喜々、私の独り言は。
永遠みどり
喜々、私の独り言は。
──私は彼に出会えて正解であった。
私の旦那は世界で一番のヒーロー。
ベッドに横になりながら明るく光るスマホの画面を見つめ、そっと額につける。新しく届いたメッセージに顔をクシャっとさせて私は口角をあげる。
普段は旦那の事を「樹くんは泣き虫さんですね~」なんて言ってからかっているのに今の私はそんな事を言える立場にない、絶対にあの人には見られたくない私の弱い部分だから。ゆっくりと袖で涙を拭ってからもう一度画面を見てみると、スタンプが送られてきていた。心配そうな顔をしたヒヨコが頭にハテナマークを浮かべている。それを見て、思わずくすっと笑わずにはいられなかった。あの人は男なのに泣き虫で情けなくて、頼りない。そしてとても可愛らしい人なんだ。
彼と付き合い始めた当時、数人の親友には「え、里奈がこの人と?いがーい」だとか「里奈には似合わないって、一回講義が一緒になったけど、静かだしなんか人を見下してる!みたいな感じだったよ」だとか「里奈はとっても明るいんだから、もっと明るい人がお似合い」だとかずいぶんとおせっかいな助言を耳にタコができるほど言われた。
そう言われるほど彼は何処か人とは距離があったし、話し難い雰囲気だったのだろう……と思う。 断言できないのは、彼に始めから興味を示していた私は彼の初見の印象を良く知らないから。当時大学三年生でいわゆる青田買いというもので卒業後の進路が決まったばかりの私は随分と浮かれていて、全体的に調子もよかったそんな時期に二歳年下の彼に出会えたのもきっと運命だった。
そもそも運命じゃなかったら四年近くも交際した末に結婚して子どもを産んでないか、と一人で苦笑いをする。私たちの宝物の柚希。まだ産まれて三か月も経っていない大切な息子。名前は最初柚木にしようと思っていた。樹と似たような雰囲気が欲しくて。
私がベッドでうんうんとまだ悩んでいたとき、樹がそっと近くの丸椅子に腰かけて「希望の意味を名前にこめたらだめかな」なんて頬をポリポリと搔きながら言われたら、断る理由なんて見つかるわけがない。彼の珍しく強い願いである『柚』の字は入れると既に決めていたこともあったからなのか、提案してきた本人が二文字目まで本当に自分の意見を通して良いのかと複雑な顔をしていたのも懐かしい。
それから暫くは我慢しなくていいんだよ、とか「木も素敵だよね」とか言ってきたから強引に「私の希望なんで変えたくないでええす」とピースをしながら言えば彼は得意のえくぼを作って頷いてくれた。
それから幸せそうに彼はまた微笑んで、まだ目の開いていない赤子に「ゆずき、ゆずくん、、柚希」とふにゃりとした顔で笑っていたのがあまりにも尊い光景で私の脳裏に焼き付いたのはあっという間のこと。
だからこそ私は絶対的な自信がある。
きっと彼ならばこの子、柚希を優しくて素敵な思いやりのある大人に育てていくのだろうといったなんの根拠もない自信。それに私と樹の子どもだもん、優しくないはずがないじゃない。お母さんは誰よりも君が優しいのは君が宿った時点で知っているんだからと、誰に聞かせる分けでもなく小さくつぶやいてみた。
しかし、思っていた何倍も私の声が震えている事に気づいてはっとする。どうやらまた泣いてしまっていたようでだ。最愛の彼と最愛の子が歩む未来に想いを馳せてはそこに私の居場所がない──消毒の香りが充満している静かな病室で鳴り響く一定の機械音がその現実を否応もなく突き付けてきた。
樹は見舞いに来るたびに私の手ぎゅっと握って「大丈夫だから、治るから」と言ってみたり「よくなるから、よくなってるから」なんて励ましてくれる。
だけどそれが真っ赤な嘘であることくらい長年付き添った妻じゃなくてもきっと気付く、だってそれが貴方だから。毎日のように鼻水垂らして目に涙をためていたら、かっこつけも嘘も全部台無しになるに決まってる。それは彼の良いところでもあるし、情けなさの所以でもあるのだけど。
だけどそんな彼がいるから私は強がれる。元気な頃の私と変わらぬ笑顔で「樹くんはなきむしさんですね~」とか「ドンマイドンマイ」なんて強く明るいままの私で居続けることができるから。
「樹……ごめんね」
ぼそっと病室に木霊するだけの謝罪を掠れた声で呟くと同時にツーと目尻から涙が次から次へと溢れて止まない。長い間、病に体を蝕まれてきた私だからもうわかる、きっとそれはもうゆっくりと私の人生のスイッチを押してもうじきカチッと音を立てることくらい。
いまこの瞬間もゆっくり、ゆっくりと私の命は終わりに向かっている。情けない私の唇の震えがやけにうるさくてそっと人差し指を口元によせてはむる。
所詮私は誰よりも明るくて社交的な人気者を模倣してきただけの弱い人間に過ぎない、そうしなきゃ生きる事のできなかった弱い人間とも言える。
まとまりの無い思考が私を支配するけど、結局のところ言いたいことは一つ【まだ生きたい】それだけだった。ただこれからも樹と柚希をまとめてぎゅっと抱きしめて「私は二人の事を愛してるぞー!」なんて言って笑って、私も一緒に未来を歩ませてほしかった、それだけのこと。
ノートに書ききれないほど、強欲な私はやりたい事があまりにも多すぎた。いろいろな意味で神様は不公平だと、もうじきお世話になるであろう存在に悪態をついてみる……だんだんと瞼が重くなってきた。
泣き疲れたのもあるけどこれは、きっと──
私はそっとスマホの画面をもう一度持ち上げて、樹とのメッセージを見る。『里奈さん怖いよ笑笑 了解ですd(≧▽≦*)まってるね』に続いていたヒヨコのスタンプにそっと、ハートの形のリアクションを押してからゆっくりと文字を入力し始め「樹くんはさみしがり屋さんですね~」と書いて送信しようとしたときに強烈な眠気に誘われた。
返事くらいはしないと樹が泣いちゃう……そう分かっていても今この瞬間の微睡が途方もなく気持ちよくて私はスマホをポトリと毛布に落とした。へんじはまた、あとででもいいかな、なんて考えながら。
遠くから聞こえるバタバタでさえやけに心地よく感じ、ノイズ交じりの声で誰かに何度も「清水さん」と呼ばれてる気さえしてきた。まったくもう、騒がしいことだ。後でいっぱい私の樹くんの自慢は、してあげるから、まってよ、もう。でもね『清水』これはほんの数年間だけど彼が私に分け与えてくれた何にも代えがたい贈り物だからよばれるのはねうれしいんだ。だからあのねいつき、あのね、わたしはね
【清水里奈は、貴方にぎゅっと愛されてとても幸せでした】
喜々、私の独り言は。 永遠みどり @ModorrDamon
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