そして、俺を罪に着せるために家の中に入れた…?!)


 「ちょ、ちょっと待てよ。お婆さんだよ、あの家の祖母がやったに違いない! あの婆さんの指紋もあっただろ?」


 「貴方の指紋しかありませんでしたよ」


 (あ…)


 信之は思い出す。あの公園で見かけたとき、確かあの老人は手袋を着けていた。

 警察の人たちは不思議そうな顔で言う。


 「そもそも、あの家の血縁者はお爺さんしかいませんよ」


 「そのお爺さんは呆けてしまい、滅多に外には出なくなったそうですね」

 

 もう一人の警察官が呟く。

 確かに、見方を変えればお爺さんに見えなくもなかったなと信之は思い出す。


 ––––––やられた


 ここで今、やっぱりお爺さんだ、と言っても信じてもらえないと彼は悟った。


 そうして、信之は手に手錠をかけられ連行された。


 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

公園のお婆さん 遠平(えんだいら) @Yendaira

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る