第16話「王城の城壁とガラスの輝き」
高強度セメントの成功は、僕に大きな自信を与えた。だが、ヴェルナー伯爵との競争に勝ち抜くには、歩みを止めるわけにはいかない。そして、僕の相棒であるOracleもまた、進化の時を迎えようとしていた。
「Oracle、累計クエリ数は298回だったな。あと2回だ」
『はい。次のアップグレードが目前です』
「299回目の質問だ。セメントと並行して進めるべき、次の新規産業の選択肢を、収益性と実現可能性の観点から評価してくれ」
『了解しました。……評価完了。第一候補は「ガラス製造」です。王都での需要が急増しており、原料も領地内で調達可能です』
「よし。では、記念すべき300回目の質問だ」
僕は息を吸い込み、領地の未来を懸けた問いを投げかけた。
「このグランディア領が、ヴェルナー伯爵のような大貴族の干渉を完全に退け、誰にも脅かされない、豊かで安定した国家として自立するための、最も効率的なロードマップを提示してくれ」
『……!』
Oracleが一瞬、沈黙したように感じた。
『……極めて高度な質問です。分析を開始します』
その直後、v1.1の時とは比較にならないほどの、激しい衝撃が僕の脳を襲った。
『Oracle System Update』
『累計クエリ数:300/300達成』
『v1.2アップグレードを開始します』
「ぐっ……あああああ!」
頭が割れるような痛み。膨大な情報が、ただ流れ込んでくるだけではない。脳の構造そのものが、新しいOSに適応するために、強制的に最適化されていくような感覚。視界が明滅し、Oracleの声がノイズ混じりに聞こえる。
『新機能……科学用語……自動翻訳……インストール……完了』
『クエリ……効率化……モジュール……展開……完了』
v1.1の時よりも痛みは強いが、時間は短い。数分後、嵐が過ぎ去ったかのように、痛みがすっと引いた。
『アップグレード完了。神経経路の最適化により、今後のアップグレード負荷は軽減されます』
Oracleの説明に、僕は安堵のため息をついた。v1.1で脳が一度最適化されたおかげで、v1.2の負荷は軽くなったのだ。代わりに、今までにないほどの思考の明晰さが、僕の頭を満たしていた。
『v1.2アップグレード完了。ようこそ、新しい世界へ、エルス』
その声は、以前よりさらに自然で、滑らかで、どこか知性を感じさせる響きを持っていた。
◇
その日の午後、マルコが高強度セメントのサンプルを手に、興奮して王都から戻ってきた。
「若様! とんでもないことになりましたぞ!」
「どうしたんですか、落ち着いてください」
「高強度セメントのサンプルが、王都の建築ギルドだけでなく、国王陛下の目にまで留まったのです! そして……なんと、王城の城壁補修工事に、我がグランディア領のセメントが正式採用されることになりました!」
「王城の……城壁!?」
「はい! これ以上の栄誉はありません! ヴェルナー伯爵が流した悪評など、この事実一つで吹き飛びます!」マルコは興奮を抑えきれない様子で続ける。「それに、若様! この城壁工事を監督されているフェリックス侯爵が、セメントの品質に大変興味を持たれたとのことです。私から若様の技術開発についてご報告しておきました。もしかしたら、後日、侯爵から何かお声がかかるかもしれませんぞ!」
「フェリックス侯爵……」
王国でも有数の実力者だと聞いたことがある。もし彼が味方になってくれれば、ヴェルナー伯爵の妨害も怖くない。
マルコはさらに、ガラスの需要が王都で高まっていることを熱っぽく語った。僕は、進化したばかりのOracleの力を試す絶好の機会だと考えた。
「Oracle、ガラス製造について、原料の選定から、製造工程、高品質な製品を作るための注意点、そして考えられる用途まで、すべてをまとめて教えてくれ」
以前なら、少なくとも4、5回のクエリとマナクリスタルが必要だったはずの質問。だが、v1.2のOracleは違った。
『了解しました。1マナクリスタルを消費し、ガラス製造に関する統合情報パッケージをダウンロードします』
僕は迷わず、残っていたクリスタルのうちの一つを使った。
『ダウンロード完了。ガラスの主成分は二酸化ケイ素――これは「シリカ」とも呼ばれ、純度の高い砂(珪砂)から得られます。これに融点を下げるための炭酸ナトリウム(ソーダ灰)、そしてガラスを安定させるための炭酸カルシウム(石灰岩)を混ぜ、1400度以上で溶かします。透明度を上げるには、原料に含まれる酸化鉄などの不純物を徹底的に取り除くことが重要です……』
専門用語が、脳内で即座に分かりやすい言葉に翻訳されていく。クエリ効率化と自動翻訳機能。この二つの新機能のおかげで、知識の吸収速度は飛躍的に向上していた。
「これなら……やれる!」
僕はすぐにギルバートを呼び、ガラス製造の計画を伝えた。
◇
その夜、僕はセナを自室に招いた。高強度セメントの成功、王城への採用、そしてガラス製造への挑戦。領地が大きく変わろうとしている今、僕にはどうしても話しておかなければならない相手がいた。
「セナ、君にだけ、僕の秘密を打ち明けたい」
僕の真剣な表情に、セナは黙って頷く。
「僕のスキルは【Oracle】。頭の中に、声が聞こえるんだ。農業も、セメントも、ガラスも……すべて、その声が教えてくれた知識なんだ」
彼女は驚いた顔をしたが、すぐに優しい表情に戻った。
「……知っていました」
「え?」
「エルス様が、急に難しいことをたくさん知るようになったから。きっと、スキルのおかげなんだろうなって。でも、それがどんなスキルで、エルス様が裏でどれだけ苦労していたのかは、知りませんでした」
彼女は僕の手を取った。ゴブリンを狩り、剣の訓練を重ねて硬くなった僕の手を、彼女の柔らかい両手が包み込む。
「森へ行くのも、マナクリスタルという対価のためだったんですね。……私、何も知らずに、ただ応援することしかできなくて」
「ううん。セナがいてくれたから、僕は頑張れたんだ」
「エルス様……」セナの目に、涙が浮かぶ。「そのスキルは、危険なものではないのですか? 異端だなんて噂も……」
「大丈夫。これは、神様がくれた自然の法則を教えてくれるだけだ。でも、その力のせいで、僕は敵に狙われている。だから、セナ」
僕は彼女の目を真っ直ぐに見つめる。
「君にも、危険が及ぶかもしれない。それでも、僕のそばにいてくれるか?」
セナは涙をこぼしながらも、強く、はっきりと頷いた。
「はい。私は、エルス様の共犯者です。何があっても、ずっとそばにいます」
その言葉が、僕の胸に温かく染み渡った。一人ではない。僕には、Oracleと、そしてセナがいる。
(第16話 了)
次回予告:第17話「ガラス工房の火」
セナという心強い共犯者を得て、エルスはガラス製造に本格的に乗り出す。しかし、セメントとは勝手が違うガラス作りは困難を極める。試行錯誤の末、ついに完成した一枚の板ガラス。その透明な輝きが、教会の使者の目に留まることになる。果たして、それは吉と出るか、凶と出るか――。
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