恋愛
青雨
第一章
強烈な一瞬だった。
秋の大会で弓道部の助っ人に入った南先輩が放った矢が的のど真ん中を貫き、先輩のその横顔、一礼するきりりとした姿勢のよさにまた、凛の心臓も同時に射抜かれたのだ。
同じ学部で同じサークルの、一つ年上の彼を知らなかったわけではない。
だが凜は元々恋愛だとか男女のそれとかいったものに疎く、だからそういったことに興味も薄かった。異性などに目がいくはずもなかった。
その日から、凛の生活は一変した。
自分に似合う服を研究して、どうやったらかわいくなれるかを勉強した。
大学のある日は、鏡の前で髪を巻いてから出かけるようになった。
下着も新調した。古びた下着を着た女なんか、南先輩はご免だろうと思ったからだ。
ひとえに、先輩に振り向いてもらいたい、先輩に見合う女になりたい、その一心からの自分磨きだった。
それに付き合わされるのは、いつも
「なあ、またかよ」
彼はうんざりしたように言うと、凛を見下ろした。
「今度はなんだよ」
「服。スカート一緒に見て」
「同性に頼めよ。女の意見の方がいいだろうがよ」
「だーめ。男性の意見がほしいの」
「けっ」
霧亥はたまらずそう言葉を漏らすと、もう何度目になるのか、こんなことを言った。
「南先輩に頼めよ」
「なに言ってんのよ。そんなのだめに決まってる」
「へっ、南先輩のために買うんだろ。んじゃ南先輩に見立ててもらえりゃいいじゃねえかよ」
「それができたら苦労しないって」
歩きながら、二人は同じ教室へ向かっている。凛と霧亥は学部が同じなため、履修する授業も似通っている。それにサークルも一緒であるので、行動が共にしやすい。
結果として、買い物に付き合わせるのにまことに都合がいいのである。
九月の大会で凛が南先輩に一目惚れしてからむこう、霧亥は彼女の様々なことに相手をしてきた。
肌の手入れの仕方、化粧品選び、服の色の良し悪し、靴の正しい履き方、果ては下着選びまで、彼は辛抱強く凛の側にい続けた。
それが、彼がやさしいがゆえ、彼の友情ゆえであるということを、凛は信じて疑わない。
秋が深まって、落ち葉が舞うようになってきた。
渋谷の服屋でスカートを見ながら、凛は言う。
「あ、これなんかどうだろう。先輩好きかなあ」
「まずはお前に似合うかどうかじゃねえの」
「そっかあ。そうだよね。鏡どこだろ」
霧亥は黙って後ろを指差す。凜はそちらへ歩いていって、スカートと自分を合わせてみる。
まったく女の欲望ってのは、果てしがないぜ。次から次へと、よくもまあ。
もう何度目になるのかも忘れた買い物に付き合いながらも、霧亥はそれに文句を言わない。
事実を言うのなら、彼はこうした買い物は少しも好きではない。あれこれと品を変え所を変えてあれやこれやと悩むのにはいらいらとする性分だし、さっさとしろと怒鳴りたくもなる。自分の買うものはわかっているから、さっと買いに行ってぱっと買ってものの三十分ほどで用事をすませ、喫茶店かカフェで食事やお茶をして本でも読んで家に帰る、それが彼の時間の過ごし方だ。
だから、凛が一着の服を買うのに頭を悩ませ鏡の前で首を傾げるのにも我慢がならない――はずである。
だがしかし、この場合そうはならない。
「おい、なに悩んでんだ」
「え、なんか丈がいまいちしっくりこなくて」
「んじゃやめろ。時間の無駄だ」
「でも色が好きなんだもん」
「じゃあ候補に入れといて他の店見て他になかったら戻ってくればいいだろ。次行くぞ」
「えーその間に売れちゃったら」
「それは運命」
「そんなあ」
「そんなに簡単に売れるかよ」
「そうかなあ」
「次の店はどこだ」
「あっち」
「似たようなとこじゃねえか。ある。運命の一着はきっとある」
だがその店に行っても思わしいものは見つけられず、次の店、その次の店と場所を変えていってもなかなか凜のお眼鏡にかなうものはなく、もうあの店に戻ろうかな、と彼女が思った頃、ふと立ち寄った小さな店にまさに凜の好みの色、思ったままの丈の長さ、ぴったりのサイズのものがあって、万々歳の結果となった。
喫茶店でお茶をしながら、凜はほくほくであった。一方の霧亥は、これはくたくたに疲れて片手で顔を覆っている。
「はあ……スカート一着に三時間かよ。まったくこれだから女ってのは」
「いやー助かったよ霧亥。なんでも食べて。おごるよ」
「当たり前だ」
「月曜日、これ着て先輩に会おうかなー」
「……」
霧亥はにこにこしている凛を見て、なにかを言いたげだ。
「告白、しねえのかよ」
「えー? 無理無理。学部一の人気者だし、いつも女が周りにいるし、側に行くだけで精一杯だよ。サークルおんなじでよかったー。学部一緒っていうのも、ポイント高いよね。
なにかと話しやすいじゃん。共通の話題あるから、他の女子よりは話せると思うんだよね」
南先輩の周りには、いつも人がいる。大抵は女だが、彼は男にも人気があるタイプなので、男友達ともよくつるんでいる。硬派な南先輩は女たちに言い寄られても決してにやけたりでれでれしたりせず、いつも決まった男友達と一緒に行動して、どちらかというと彼女たちを相手にしていない。
「そこがまたいいんだよねー」
凛が夢中になって言うので、霧亥はやれやれとため息をついた。ひとの気も知らねえで、いい気なもんだぜ。
翌週、凜はその言葉通り土曜日に買った新しいスカートを着て大学へやってきた。
仲のいい友達の硝子が、目ざとくそれに気づいた。
「おっ、凛。それ、新しいね」
「あ、わかる? この前買ったばっか」
「羽鳥に付き合ってもらったの」
「あれ、なんでそんなことまでわかんの」
「あんたたちいっつもつるんでんじゃん。どこ行くのも一緒でさ。付き合ってないのに」
「私と霧亥がー? やめてよ」
からからと笑い飛ばす凛に、あ、と硝子が思い出したように言った。
「そういや羽鳥、さっき文学部の女子に呼び出されてたけど」
「ふうん……なんだろね」
「気にならないの」
「別に?」
「あんたたちっておかしな関係ねえ」
そこへ、霧亥が学食に入ってきた。凜はそれに気づいて、彼にわかるように手を上げた。
霧亥はそれに気づいて凜と硝子のいるテーブルにやってくると、荷物を置いて食事を買いに行った。
そしてカレーライスを乗せたトレイを持って座ると、黙々と食べ始めた。
「うーん?」
凜はなにかに気づく。
「なんかご機嫌斜めだね」
「そうなの?」
「そんなことはねえ」
「呼び出されて、なに言われたの」
「なんにも言われてねえ」
「こらー白状しなさいよ」
「……」
「羽鳥、なによなに言われたの」
「ねえ、どうしたのよ。なに言われたの」
霧亥が手を止めて食べるのをやめ、なにか苦虫を噛み潰したような顔になってしまったので、凜はむむむむむ、と呟いた。
「なにがあったのかなー?」
「……れた」
「え?」
「告白、された」
「ええーっ」
「これは一大事」
「大声出すんじゃねえ」
霧亥に𠮟り飛ばされて、凜ははっと口を押さえた。
周囲の人間が何事かとこちらを注視している。
凜は屈みこんで、声をひそめて霧亥に言った。
「で、なんて返事したの」
「断る理由がねえから、オーケーした」
「ええーっこれは大変です。霧亥に彼女ができました」
「じゃあ今までみたいに凛と行動することもなくなるわねえ」
「それはねえ。女ができたから今までの行動を改めるなんてことはしねえ」
「そうなの?」
「恋人ができたからそれに振り回されるなんて冗談じゃねえよ。俺は俺だ」
「たのもしー」
「それより、今度のキャンプの準備しとけよ」
「あ、うん」
凛と霧亥の所属するサークルは、いわゆるレクリエーションサークルというやつで、夏はバーベキュー秋は栗拾いやキャンプといった行楽を楽しむのがメインのなんでもサークルである。冬にはスキーやスノボ、春には花見と、することが山のようにあるのだ。
予鈴の鐘が鳴った。
「お前らが邪魔するから、少しも食えなかった。次の授業に間に合わねえ」
「早く食べて食べて。行こ」
食堂から学生たちが次々とはけていって、人の姿がまばらになっていった。
窓から秋の日が差し込んで、小春日和である。
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