第14話 有能すぎる人間

 夜明け前の戦都〈バル=グラド〉。

 黒雲を切り裂くように、軍鼓が鳴り響いた。


「南部戦線、第二師団の出陣準備、完了です!」


 報告の声が高らかに上がる。

 魔族兵たちは列を成し、整然と動いていた。

 以前のような混乱も、遅延もない。

 全てが、まるで一つの生き物のように滑らかに連動している。


「信じられねぇ……魔王軍が、こんなに早く動くなんて」

「“人間参謀”の命令は面倒だが、確かに結果は出る」


 兵たちの間にそんな呟きが漏れる。

 わずか一月前まで、カイルは異端者でしかなかった。

 だが今では、彼の名が軍全域に知れ渡っている。



 その中心、参謀本部。

 カイルは机の上に魔力結晶を並べていた。

 淡い光を放つ結晶は、一つ一つに兵士の魔力量を記録する装置――新たに導入された《魔力管理制度》だ。


「魔力消費の記録を取るなんて、前代未聞だな」

 隣で腕を組んでいるのは、リリアの副官ドロスだ。角が太く、性格も粗野。だが最近はカイルを認めつつある。


「戦は力で決まるが、力にも限界がある。

 魔力を“感覚”ではなく“数値”で管理できれば、休息や補給を最適化できる。無駄死にが減るんです」


「……人間のくせに、よくそこまで考えるもんだ」


「人間だからこそ、考えるんですよ。力がない分、頭を使うしかない」


 そう言って微笑むカイルの瞳は穏やかだったが、どこか張り詰めていた。

 魔族たちの信頼を勝ち得た今こそ、最も失敗が許されない時期。

 改革の成果が問われる実戦が、迫っていた。



 三日後。

 北方戦線・灰岩地帯で魔王軍と人間軍が激突した。


 この地は長らく補給が難しく、魔族側の鬼門とされてきた。

 だが今回は違った。

 補給隊は予定時刻ぴったりに到着。

 通信符号は統一され、指令は一瞬で全軍に届く。


「右翼部隊、前進角度二〇度修正!」

「中央、第二陣突入! 左翼、魔力残量三割以下、交代を!」


 次々と飛ぶ命令。

 全てが整然と流れるように実行され、戦線は一度も崩れなかった。


 その光景を遠望する丘の上、カイルは地図に視線を走らせる。

 彼の手には淡く光る通信符――魔力通信の中継装置が握られていた。


「……よし。予定通り、三分のズレもない」


 リリアが隣で息を呑む。

 眼下の戦場では、魔族たちが規律正しく動き、兵たちは疲弊せずに戦っていた。


「これが、あなたの描いた戦場……」


「いいえ。まだ序の口ですよ。

 “誰も無駄死にしない戦場”を作る――それが僕の理想です」


 リリアは静かに彼を見つめた。

 戦場に理想を持ち込む人間。

 魔族には理解しがたい思想。

 だが、不思議と心が温かくなる言葉だった。



 戦闘終了。

 魔王軍は圧勝した。

 負傷者わずか三パーセント。損耗率としては異例の低さ。

 補給・通信・休息――全てが理想的に機能した結果だった。


「勝利です、カイル殿!」

 ドロスが叫ぶ。

 周囲の将校たちも歓声を上げる。


「人間が立てた戦略で勝つとは……まさか、本当にやり遂げるとはな」

「認めざるを得んな。あの男、魔族以上に“魔王軍”してやがる」


 その声に、カイルは微笑むだけだった。

 だが、心の奥には確かな疲労と緊張があった。

 戦いに勝つたび、敵が減るのではない――「恐れ」が増えていくのだ。



 戦都に戻った夜。

 魔王ゼルファードの謁見の間に、カイルとリリアが呼び出された。


 漆黒の王座。

 魔王はその上から、静かに彼を見下ろしていた。


「見事な戦果だ。魔王軍の歴史に残る勝利だ」


「光栄に存じます」


「だが、カイル。貴様の手腕はあまりにも……有能すぎる」


 低く響く声。

 リリアがはっと顔を上げた。

 玉座の周囲には、上層部の重臣たちが控えている。

 その表情には、賞賛よりも警戒の色が濃かった。


「補給、通信、魔力管理……すべて貴様の案で機能している。

 もはや、魔王軍は“人間一人”の頭脳で動いているようなものだ」


「……恐れながら、それは誇張です。私は皆さんの協力があってこそ――」


「謙遜は不要だ」

 魔王の声が重く遮る。

 「優れすぎる者」は、いつの世も疑われる。

 カイルの瞳に、一瞬だけ冷たい光が宿った。


「陛下。私が望むのは支配ではありません。

 魔族が“より強く、より生き延びる”ための仕組みを整えるだけです」


「ふむ……そうであればよいが」


 その場の空気は、剣のように張りつめたままだった。



 謁見を終えたあと、リリアは静かにカイルの隣に並んだ。

 石廊を歩きながら、彼の横顔を見つめる。


「陛下は、あなたを恐れているわ」


「……そう見えましたか」


「ええ。あなたの力があまりにも“秩序を変える”から。

 でも、私は知ってる。あなたが誰よりも軍を想ってるって」


 リリアの声は優しかった。

 カイルは立ち止まり、ほんの少し笑みを返す。


「ありがとうございます。

 でも、僕の改革はまだ途中です。……ここで止まれば、意味がなくなる」


「本当に、それだけのために?」


「ええ。……それだけ、です」


 リリアは何かを言いかけたが、結局言葉を飲み込んだ。

 代わりに、そっと彼の腕に触れる。

 その指先が、微かに震えていた。



 翌朝。

 参謀本部の前には、各部隊の代表が列をなしていた。

 魔力管理制度の登録と訓練要項の配布。

 全軍規模の改革が、正式に始動する日だった。


「おい、これが“人間の制度”か」

「悪くねぇ。これなら俺たちも無駄に疲れずに済む」

「参謀殿、ありがとよ!」


 カイルは笑顔で応じながらも、心のどこかで別のものを感じていた。

 この流れが進むほど、誰かが必ず“恐れる”。

 成功は、時に最も鋭い刃になる。


 彼は遠く、黒い城塔の頂を見上げた。

 そこには、魔王の冷たい視線がある気がしてならなかった。


(……それでも、止められない。

 この軍が変わらなければ、いずれ人間も魔族も滅びる)


 覚悟のように、拳を握る。

 その瞬間、背後でリリアの声がした。


「カイル。あなたはもう、“人間”じゃなくなってきてるのかもしれないわ」


「そうでしょうか」


「でも……私は、それを悪いことだとは思わない」


 風が吹き抜けた。

 その音の中に、戦都の鐘が響く。

 新たな時代の始まりを告げるように。


 ――有能すぎる人間は、もはや“異物”ではなかった。

 だが、同時に“脅威”として刻まれ始めたのだ。

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