Ⅱ-15 逃走

 ツェリスカの拉致。

 その犯人はアブトマット率いる影――そう考えるのが最も自然だった。

 予測していた事態ではある。だからこそ、カルカノは影の動きを警戒し、事前に情報攪乱の布石を打っていた。

 それを掻い潜っての拉致……。影の中に相当な実力者がいる可能性が浮上する。


「……だが、それだけでは説明がつかない」


 聖徒騎士団に捜索の命を出しながら、カルカノは唇を噛んだ。

 胸の奥に引っかかるものがある。

 本当に影の仕業なのか――。


「カルカノ、肩の力を抜け」


 蔡嘴ツァイズィは余裕の笑みを浮かべ、椅子に深く腰掛けたまま葡萄酒ワインを傾けていた。


「しかし、これは私の責任……」


「視野を広げよ。今のお主は、まるで初陣の若兵だ」


 そう言われても、どうすればよいのか。

 戸惑うカルカノの肩を、ラハティが軽く叩く。


「らしくないぞ、大僧正。ツェリスカを狙うのはアブトマットだけではなかろう」


 ハッとした。

 むしろ、アブトマット以上に彼女の存在を忌む者がいる。


「……反政府組織」


「蛇の者を呼べ。ここにいるな?」


 蔡嘴の一言で、空間がわずかに揺らいだ。

 現れたのは、ツェリスカの元侍女であるボアだった。


「ここに」


「例の組織にも蛇を潜り込ませていたはずだ。何か掴んでいるか?」


「幹部層への接触は叶いませんでしたが、何かを企んでいる気配はありました」


「ならば、蛇を引き上げさせよ」


 蔡嘴の即断に、一同は驚きを隠せなかった。


「何故ですか、剛皇帝!」


「幹部に潜り込めないという事は、組織の上層部は既に別の構造を持っている。下層は囮に過ぎん。今回の事件は、その上層組織が動いた証左。ならば、蛇は斬り捨てられる前に退かねばならん」


 言葉の重みが場を包む。

 蔡嘴が王国の情勢を知ったのはほんの少し前。

 それでいてこの分析――さすがと言うほかない。


「拉致の事実を公表しろ。混乱の中で、蛇を安全に引き揚げられる」


 ラハティ、ウィンチェスター、シャルロットも頷く。


「ルイン、鐘を鳴らしなさい。夜中であろうと、ツェリスカ殿の拉致は王国に対する反逆であると知らしめるのです。ボアは潜入中の蛇へ伝達を」


「御意に」


 二人は即座に動き出した。


「……ところで、カルカノ。お主、あの組織の正体に目星は付いておろう?」


 蔡嘴の問いに、カルカノは無言で頷いた。



 真夜中の王都に響く鐘。


「鐘!?」


「魔王軍の襲撃か!?」


 混乱が瞬く間に広がる。

 これは王都の城が鳴らす警鐘――王家の葬儀か、戴冠、あるいは敵の侵入。

 この時間に鳴る理由など、一つしかない。


「どうするんだ!」


「避難所へ向かえ!」


「衛兵は何処だ!」


 混乱する市民をかすめ、黒衣の三人の男たちが走る。

 一人が白布に包まれた何かを抱えていた。


「鐘なんぞ、奴らの失態の証だ。気にするな」


 建物へ駆け込み、隠された小型の荷馬車へ。

 荷物の下に白布のそれを隠し、御者が台に乗る。


「出すぞ!」


「いけ!」


 南門へと向けて馬車が駆ける。

 混乱に紛れて人垣を突き抜ける。


「衛兵!書類はこれだ!」


 衛兵は確認し、頷く。


「通れ!門を開け!」


 門がゆっくりと開く。


 荷馬車が外へ出たその瞬間、横道へ。

 三頭の馬。

 荷を乗せ、三人は馬に跨った。


「行くぞ!」


 夜の街道へ飛び出す。


「奴らだ!」


 追手。

 騎馬二騎。


「早すぎる……!」


 最後尾の男が叫んだ。


「後は頼む!」


 男は馬を反転させ、両手に長剣ロングソードを構えて突っ込む。

 剣は馬の脚へ。

 一騎が崩れる。


 だが、男の喉には既に剣が突き立っていた。


 もう一騎の兵士が馬を蹴って宙を舞い、投擲。

 先頭の男を狙うが――


「走れ!」


 間に入った仲間が鞭を入れ、剣を受ける。


 彼はそのまま馬から落ち、息絶えた。


「逃したか……」


 落馬した兵士は肩を押さえる。


「くそ、外れた……」


「報告だ。向かう先は分かってる――プフ城だ」


 彼らは衛兵に扮した蛇だった。


 死体を回収し、闇へと消えていく。


 ツェリスカを拉致し、向かった先――かつてマンリヒャー家が治めていたプフ城。


 すなわち、一連の事件の首謀者はマンリヒャー家関係者。


 そして、それが意味するのは――


 報告を受けたカルカノは、深く長い溜息を吐いた。


 後に「マンリヒャーの反乱」と呼ばれる動乱が、いま静かに幕を上げた。

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