第24話「限界試験」
――セメント柱に、三十個の石材ブロックが積まれた。
ミシ……。
細かい亀裂が、セメントの表面を走る。
「……危ない!」
商人たちが後退する。ディーターの目が、僕とセメント柱を交互に見つめている。
静寂。
誰もが、固唾を呑んで見守っている。
セメント柱は――
――耐えている。
ミシミシと音を立てながらも、崩れない。表面に亀裂が広がるが、構造は保たれている。
「……まだ、耐えてるのか?」
ディーターが驚愕の声を上げた。
「石材なら、とっくに崩れている重量だぞ……!」
ラザールが冷静に観察する。
「確かに。この重量で、まだ持ちこたえているのは……驚異的だ」
僕は深く息を吐いた。
「セメントの真価は、ここからです」
◇
「さらに積みます」
僕の言葉に、商人たちがざわつく。
「おい、本気か!?」
「もう限界だろう!」
だが、僕は作業員に指示を出した。
「三十一個目を、慎重に」
作業員が恐る恐る、次の石材ブロックを積む。
ミシ……ミシミシ……。
亀裂が、さらに深く広がる。
商人たちの視線が、一斉にセメント柱に注がれる。
不安の目。
期待の目。
そして――ディーターの、祈るような目。
(頼む……耐えてくれ……!)
静寂。
セメント柱は――
――耐えている。
三十二個目。
三十三個目。
三十四個目――。
「信じられん……!」
ディーターが叫んだ。
「石材なら、三十個で崩れる。だが、セメントは……まだ耐えている……!」
商人たちの視線が、驚嘆の色に変わる。
懐疑的だった目が、驚愕の色に変わる。
冷笑していた目が、畏敬の色に変わる。
そして――期待していた数人の目が、確信の光を帯びる。
◇
三十五個目を積んだ時――
ついに、セメント柱が限界を迎えた。
バキ……バキバキ……!
大きな亀裂が走り、柱が傾く。
「退避!」
全員が後ろに下がる。
そして――
ゴォッ!
セメント柱が崩れ、石材ブロックが地面に転がった。
静寂。
商人たちが、崩れたセメントの残骸を見つめている。
ラザールが、ゆっくりと近づいた。
「……三十五個」
彼は崩れたセメントの破片を手に取る。
「石材なら三十個が限界。だが、セメントは三十五個まで耐えた」
ラザールは僕を見た。
「これは……本物だ」
その言葉に、商人たちがざわつく。
そして――ディーターが、ゆっくりと前に出た。
◇
ディーターは、崩れたセメントの破片を手に取った。
その目には、複雑な感情が浮かんでいる。
「……俺は、十年前、三人の兵士を死なせた」
彼の声は、静かだった。
「あの時、業者の言葉を信じて、検査を怠った。その結果、城壁が崩れた」
ディーターは破片を握りしめた。
「だから、二度と同じ過ちを繰り返さないと誓った。新しい技術を、安易に信じないと」
彼は僕を見つめた。
「だが――お前は違う」
「……ディーターさん」
「お前は、口先だけじゃない。実際にテストを受けた。そして、結果で証明した」
ディーターは深く頭を下げた。
「すまなかった。最初、お前を『貴族の坊ちゃんの発明品ごっこ』だと馬鹿にした」
「いえ……」
「だが、お前は本物だ。このセメントは、城壁に使える。兵士の命を守れる」
ディーターは顔を上げた。その目には、涙が光っている。
「俺は、このセメントを王都の城壁補修に使いたい。頼む、取引させてくれ」
僕は――胸が熱くなった。
この男は、十年前の悲劇を背負って、今も戦っている。兵士の命を守るために。
「……はい。喜んで」
僕は深く頭を下げた。
「一緒に、安全な城壁を作りましょう」
ディーターが力強く頷く。
そして――
パチパチパチ……。
拍手が起こった。
商人たちが、次々と拍手する。その視線には、もはや疑念はない。
信頼の目。
期待の目。
そして――ビジネスパートナーとして認める目。
ラザールが前に出た。
「エルス・グランディア殿。商人ギルドとして、正式にセメントの取引を認める」
彼は僕の手を取った。
「我々は、お前の技術を信じる。そして、お前と共に、王都の未来を築きたい」
「ありがとうございます……!」
僕は深く頭を下げた。
◇
その夜、僕は宿の部屋でOracleに報告した。
「Oracle、商人ギルドとの交渉は成功だ」
『素晴らしい成果です、エルス。これで、王都での販路が確保されました』
「ああ。ディーターという石材商が、最初は懐疑的だったけど、最後には協力者になってくれた」
『人の信頼は、口先ではなく、結果で勝ち取るものです。あなたは、それを証明しました』
僕は窓の外を見た。王都の夜景が、美しく輝いている。
「次は、エリーゼ様に報告しないと」
『はい。彼女は、あなたの成功を待っています』
僕は深く息を吐いた。
商人ギルドを通過した。次は、貴族たちとの戦いだ。
だが――もう、怖くない。
ディーターのような、誠実な人々がいる。そして、僕には確かな技術がある。
◇
翌朝、僕はエリーゼの屋敷を訪れた。
「おはよう、エルス」
エリーゼは優雅に微笑んだ。
「商人ギルドでの交渉、成功したそうね。ラザールから報告を受けたわ」
「はい。ディーターという石材商が、協力してくれることになりました」
「ディーター・フォン・シュタイン……ああ、あの頑固な男ね」
エリーゼは興味深そうに言った。
「彼は十年前の事故以来、新しい技術を一切信用しない男として有名よ。その彼が、あなたを認めたのね」
「彼は……誠実な人でした」
「ええ。だからこそ、彼の信頼は重い」
エリーゼはティーカップを置いた。
「さて、エルス。次の段階に進みましょう」
「次の段階……?」
「貴族たちよ」
エリーゼの目が、鋭く光る。
「商人ギルドは通過した。でも、王都での大規模な建築には、貴族たちの承認が必要なの」
「貴族たち……」
「特に、ヴェルナー伯爵」
その名前に、僕は緊張した。
ヴェルナー伯爵――王都で最も影響力のある貴族の一人。そして、僕の領地に借金を押し付けた張本人。
「彼は、あなたのセメントを認めないでしょうね」
「……やはり」
「でも、安心して」
エリーゼは微笑んだ。
「私が、あなたを守るわ。そして、彼を説得する方法も、ちゃんと考えてあるの」
「どうやって……?」
「それは……次回のお楽しみよ」
エリーゼはウインクした。
僕は――少しだけ、不安が和らいだ。
この人なら、きっと大丈夫だ。
(第24話 了)
次回予告:第25話「貴族の策謀」
商人ギルドを突破したエルス。
だが、次に待ち受けるのは――貴族たちとの政治的な戦いだった。
「ヴェルナー伯爵が、動き始めたわ」
エリーゼの警告。
そして、王都の社交界で繰り広げられる、見えない戦い。
「お前の領地を、そろそろ差し押さえる時期だな」
伯爵の冷酷な笑み。
エルスは、技術だけでは勝てない戦いに、どう立ち向かうのか――。
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