第17話「ガラス工房の火」

 ヴェルナー伯爵からの技術提携の申し出を断り、僕は次なる一手――ガラス製造と、それによって得られるであろう利益を見越した領地の防衛強化に乗り出した。


 しかし、ガラス製造はセメントほど簡単ではなかった。


「若様……どうにも、上手くいきやせん」


 数日後、ギルバートは窯の前で頭を抱えていた。そこにあったのは、茶色く濁ったガラスの塊や、無数のひびが入った板状の何かだった。理論と実践は違う。Oracleの知識を現場で実現するには、職人の経験と勘、そして地道な試行錯誤が不可欠だった。


「もう一度、やり方を見直しましょう」


 僕はギルバートたちと一緒になって、泥まみれになりながら作業を続けた。不純物の問題には「麻布を二重にして砂を濾す」工程を追加し、温度管理については、ギルバートが詳細な日誌をつけ始めた。


 そして、試作を始めて一週間が経った頃。ついに四度目の挑戦が行われた。


「若様! 今度こそ……!」


 ギルバートが、興奮した声で僕を呼んだ。窯から取り出されたばかりの型が、ゆっくりと冷やされていく。職人たちが固唾を飲んで見守る中、型が外された。


 その瞬間、工房にいた全員が息を呑んだ。


 そこにあったのは、完璧に透明な板ガラスだった。わずかな気泡すらない。まるで、そこに何もないかのように、向こうの景色が透けて見える。


「おお……」


 ギルバートは、そのガラスを震える手で持ち上げ、光にかざした。太陽の光がガラスを通り抜け、床にキラキラと輝く虹色の光点を作り出す。


「美しい……。これが、ただの砂から……」


 職人たちから、ため息のような歓声が上がる。僕もその一枚に触れる。滑らかで、ひんやりと冷たい。これが、僕たちの領地が生み出した新しい宝だ。


「マルコさんに、最高のサンプルを持っていきましょう」


   ◇


 マルコが王都にサンプルを持っていくと、結果は僕の想像を遥かに超えていた。ガラスは貴族たちの間で争奪戦となり、たった数日で板ガラス100枚、金貨にして50枚分もの予約注文が殺到した。セメントと合わせれば、月の収入は金貨170枚を超える計算になる。


 しかし、その成功は、ヴェルナー伯爵のさらなる敵意を招いた。王都では「グランディア領は異端の知識を使っている」という噂が、彼の口から意図的に流され始めていた。


 父やバルドルは領地の防衛強化を急ぐべきだと進言する。僕も同感だった。


「Oracle、防衛計画の詳細を教えてくれ」


『詳細な防衛計画には、マナクリスタル1個が必要です』


 僕は、最後の一個となったマナクリスタルを迷わず使った。


『ダウンロード完了。見張り台の増設、警報システムの構築、そして侵入者を検知するトリップワイヤー(引っかけ線)や落とし穴などの簡易的な罠の設置を推奨します』


「わかった。すぐに実行しよう」


 これで、手持ちのマナクリスタルはゼロになった。一抹の不安がよぎるが、Oracleの言う通り、僕にはもう十分な知識が蓄積されているはずだ。


   ◇


 防衛強化工事が完了し、さらにセメントの独占製造権も正式に登録された一週間後。領地に、予想外の来訪者があった。


「若様、教会の神父様が……」


 バルドルの声は緊張していた。ついに教会が動いたのだ。


 応接室で僕を待っていたのは、エドガーと名乗る老神父だった。穏やかな顔つきだが、その目は鋭く僕の本質を見抜こうとしている。


「単刀直入に申し上げましょう、エルス様」神父は静かに、しかし有無を言わせぬ口調で言った。「あなたの技術は、神の教えに背く『異端の知識』である、と。王都ではそのような噂が流れています。真実を確かめに参りました。あなたは、悪魔と契約なさいましたか?」


 部屋の空気が凍りつく。僕は、背中に冷たい汗が流れるのを感じながら、真っ直ぐに神父の目を見返した。


「いいえ。断じて違います」


「では、その知識はどこから?」


「それは、神が創られたこの世界の法則を、学び、応用したものです。石灰岩を焼けば固まる性質があること。砂を溶かせばガラスになること。それらはすべて、この世界に元から存在する、神の御業です」


 僕は、セメントとガラスの工房へ神父を案内し、その製造工程を包み隠さず見せた。ギルバートが、窯の仕組みを丁寧に説明する。


 神父は、完成した一点の曇りもない板ガラスを光に透かし、その向こうに広がる領地の風景をしばらく眺めていた。ガラスが作り出す光の屈折が、彼の顔に複雑な影を落とす。


「……美しい」


 ぽつりと、神父が呟いた。


「エルス様。あなたは、神を信じますか?」


「はい。神がこの世界を創り、その中に美しい法則を隠されたと信じています。その法則を学び、人々の暮らしを豊かにすることこそ、神の御心に適う道だと信じています」


 僕の言葉を聞き、神父の鋭い眼差しが、ふっと和らいだ。


「……私も、そう思います。あなたの技術は、異端ではない。神が与えたもうた知恵を、正しく使っているだけです」


 その言葉に、僕は心の底から安堵した。


「ですが」と神父は続ける。「王都の者たちが、すぐに理解を示すとは限りません。もし困ったことがあれば、私に連絡してください。微力ながら、力になりましょう」


 エドガー神父は、確かな支援を約束してくれた。それは、ヴェルナー伯爵の陰謀に対する、強力な盾となるはずだった。


(第17話 了)

次回予告:第18話「王都への招待状」


教会の理解を得て安堵したのも束の間、ヴェルナー伯爵の次なる一手は、グランディア領の経済を完全に断つ「取引停止」通達だった。絶望の淵に立たされたエルスのもとに、一通の手紙が届く――。

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