5日目
行かない、という選択肢も考えた。
が、宿題しながら小一時間悩んだ末、『うんっていっちゃったんだから』と自分に言い訳し、結局、ナツに会いに行くことにした。
彼女は昨日と同じように、無表情で立っていた。
別れ際の顔を思い出して、それと今の無表情を比べ、少しだけ残念に思った。
「水筒は?」
「あっ! 忘れてた」
悩みすぎて、いつもの水筒を忘れてしまったのだ。僕は慌てて頭を下げた。
「ごめん! 明日はもってくるから」
「うん」
少しだけ顔をあげてみても、ナツは相変わらず無表情だった。
「今日は釣りざおをもってきたから、海にいこう」
僕たちは二人並んで釣り糸を垂らした。
その日の海は穏やかで、空には雲一つなかった。海との境界がわからないほど、深い青色をしていた。
ナツの横顔を盗み見ると、青い瞳のなかにも、海が見えた。
「あ、釣れた」
ナツの手にした糸の先には、必死にもがく赤茶色の魚がいた。
「アイナメ」
「ナツはホントに生き物をつかまえるのがうまいんだね」
彼女は例によって、魚を空に放り投げた。
「ね、だれにとり方を教えてもらったの?」
「お母さんだよ」
僕はその言葉に、思わず黙ってしまった。
「――ボクは、お母さんに教えてもらわなかったの?」
ナツが細い首を傾けながら問いかける。
「うん」
「どうして?」
「お母さん、ボクが産まれてすぐ、遠くにいっちゃったんだって。お父さんがいってた」
――母は、僕を産んだ時に亡くなってしまったそうだ。
当時の僕に父は真実を告げず『遠くに住んでいる』と言い聞かせていた。僕は遠くと言われると、外国くらいしか思い浮かばなかったため、南の島でフラダンスを踊っていると勝手に想像したものだ。
「――ナツのお母さんは、どんな人なの?」
彼女は僕から視線を外して、海と空の境界線の辺りを見つめた。その横顔は空を貫いて、もっと遠くを見ているようだった。
「お母さんも、ボクのお母さんと同じように遠くに住んでる」
「え、そうなの? じゃあ、仲間だね」
「仲間?」
「お母さんが遠くに住んでる仲間」
「――ボクの仲間には、なれない。だから、友達がいい。ただの、友達」
「うーん……わかった」
実は、よくわかっていなかった。
「とにかく、友達ってことね」
僕が笑いかけると、ナツもそれにつられてにっこり笑った。
そして、少しだけ悲しそうな顔をした。
――その顔で僕は思い出した。明日が、ナツと遊べる最後の日だということを。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。