🌿祈りの学校 ― 焦げた手と、光のパン ―

「ルカ先生、またパン焦がしてる!」


「……焦げじゃない。“深み”だ。」


「いや、真っ黒ですって!」


 子どもたちの笑い声が響く。

 ここはミルダ村の小さな丘にある、“祈りの学校”。

 聖女リフィアが建てたこの場所は、

 “神の祈り”ではなく、“人の祈り”を教えるための学校だった。


 毎朝、授業はパン焼きから始まる。

 火を灯し、小麦粉を練り、香りが満ちる。

 それだけで、子どもたちは笑顔になる。


 教室の隅、窯の前でルカが腕を組んでいた。

 かつて異端審問官だった男が、今はパンの焼き加減を気にしている。

 焦げた右手が、今では子どもたちの“安心の象徴”になっていた。


「先生、火が強すぎます!」

「……俺は火加減が下手らしい。」


「もう、前の“浄火”とは違うんですから。

 優しく包むように、って言ったでしょう?」

 リフィアが微笑みながら、彼の腕をそっと取った。


 その瞬間、ルカの炎がやわらかく揺らぐ。

 火が落ち着き、パンがふっくらと膨らんでいく。


「……あなたの光は、不思議だな。」

「光じゃありません。ただの、祈りの温度です。」


 リフィアの言葉に、ルカは小さく笑った。

 その笑顔には、もうあの頃の痛みはなかった。


 昼休み。

 子どもたちが走り回る庭の隅で、リフィアとルカはベンチに座っていた。

 風が吹き抜け、白い花が散る。


「ルカ先生。

 あなたが、この村に残ってくれて良かった。」


「……俺には行く場所がなかっただけだ。」


「いいえ。

 “焦げた場所”を焼き直すには、ここが一番いい場所です。」


 リフィアは空を見上げた。

 どこまでも青く、雲がゆっくりと流れていく。


「焦げた手でも、祈れるんですね。」

「……焦げたから、祈れるのかもしれない。」


 二人の間に、静かな笑いがこぼれた。

 それは懺悔でも奇跡でもない、

 ただ“人としての優しさ”の音だった。


 夕方。

 授業の終わり、子どもたちが帰ったあと。

 窯の中には、今日一番うまく焼けたパンが一つ残っていた。


 リフィアがそれを取り出し、

 ルカの焦げた手にそっと渡す。


「あなたが焼いたパン、初めて焦げていませんね。」


「……そうか。」


 ルカは少し照れくさそうに、

 パンを割ってリフィアに半分を渡した。


「じゃあ……祈りの代わりに、“いただきます”だな。」


「はい。“いただきます”。」


 二人が同時に口に運ぶ。

 香ばしい香りと、柔らかい甘みが広がった。


「うん……やっぱり焦げないパンより、少し焦げてる方が美味しいですね。」


「……それは俺の人生そのものだ。」


「ふふっ、じゃあ、たくさん焦がしていきましょうね。」


 外では、アレンとミレイユの店から笑い声が聞こえる。

 村全体が、焼きたての香りに包まれていた。

 その中で、リフィアが目を閉じて小さく祈る。


「焦げた世界が、今日も優しい香りで包まれますように。」


 その祈りに、ルカが静かに応える。


「……ああ。焦げても、焼き直せるからな。」


 二人の言葉が重なり、

 窯の火がふっと明るくなった。


 それはもう、神の奇跡ではなかった。

 ただ、“人の手で灯した希望”だった。

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