第14話 有能すぎる人間
夜明け前の戦都〈バル=グラド〉。
黒雲を切り裂くように、軍鼓が鳴り響いた。
「南部戦線、第二師団の出陣準備、完了です!」
報告の声が高らかに上がる。
魔族兵たちは列を成し、整然と動いていた。
以前のような混乱も、遅延もない。
全てが、まるで一つの生き物のように滑らかに連動している。
「信じられねぇ……魔王軍が、こんなに早く動くなんて」
「“人間参謀”の命令は面倒だが、確かに結果は出る」
兵たちの間にそんな呟きが漏れる。
わずか一月前まで、カイルは異端者でしかなかった。
だが今では、彼の名が軍全域に知れ渡っている。
◆
その中心、参謀本部。
カイルは机の上に魔力結晶を並べていた。
淡い光を放つ結晶は、一つ一つに兵士の魔力量を記録する装置――新たに導入された《魔力管理制度》だ。
「魔力消費の記録を取るなんて、前代未聞だな」
隣で腕を組んでいるのは、リリアの副官ドロスだ。角が太く、性格も粗野。だが最近はカイルを認めつつある。
「戦は力で決まるが、力にも限界がある。
魔力を“感覚”ではなく“数値”で管理できれば、休息や補給を最適化できる。無駄死にが減るんです」
「……人間のくせに、よくそこまで考えるもんだ」
「人間だからこそ、考えるんですよ。力がない分、頭を使うしかない」
そう言って微笑むカイルの瞳は穏やかだったが、どこか張り詰めていた。
魔族たちの信頼を勝ち得た今こそ、最も失敗が許されない時期。
改革の成果が問われる実戦が、迫っていた。
◆
三日後。
北方戦線・灰岩地帯で魔王軍と人間軍が激突した。
この地は長らく補給が難しく、魔族側の鬼門とされてきた。
だが今回は違った。
補給隊は予定時刻ぴったりに到着。
通信符号は統一され、指令は一瞬で全軍に届く。
「右翼部隊、前進角度二〇度修正!」
「中央、第二陣突入! 左翼、魔力残量三割以下、交代を!」
次々と飛ぶ命令。
全てが整然と流れるように実行され、戦線は一度も崩れなかった。
その光景を遠望する丘の上、カイルは地図に視線を走らせる。
彼の手には淡く光る通信符――魔力通信の中継装置が握られていた。
「……よし。予定通り、三分のズレもない」
リリアが隣で息を呑む。
眼下の戦場では、魔族たちが規律正しく動き、兵たちは疲弊せずに戦っていた。
「これが、あなたの描いた戦場……」
「いいえ。まだ序の口ですよ。
“誰も無駄死にしない戦場”を作る――それが僕の理想です」
リリアは静かに彼を見つめた。
戦場に理想を持ち込む人間。
魔族には理解しがたい思想。
だが、不思議と心が温かくなる言葉だった。
◆
戦闘終了。
魔王軍は圧勝した。
負傷者わずか三パーセント。損耗率としては異例の低さ。
補給・通信・休息――全てが理想的に機能した結果だった。
「勝利です、カイル殿!」
ドロスが叫ぶ。
周囲の将校たちも歓声を上げる。
「人間が立てた戦略で勝つとは……まさか、本当にやり遂げるとはな」
「認めざるを得んな。あの男、魔族以上に“魔王軍”してやがる」
その声に、カイルは微笑むだけだった。
だが、心の奥には確かな疲労と緊張があった。
戦いに勝つたび、敵が減るのではない――「恐れ」が増えていくのだ。
◆
戦都に戻った夜。
魔王ゼルファードの謁見の間に、カイルとリリアが呼び出された。
漆黒の王座。
魔王はその上から、静かに彼を見下ろしていた。
「見事な戦果だ。魔王軍の歴史に残る勝利だ」
「光栄に存じます」
「だが、カイル。貴様の手腕はあまりにも……有能すぎる」
低く響く声。
リリアがはっと顔を上げた。
玉座の周囲には、上層部の重臣たちが控えている。
その表情には、賞賛よりも警戒の色が濃かった。
「補給、通信、魔力管理……すべて貴様の案で機能している。
もはや、魔王軍は“人間一人”の頭脳で動いているようなものだ」
「……恐れながら、それは誇張です。私は皆さんの協力があってこそ――」
「謙遜は不要だ」
魔王の声が重く遮る。
「優れすぎる者」は、いつの世も疑われる。
カイルの瞳に、一瞬だけ冷たい光が宿った。
「陛下。私が望むのは支配ではありません。
魔族が“より強く、より生き延びる”ための仕組みを整えるだけです」
「ふむ……そうであればよいが」
その場の空気は、剣のように張りつめたままだった。
◆
謁見を終えたあと、リリアは静かにカイルの隣に並んだ。
石廊を歩きながら、彼の横顔を見つめる。
「陛下は、あなたを恐れているわ」
「……そう見えましたか」
「ええ。あなたの力があまりにも“秩序を変える”から。
でも、私は知ってる。あなたが誰よりも軍を想ってるって」
リリアの声は優しかった。
カイルは立ち止まり、ほんの少し笑みを返す。
「ありがとうございます。
でも、僕の改革はまだ途中です。……ここで止まれば、意味がなくなる」
「本当に、それだけのために?」
「ええ。……それだけ、です」
リリアは何かを言いかけたが、結局言葉を飲み込んだ。
代わりに、そっと彼の腕に触れる。
その指先が、微かに震えていた。
◆
翌朝。
参謀本部の前には、各部隊の代表が列をなしていた。
魔力管理制度の登録と訓練要項の配布。
全軍規模の改革が、正式に始動する日だった。
「おい、これが“人間の制度”か」
「悪くねぇ。これなら俺たちも無駄に疲れずに済む」
「参謀殿、ありがとよ!」
カイルは笑顔で応じながらも、心のどこかで別のものを感じていた。
この流れが進むほど、誰かが必ず“恐れる”。
成功は、時に最も鋭い刃になる。
彼は遠く、黒い城塔の頂を見上げた。
そこには、魔王の冷たい視線がある気がしてならなかった。
(……それでも、止められない。
この軍が変わらなければ、いずれ人間も魔族も滅びる)
覚悟のように、拳を握る。
その瞬間、背後でリリアの声がした。
「カイル。あなたはもう、“人間”じゃなくなってきてるのかもしれないわ」
「そうでしょうか」
「でも……私は、それを悪いことだとは思わない」
風が吹き抜けた。
その音の中に、戦都の鐘が響く。
新たな時代の始まりを告げるように。
――有能すぎる人間は、もはや“異物”ではなかった。
だが、同時に“脅威”として刻まれ始めたのだ。
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