第3話


 結局のところ、私は運が悪いのかもしれない。

 ナルディアは、ひとつだけ溜息をつく。


 笑うと、幸運が来ると言っていたのは誰だったのか。妹のエリシュラだったかもしれない。

 姉のミーナスはそんなこと言わないはずだ。


 私の笑いは、いつわりの仮面だ。

 自分の心を隠す鎧だ。


 それに、待っていてはだめなのだろう。

 幸運は自分から掴みに行けと言っていたのは、まず間違いなくミーナス姉様だろう。


 今のところ、やむを得ない状況とはいえ、自分からの行動を起こせずにいる私は、やはり運が悪いのだ。


 ナルディアは、そう考えながら敷地内に足を踏み入れた。故国が魔族に襲撃されたこともだが、目的の施設のそう遠くない処に、似たような施設が幾つもあり無駄足を踏まされている。


 三箇所巡って、今のところ何の収穫もない。

 その全てが魔術などで徹底的に破壊され、持ち帰る証拠らしきモノが何もないのだ。

 

 『魔族』の魔法技術、人間のそれを遥かに越えた技術が使われたという物的な手がかりが、何も残されていなかったのだ。


 『ナルディア。君は大して強くないのだから、私の息子の誰かと結ばれてくれれば、それでいい。

 聖将などという危険なことをしなくても、ラナーグ王国の優秀な血をこの国に残してくれれば……』


 思わず、二の腕をさする。


 あの聖王国の聖王エラハの言葉が脳裏を過ぎる。


 あの穏やかな瞳。

 自分の言葉が、神の意思と同じと思っている。常に正しいと思っている純粋な瞳が、逆におぞましいものに思える時がある。


 私のなかに流れる、ラナーグ王国の血。

 魔族や妖魔を討ち取り、特異な能力をその身に宿す『力』を秘めた血。神に与えられた一族の能力。


 それを、最初から手に入れたがっていたのだ、あの初老の王は。

 聖王国の王族は世代を経るごとに、『魔族』に対抗する能力を失いつつある。

 そのため、エラハ王は他国の王族から妻や側室を娶り、多くの子をなしている。聖王国の内部に入り込むことで、その内情が知れた。

 

 『魔族』から守る代償に、能力のある他の王家からの降嫁を求め続けている。聖王国の立場を守る為に。


 ラナーグ王国が『魔族』に襲われた時、聖王国に助力を求めた。だが、その援軍はあまりにも遅すぎた。途中で魔族の襲撃を受けたというが、それは信じ難かった。


 私達姉妹の無事を見て流した、あの涙。

 あれは、私達の血が失われずに済んだという安堵の涙ではないか。

 ナルディアは、そう思っている。


 

 過去の想いから、意識を引き剥がす。 

 とにかく今は、目の前の任務に集中しなければ。



 虫の声だけが、闇の中に静かに響き渡る。

 冷たい空気が、その身をかすめて渡ってゆく。


 薄い灯りが、内部で小さな弾ける音ともに明滅を繰り返し、建物の輪郭を浮かび上がらせた。


 「何?……このキツい匂い?」

 白い旅装法衣に身を包んだ彼女が、裾で鼻を押さえつつ、崩れた舗道に脚をそっとおいた。

 



 研究施設跡。

 他と同じく既に廃棄された施設だ。

 ただ、これまでと違い、魔導灯が幽かな灯りがある。


 「今度こそ、当たりだといいけど」


 ローラン共和国からの情報は、逃げ出した『改造兵』からもたらされたモノだ。

 それは、おそらくフレイのことだろう。逃げることの出来た『改造兵』の情報は今のところ、一つしかない。

 ナルディアが知る限り、それは彼しかいない。

 

 気化した薬品の白濁した汚れがこびりついた、窓の奥を透かしみる。


 割れた培養槽の列が見える。

 数は、10基を越える。


 この施設は、まだ完全に死んではいない。


 そのため培養槽が乾ききらず、半端なかたちで溶液が腐って悪臭を放っているのだ。


 

 魔族が関わった証拠、それが必要だ。

 

 薄暗い施設内部に、さらに脚を踏み入れる。

 匂いがさらに酷くなる。


 中からボンヤリとした光が滴り落ち続ける培養槽がある。

 他よりも、ひときわ大きい。



 縦に割れて、液が半分以上失われていた。


 溶液の中身が腐り果て、それを養分にした種類の分からない藻が溢れかえっている。


 「分析器、分析器」

 背嚢から、水晶板を嵌めた器具を取り出す。


 

 培養槽の中に向けると、組み込まれた術式が低い起動音とともに立ち上がる。


 「融合補助のアーケイン・エッセンスが39%、意識及び記憶の消去安定剤エコーセラム20%、不明16%、ヒドラ5%、人間20%」  

 魔具が、無機質な声で報告する。



 明らかに、人間の中にある設計図に手を加えている。『神の設計図』という考え方がある。


 神が人間を作った時の設計図。それが生まれた時に人間の中にある。

 だから、人間から生まれるのは人間の赤ん坊だし、別のモノが生まれることはない。ラナーグ王国で、僧侶達が研究していた内容だ。

 

 培養槽の下のプレートを擦る。


 『魔☓計画』

 一部が掠れてよめない。

 嫌な予感だけが強くなる。



 ふと棚の引き出しが半開きになっているのが、目に留まる。

 ……これは……?



 月明かりを頼りにページを繰る。

 「融合実験個体No..5、ノア。下級魔族との『遺伝子』融合実験。変身による『細胞』崩壊がみられる。一定の成果あり」


 やはり、魔族が関わっている。

 『遺伝子』『細胞』という聞き慣れない言葉。

 証拠としてこれを持ち帰れば、充分だろうか。


 それに、『ノア』の名前。

 あのヒトのことだ。フレイの友人。

 最期にその身を犠牲にして逃がしてくれたヒト。


 この施設で間違いはない。

 フレイのいた施設だ。

 

 さらにページを繰ってゆく。

 「No.7、アーシャ。変身不可。個体としての能力向上のみ」

 「No.9、フレイ。魔族及び妖魔の身体の一部との『遺伝子』融合。変身の可否、不明」


 アーシャに、フレイ。

 ようやく見つけた。


 しかし、下級魔族だけではない。

 魔族や妖魔との融合まで。


 あのひとは、そんなモノを身体の中に入れられたのか。現在の人間の技術では、おそらく元には戻せないだろう。


 フレイ、今どこにいるの?

 大丈夫なの? 私、ここに来たよ。君を初めて知った場所に来たんだよ。


 ……だめだ。勝手に彼との再会に期待している。


 会っていきなり貴方のこと知ってます、って言うの? そんなの怪しいだけの不審者でしょ?


 思いに耽るには、まだ早い。

 いろいろと、先に片付けることがある。

 

 「先ほどから見ていますよね?」


 右奥の壁に視線だけを向ける。

 あそこだけ違和感がある。壁の色の一部がズレているような感覚がある。

 

 「なぜかな? 彼女にも見破られたんだけど、僕の保護色、そんなにも分かりやすいのかな?


 ねえ、キミは聖将なの?

 だったら、助かるんだけど」

 

 壁の一部が、大きく消えてなくなる。

 壁の裏側に大きく掘り抜かれた穴がある。

 そこから脚が何本も湧き出してくる。


 巨大な蜘蛛。その胴体は頭を含めて、丸く収まっている。背中の盛り上がりまでの高さは、ナルディアの二倍はある。



 「どなたですか?」


 合わさった牙の奥に、人間の口らしきモノが見える。あそこで喋っているのか。


 「僕は、セス。ここで改造された。

 貴方が聖将なら、頼みがある」


 セス。憶えています。

 アーシャさんを殺した方ですね。


 「なんでしょう?」

 にこり、と笑う。


 「僕を殺してほしい。こんな姿になってまで、もう生きている意味なんてない」

 ボソボソと喋る。小さく暗い声。


 「フレイを殺そうとしましたよね? あと、アーシャさんを、斬りましたよね?

 それは、生きたかったからですよね?」

 

 蜘蛛の複眼の光が揺らぐ。

 「なぜ、それを?なぜ、フレイやアーシャのことまで? キミは一体?」


 「それに、貴方は死んだはずですよね?

 ああ、『擬死』という能力があるんですね?それで死んだふりをして、もう一度、機会をもらったのですね」

 ナルディアの瞳に、神言がまとわりついている。

 『幻視』。見えざるものを見抜く能力。


 「ああ、そうさ。生きたいから、殺した。やむを得なかった。誰だって、そうだろ?


 死にたくないから、殺すんだ。貴方だって、そういった選択はあったはずだよ」


 彼女は笑う。にこにこと笑う。


 「そうですか。私にはよく分かりませんけど、死にたいのですよね?

 分かりました。お手伝い致します」

 ナルディアが、スッと蜘蛛の傍に歩み寄る。


 「気を楽に。痛みが少ないように、すぐ終わらせますから」

 その繊手が、蜘蛛に添えられる。



 「キミは、迂闊だね。ここまで近付いたら、もう逃げられない」

 まわりの太い粘糸が意思を持つように、彼女に襲いかかる。その腕を胸を食い込むように締め上げる。苦鳴があがる。


 「ああ、ようやく食べられる。何日もリスや虫しか食べていなかったんだ。

 あのアーシャに較べて、キミの肉は柔らかそうだ。


 牙をたてたら、血がじゅわ、っと滲んで美味しいんだろうなぁ。たまらないよ」


 その背中にスッと降り立つ者がいる。

 「ご期待に添えず、申し訳ありません。私、美味しくないですよ」


 瞬間、光が弾ける。

 蜘蛛の複眼の中央に、拳ほどの穴があく。


 「なぜ……?」

 糸に捕らえられたナルディアが、消えてゆく。


 「幻です」

 蜘蛛の身体が傾いてゆく。

 「なぜ……分かった……?」


 「貴方の瞳は、生きたい生きたい、そればかり言っていましたよ。そういう嘘、分かるんです。


 私も嘘つきですから。


 私、誰かを殺してまで、生きたいなんて思ってませんから」

 蜘蛛の脚が自然と折り畳まれてゆく。

 なぜ虫は死ぬとき、天に脚を合わせるように曲がってゆくのか。


 「嘘つき、だね……キミも、僕を殺したじゃないか……」

 それが最期の言葉になる。


 「誰か、と申しましたよ。貴方、もう心がそうではないでしょう?」

 彼女はそう言いつつも、手を合わせる。

 死ねば、等しくどこかに還る。その時は、冥福を祈るだけだ。




 「……っ」

 ナルディアの姿が、闇の中にかき消える。


 「無駄だ。匂いで分かるぞ、女。人間の女の匂い。出てこい!」


 牛のそれをふた回り大きくした角。巨体。

 容易く人間を両断しかねない巨斧。



 「あえてここだけ、半端に『活かして』おいた甲斐があった。俺は魔族に仕える四十四妖鬼の一鬼、ムクロだ」


 斧を振り上げる。

 その鈍き刃が燐光を帯びる。


 『気』による破壊の斬光が溜め込まれる。


 「破!」


 光輝く巨斧が叩きつけられて、床石が砕ける。

 猛き光が、辺り一帯に破壊の嵐を呼ぶ。


 砂塵舞う中、小柄な影が物陰から現れる。

 その手の宝玉に指を滑らせる。


 彼女の手袋に埋め込まれた宝玉の技術が、無詠唱を実現している。

 神言が宝玉を囲むように、宙を舞い踊る。


 閃光が闇を切り裂き、鬼の腕と肩を貫いた。


 だが、妖鬼はそれを痛痒に感じた様子がない。

 傷口が別の生き物のように蠢き、その口を閉じて塞いでゆく。

 

 嗤い声らしきモノを上げながら、彼女への突進を開始した。


 再生が速すぎる!


 ナルディアは、今度は閃光を鬼の足場に放つ。

 鬼の姿勢が、つんのめるように崩れた。


 その懐に軽やかに滑り込む。

 巨斧を握りしめる手に、左手を軽く添えた。


 鬼の巨体が振り回されるように、宙を舞う。


 さらには、彼女の右手が別の意思を持つように動き、鬼の顔面に狙いを付ける。


 闘い慣れたその動作。決められた手順を追うようだ。


 

 閃光が三度、瞬く。

 目と口を、それぞれ正確に貫く。

 

 巨体が粉塵が舞うなかに床に沈み込む。普通なら、即死だ。


 だが、その結果を確認せずに、走り出している。

 二呼吸で、施設の外に出た。


 「閃雷」

 その足元に、稲妻が炸裂する。



 「そこまでだ。神将」

 対となる曲がった大角を持つ異形が、そこに待ち構えていた。


 「この場で引き裂かれることを選ぶか、このまま、俺達とともに大人しく来るか、だ。


 我が名は、アグノム。

 察しているだろうが、魔族よ」


 ナルディアの心臓の鼓動が、ひとつ跳ね上がる。

 魔族、しかも下級ではない。

 下級は、このように名乗りを挙げない。


 この国に魔族が関わっていることは、確定した。

 あとは、どうやってこの場を離脱するかだ。

 


 「それは、選択とは言わないよね?

一つ、聞いても?」


 「言ってみるがいい」

 大角の口の歪みが深くなる。


 「なぜ、私が神将だと?」

 ナルディアが少しずつ手を挙げてゆく。


 「胸元の銀翼のペンダント、それが見えた。聖将、格下の『神将』の証よな」


 「格下とか、初対面で失礼ですね。あと、女の子の胸元を気安く覗くないで」


 目をつぶって、可愛い舌を出す。

 彼女の手が、僅かに術光を灯す。


 「小賢しい」

 稲妻が一閃。ナルディアを貫いて、後ろの地面を焼き砕いた。

 彼女の像が、薄まり消えてゆく。

 

 「幻影か。小細工ばかりで、その実は大したことがない、とみた」

 大角の魔族が、施設の外に広がる森の闇に視線を飛ばす。

 

 「追うぞ、ムクロ。捕らえれば、それなりの手柄にはなる」

 施設跡から妖鬼が姿を現す。その身体に、傷はひとつもない。


 「おうよ。先行するぞ。アグノム」

 二つの異形の影が、森の闇に飛び込んでゆく。



 『神将か。奇妙な按配になっているな』



 『これが吉と出るか、凶と出るか』

 女妖ヴェノミアが、少し離れた森の陰から姿を現す。彼女は分身の小蜘蛛達の目を通して、コトの始終を静観していた。


 『二つも相手にするワケにいかぬしな。面倒だか、フレイと相談するしかないな』




 「神将の少女に、魔族と妖魔か」


 これは、運が良いのか悪いのか。

 いや、ここに来たばかりで運などと気弱な事も言ってはいられない。


 魔族達が、施設に関わっているのは明らかだ。

 彼らを見逃す理由は、彼にはなかった。


 だが魔族と妖魔は、フレイにとっても初めての相手になる。慎重にコトを運ぶべきだろう。


 『どうする、フレイ?』


 「神将と魔族が食い合えば、隙ができる。つかず離れずに追うとしよう」

 

 フレイとヴェノミアは、魔族混じりと妖魔だ。

 『神将』の討滅対象になってもおかしくはない。


 『策を弄するのは良いが、足元をすくわれぬようにな。あと、術を使いすぎるな。

 その瞳の色、血のように紅い。赤は魔族の魔力光、魔族化が進んでいる証拠だ。

 他より力を貰わねば、飢えて正気を保つのが難しくなるぞ』


 そう言い残してヴェノミアを飲み込んだ影が、あっという間に森の奥へと消えてゆく。


 フレイも、分かってはいた。自分も奴らのようになる。

 魔族の力を行使するための魔力や生命力が、自身のものだけでは足りないのだ。

 そのために他の生き物や人間の生命を啜り、食らう怪物になる。


 

 それは敵と対峙するよりも、彼にとっては恐ろしいことだ。身体の奥底から震えがくる。


 自分が自分でなくなる。

 以前は、それを欲しいとも思わなかった人間の血肉を、求めるようになる。

 いや、求めるという上品なものではないのだろう。相手を押さえつけて、貪り食うのだ。

 

 そんなものになってまで、生きねばならない。仇を討ち、復讐を果たさねばならない。

 

 「ノア。アーシャ、俺は恐ろしい。

 耐えられる自信がない。


 俺に勇気をくれ。罵りでも何でもいい。

 頼む……声を聞かせてくれ。

 お前たちに、またすがってしまう、情けない俺を赦してくれ」

 奥歯をわれんばかりに噛み締めて、走り出す。


 フレイは心のなかの弱気を振り払い、ヴェノミアの後を森の闇の中へ追うのだった。


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聖なる聖女の黒き刃 蒼目高 @aoao8655

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