第23話「商人たちの視線」
――エリーゼの試練から三日後。
「商人ギルドか……」
僕は宿の窓から王都の街並みを眺めながら、三日前の彼女の言葉を思い出していた。
『次は商人たちとの戦いよ、エルス』
浄水装置の成功を報告した翌日、エリーゼは僕にこう言った。
『貴族は私が抑える。でも商人たちは別よ。彼らは私の推薦状があっても、容赦なく品質を問い詰めてくる。特に古参の石材商たちは――現実主義者で、頑固で、新しいものを徹底的に疑うわ』
その時の彼女の表情は、どこか心配そうだった。
『覚悟しておきなさい。あなたの技術が、本当に試される場よ』
「今日から商人ギルドでの交渉が始まる」
マルコがそう告げた時、僕は深く息を吐いた。
「商人ギルドですか……エリーゼ様が言っていた通り、厳しい戦いになりそうですね」
「ええ。セメントの取引には、ギルドの認可が必要です。特に城壁や橋といった公共建築物に使う材料は、厳格な品質基準をクリアしなければなりません」
マルコの表情が引き締まる。
「それに、お嬢様からの推薦状があるとはいえ、『辺境の若造』が持ち込んだ新素材です。古参の商人たちは、必ず難癖をつけてくるでしょう」
「難癖……」
「ええ。『本当に強度があるのか?』『長期的に劣化しないのか?』と」
バルドルが腕を組んだ。
「若様、相手は一筋縄ではいきません。慎重に」
「わかっています。でも――」
僕は拳を握った。
「エリーゼ様は僕を認めてくれた。ならば、その期待に応えないと」
◇
――午前。商人ギルド本部。
石造りの立派な建物の中、広い会議室に通された。長いテーブルを囲むように、十数人の商人たちが座っている。
その中央に座るのは、商人ギルド長――ラザール・ヴァンデル。五十代半ばの男性で、鋭い目つきと威圧感がある。
「ようこそ、エルス・グランディア殿」
ラザールの声は低く、冷たい。
「エリーゼ様からの推薦状は拝見した。『革新的な建材』とのことだが……本当か?」
「はい。このセメントは、従来の漆喰よりも強度が高く、水にも強い建材です」
僕はサンプルを取り出し、テーブルに置いた。固まったセメントの塊だ。
商人たちが身を乗り出して観察する。その視線は――様々だった。
ある者は興味津々の目で、セメントの表面を食い入るように見つめている。
ある者は疑念に満ちた目で、僕とサンプルを交互に見比べている。
ある者は冷笑を浮かべ、『どうせ大したことない』と言いたげな視線を向けている。
「……ふむ。確かに固そうだが」
「これが本当に城壁に使えるのか?」
「実績はあるのか?」
次々と疑問の声が上がる。懐疑的な視線が、一斉に僕に注がれる。
その時――一人の男が立ち上がった。
「ちょっと待て」
三十代後半の、髭を生やした男だ。名札には『ディーター・フォン・シュタイン』とある。顔には深い皺が刻まれ、その目には強い警戒心が宿っている。
「俺は石材商だ。城壁の補修を何度も手がけてきた。だが、こんな怪しげな新素材を信用しろと? 冗談じゃない!」
「怪しげ……とは?」
「貴族の坊ちゃんが、小遣い稼ぎで思いついた『発明品ごっこ』じゃないのか?」
周囲の商人たちがざわつく。
ディーターは一歩前に出て、僕を睨みつけた。
「俺は十年前、欠陥石材を使った城壁補修で、三人の兵士を死なせた」
会議室が静まり返る。
「あの日、『新しい加工技術で強度が上がった』という触れ込みの石材を使った。業者の言葉を信じて、検査を怠った。そして――城壁が崩れた」
ディーターの拳が震えている。
「崩れた瓦礫の下から、若い兵士の遺体を引きずり出した時の光景を、俺は一生忘れない。あの時誓ったんだ。二度と、安易な新技術に飛びつかないと」
彼の声は、悲痛だった。
「建材ってのは人の命を預かるものだ。強度が不足すれば、城壁が崩れ、兵士が死ぬ。橋が落ちて、民が死ぬ」
ディーターは僕を真っ直ぐ見つめた。
「だから聞く。お前のその『セメント』とやらで、人が死んでも責任を取れるのか?」
静寂。
ディーターの重い問いかけに、会議室の全員が僕を見つめている。
僕は深呼吸をして、彼の目を真っ直ぐ見つめ返した。
「……取れません」
「何?」
「今すぐ『責任を取れる』なんて言えません。それは、あなたが言う『業者の言葉を信じた』のと同じことになる」
ディーターの目が僅かに揺れた。
「だからこそ――証明させてください。口約束ではなく、実際のテストで」
僕は一歩前に出た。
「あなた方が納得するまで、何度でもテストを受けます。強度、耐水性、耐久性――すべてを数字で示します。そうすれば、あなたは『信じる』のではなく、『確信する』ことができる」
「……ほう」
ディーターが腕を組んだ。その目には、僅かな興味の色が浮かんでいる。
静寂。
ラザールが興味深そうに僕を見つめる。
「ほう……具体的には?」
「セメントで作った柱と、従来の石材で作った柱を比較します。衝撃テスト、耐水テスト、長期耐久テスト――何でも受けます」
「面白い」ラザールが微笑んだ。「では、条件を出そう」
彼は指を三本立てた。
「一つ。強度テスト――ハンマーで叩いて、どれだけ耐えられるか」
「二つ。耐水テスト――水に一週間浸して、劣化しないか」
「三つ。荷重テスト――実際に重量をかけて、崩れないか」
「これら全てをクリアすれば、ギルドとして取引を認める。どうだ?」
僕は即答した。
「やります」
◇
――翌日。商人ギルド裏の試験場。
石造りの広場に、テスト用の柱が並べられている。
左側には、石材で作られた柱。右側には、僕がセメントで作った柱。どちらも高さ二メートル、直径三十センチほど。
「では、まず強度テストだ」
ディーターが大きなハンマーを手に取る。
「石材から先にやろう」
彼は石材の柱を思い切り叩いた。
ガン! という重い音。
柱は――びくともしない。数回叩いても、表面にわずかなヒビが入っただけだ。
「さすがだな。王都の城壁に使われてる石材だ。簡単には壊れん」
次に、僕のセメント柱の番だ。
「では、失礼する」
ディーターがハンマーを振り上げる――そして、全力で叩きつけた。
ガン!
セメント柱は――
――ヒビが入った。
「……!」
周囲の商人たちがざわつく。その視線が、一斉に変わった。
興味津々だった目が、失望の色に変わる。
疑念に満ちていた目が、『やはりな』という冷笑に変わる。
期待していた者たちの目が、落胆の色を帯びる。
「やはりダメか」
「所詮、新素材だな」
「エリーゼ様も、今回は見る目がなかったな」
ディーターが冷ややかな笑みを浮かべる。その目には、『やはり俺の懸念は正しかった』という確信が宿っている。
「どうだ、坊ちゃん。これでもまだ『革新的』だと言うのか?」
僕は――冷静に答えた。
「もう一度、叩いてください」
「何?」
「石材も、セメントも、同じ回数だけ叩いてください」
ディーターは肩をすくめた。
「まあ、いいだろう」
彼は再び、石材とセメント柱を交互に叩き続けた。十回、二十回、三十回――。
そして――
「……なんだと!?」
ディーターが驚愕の声を上げた。
石材の柱は――表面が大きく欠け始めていた。細かいヒビが広がり、一部が崩れ落ちている。
一方、セメント柱は――最初のヒビはあるものの、それ以上は進んでいない。表面は頑丈なままだ。
商人たちの視線が、再び変わった。
冷笑していた目が、驚愕の色に変わる。
失望していた目が、困惑の色に変わる。
そして――数人の商人の目が、期待の光を取り戻す。
「これは……」
「石材は硬いですが、脆いんです」僕は説明する。「大きな衝撃には耐えられても、繰り返しの衝撃には弱い。一方、セメントは柔軟性があり、衝撃を吸収します」
「柔軟性……」
「城壁や橋は、何十年も風雨や振動にさらされます。その時、必要なのは『一度だけの強さ』ではなく、『長く耐える粘り強さ』です」
商人たちの視線が、セメント柱に釘付けになる。
懐疑的だった目が、真剣な考察の色に変わる。
冷笑していた目が、驚嘆の色に変わる。
そして――ディーターの目が、僅かに揺れる。
ラザールが頷いた。
「なるほど……一つ目はクリアだな」
◇
――三日後。耐水テスト。
石材とセメントのサンプルを、それぞれ大きな水槽に沈めて一週間。
引き上げた結果は――
「石材は……表面が溶けてる?」
ディーターが驚く。
石灰岩を使った石材は、水に長時間さらされると表面が徐々に溶解する。特に酸性の雨が降る地域では、劣化が早い。
一方、セメントは――
「変化なし……だと?」
「セメントは水硬性です。むしろ、水と反応して硬化が進むんです」
僕は水槽から取り出したセメントサンプルを手渡した。
「触ってみてください。浸ける前よりも、さらに固くなっているはずです」
ディーターが恐る恐る触る。そして――目を見開いた。
「本当だ……!」
ラザールが再び頷く。
「二つ目もクリアだ」
◇
――五日後。荷重テスト。
最後のテストは、実際に重量をかけるものだ。
セメント柱の上に、石材のブロックを次々と積み上げていく。
一つ、二つ、三つ……十個、二十個――。
「おい、本当に大丈夫か?」
「もう限界じゃないのか?」
商人たちが心配そうに見守る中、さらに積み上げていく。
商人たちの視線が、石材のブロックとセメント柱に注がれる。
期待の目。
不安の目。
そして――ディーターの、祈るような目。
そして――三十個目を積んだ時――
ミシ……という音がした。
「……!」
全員が息を呑む。
セメント柱が、わずかにたわむ。表面に細かい亀裂が走る。
「危ない!」
誰かが叫んだ。
商人たちが後ろに下がる。ディーターが僕を見る。その目には、『お前のセメントは、本当に耐えられるのか?』という問いかけがあった。
僕は――セメント柱を見つめた。
(頼む……耐えてくれ……!)
静寂。
誰もが、固唾を呑んで見守っている。
セメント柱は――
(第23話 了)
次回予告:第24話「限界試験」
三十個の石材を積まれ、ミシ...と音を立てるセメント柱。
商人たちの視線が、エルスに注がれる。
「崩れるか? 耐えるか?」
ディーターの問いかけ。
ラザールの厳しい目。
そして――エルスの運命を決める、最後の瞬間。
「もし崩れたら、お前の信用は地に落ちるぞ」
技術の真価が、今、試される――。
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