第15話 崩れゆく勇者パーティー
かつて、「神に選ばれし最強の一団」と讃えられた勇者パーティーは――今、崩壊の瀬戸際にあった。
人間領の首都グランフェリア。王城の戦議室には、険しい顔をした将校たちが集まっている。
中央に立つのは、金髪をなびかせる青年――勇者レオン。だが、その瞳にはかつての輝きはなかった。
「……奴を討つ。裏切り者カイルを。この俺の手で」
冷たい声が響くたびに、場の空気が凍りつく。
「勇者殿、しかし――今は前線の立て直しが……」
「黙れ。そんなものは後回しだ。奴を放っておけば、魔族どもに完全に組み込まれる」
レオンは地図を指差す。
魔王国の北境に広がる戦線。補給路は寸断され、前線の城砦は次々に陥落。
すでに勇者軍は防衛すら困難な状況にあった。
「……まるで、奴がこちらの動きを読んでいるようです」
「当然だ。奴は俺の右腕だった。俺の戦い方も、戦略の癖も、すべて知っている」
レオンは苦々しく唇を噛む。
――そう、あの“裏切り者”が。
かつて共に魔王討伐を誓い合った仲間、カイル・エヴァンス。
彼は《分析》の力で戦場を制御し、幾多の勝利をもたらした。
だが今、その才覚は敵に回った。
「……奴は俺を裏切った。人間を裏切り、魔族に膝を折った。赦せるはずがない」
その言葉には、怒りと同時に――焦りが滲んでいた。
彼の中で、何かが狂い始めていた。
“勇者”という称号が、次第に“呪い”へと変わりつつあったのだ。
王城の廊下。
レオンが去ったあと、残ったのは僧侶ミリアと魔法使いセリス、戦士グレッグの三人。
「……最近のレオン、ちょっとおかしい」
セリスが呟いた。彼女の紅い瞳には、かつての信頼ではなく、不安が浮かんでいる。
「おかしい、じゃなくて危険よ。カイルのことになると、まるで別人みたい」
「でも……勇者様も、傷ついてるんだと思う」ミリアが静かに言う。「一番信頼していた人に裏切られたんだもの……」
「裏切った? 本当にそうなの?」
ミリアの言葉に、セリスが切り返す。
「あなた、まだ信じてるの? あの人が“魔王軍の参謀”として動いてるのを知らないわけじゃないでしょ?」
ミリアは言葉を失う。
――知っている。だが、信じきれなかった。
カイルが、そんな短絡的な裏切りをするはずがない。
あの冷静な彼が、理由もなく敵に寝返るはずがない。
それでも、現実は残酷だった。
敵の軍略、補給、陣形、すべてがカイルの痕跡を示している。
もはや疑う余地はなかった。彼は、敵だ。
ミリアは拳を握り締めた。
「……私が確かめる。カイルが何を考えているのか、自分の目で」
「ミリア!? 何を言って――」
「王から前線指揮を任されたわ。魔王軍との決戦地に出る。……そこに、カイルがいるはず」
セリスとグレッグは驚愕する。
だがミリアの瞳には、迷いと決意が入り混じっていた。
“討つため”ではなく、“確かめるため”。
勇者の影で崩れていく真実を、見極めるために。
* * *
一方その頃、王都を出発した勇者軍の行軍は、すでに限界に達していた。
補給が届かず、兵たちは疲弊し、士気も地に落ちている。
「なぜだ……なぜ前線への糧秣が届かない!?」
「カイルが仕組んだんだ。補給路の地形を読んで、伏兵を置いている」
「馬鹿な、そんな精密な動きが――」
「できるんだよ、あの男なら」
兵たちの間で、恐怖と諦めが交錯する。
“魔族”ではなく、“人間の知恵”に敗れているという現実。
それが、勇者軍を最も追い詰めていた。
そして、誰よりも追い詰められているのは――レオン自身だった。
「……カイル、貴様……!」
夜営のテントで地図を睨みつける彼の手が震えている。
彼は神の加護を受けた英雄であるはずだった。
誰よりも正しく、誰よりも強く、誰よりも導く者――そのはずだった。
だが今や、人々の視線は冷たい。
彼を“救世主”と呼ぶ者は減り、“暴君”と囁く声が増えつつある。
焦りが、彼を狂わせていった。
「俺が正しい。俺が神に選ばれた勇者だ。カイル、お前のような裏切り者に、俺の正義は汚させない!」
レオンは叫び、聖剣を地図に突き立てた。
刃が貫いたのは、魔王国北境――まさにカイルが防衛を任されている地域。
「明日、総攻撃をかける。俺が、奴を斬る」
誰も止められなかった。
その命令は、狂気と信念の狭間にあった。
* * *
夜。王都を遠く離れた丘陵の上で、ミリアは一人、祈っていた。
胸元の聖印を握りしめ、静かに呟く。
「……カイル。あなたは、どうしてあんな道を選んだの……?」
夜風が答えることはない。
けれど彼女の胸には、今もかつての記憶が焼きついていた。
『ミリア、君は強い。でも強さだけじゃ人は救えない。……だから僕は、考えるんだよ。どうすれば皆が幸せになれるかを』
――そう言って笑っていた青年の顔が、頭から離れない。
もし今、彼が本気で魔族を救おうとしているのだとしたら?
もしそれが、“人間のため”にもなるとしたら?
ミリアは唇を噛んだ。
「……確かめる。真実を」
夜空に浮かぶ星々の下、彼女は前線へ向かう。
やがて、その道の果てで――運命の再会が待っていることも知らずに。
* * *
翌朝。
勇者軍は総勢二万の兵を動員し、魔王国北境へと進軍を開始した。
その中には、僧侶ミリアを中心とした“神聖遠征隊”の姿もあった。
その任務は、表向きは“前線の癒しと支援”。
だが実際には――“裏切り者カイルの討伐”だった。
「……カイル。たとえあなたが敵でも、私は――」
風に揺れるミリアの金髪が陽光を受けて輝く。
祈りの中にあるのは、怒りでも悲しみでもない。
ただ、一つの願い。
「どうか、まだ人間の心を捨てていませんように――」
祈りの声は、戦の鼓動にかき消された。
やがて、運命は動き出す。
勇者の崩壊と、魔王軍の飛躍。
その狭間で、二人の“理想”がぶつかり合う時が――近づいていた。
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