第2話
ローラン共和国。
東端の領 セレンフォート。
ここは隣国ソール王国との国境に接し、近年小競り合いが絶えないものになっていた。
両国の間に、戦争の気配が濃厚に漂い始めていた時のこと……
深夜。 セレンフォート領主館の1階に、音もなく降り立つ影が一つあった。
黒い皮膜の羽根が背中で折りたたまれ、その瞳がぎょろりと回りを探る。
そして、動くものがないことを確認すると口もとを歪めながら歩いていく。
まず、背が高い。ヒトの二倍近くある。
そして、その長い爪。まるで叉のある銛を思わせる手の構造をしている。
それは、ゆっくりと屋敷の廊下を進む。
その歩き方は、堂々としている。
確かに足音は、その長駆に見合わず一切しない。
しかし、廊下の中央を好んで歩くのは、何者も自分を阻むことはないという、自信のあらわれだろうか。
しばし進むと、廊下の曲がり角から中央に進み出る者が一人。
黒一色の服に身を包んだ青年が、フードの奥から二つの赤瞳でその者を見あげる。
「……暗殺者を5人斬って、ようやくお出ましか……研究施設の改造兵だな」
闇の中、涼やかな音ともに長剣を抜き払う。
「答えろ」
嗤う。口が文字通り耳元まで裂け、嗤いの形に引き攣る。
「見た顔だ。
我らが発つ前に、見つけたら始末しろと命じられた顔だ。確か、フレイだろ?
正解か? 正解だろ?
生まれ変わる前に、逃げ出した個体だな。馬鹿な奴だなぁ、お前は。そんな半端な状態でどうするんだよ?
俺を見ろよ。人間など、ひと薙ぎさ。
いい気分だぜぇ、手をこう振るだけでよ、紙切れより脆く切り裂けるんだ」
その爪で、嬉しそうに風鳴りを起こす。
一度、二度、三度と……
「それで……ここを通りたいのか?」
「ああ、通りたいねぇ。
でもさ、それより前に君ともやりたいねぇ。
切り応えのある相手で爪とぎしておかないと、切れ味が鈍くなるからな」
今度は、剣が振り下ろされる。
鋭く力強い。空気が押し出され、陰鬱な気配が吹き飛ばされてゆく。
「……情報を引き出すつもりだったが、これ以上お前と話すのは胸糞が悪い。
だから、一つだけだ」
「なんだい?」
「お前の施設の仲間は、どうなった?」
その口がゆっくりと裂けてゆく。
「殺したよ。当然だろ?
殺らなきゃ殺られる。だけど、そんなことどうだっていいだろ?
あんないい気分、人間のままだったら味わえなかった。
俺に敵う奴はいなかった。
人間の肉があんなに美味いなんて知らなかった。
お前も、力を使う度にそんなことを思わなかったか?
もう、自分だけの命では足りなくなっているだろう?
ああ、生まれ変われて良かったよ」
矯声。胸を逸らし嗤う。廊下に響き渡ってゆく。
「礼を言う」
フレイが、指に紅い光を灯す。
「確かに、俺より下衆な奴がいると実に気分がいい」
「俺を見下すか!」
爪が薙ぎ払われる。左右から連続で繰り出す。それをフレイは屈み込み、後ろへと突き抜けるようにやり過ごす。
「加速!」
怪物は旋回しながら、燐光を纏い加速する。
「烈加速」
フレイは唱える。
怪物を越える速度を得る呪文を。相手を追いかけるように、振り払うように背中を切り払う。
背中から、体液が吹き出し撒き散らされる。
「ヒトの姿のまま、力を使えるのか?!」
爪が突き出される。
「爪も腕も伸ばしすぎだ」
懐にするりと入り込み、胸に指先をあてる。
瞬間、紅い光が弾け、胸に拳大の穴が開く。
その内は紅く焼け、異臭が漂う。
「無詠唱、だと……?」
崩れ落ちてゆく。
その身体が、早くも中から焼け崩れ始める。
「この忌まわしい身体の力を使う気はない……
それに、ノアとアーシャが救ってくれた生命だ。あいつらの為に使うと決めている」
月明かりに映る青年の影が広がり、横たわる身体の下へと潜り込んでゆく。
「これは儂がもらおう」
影の水底より、妙齢の女性が現れる。
その女には、背中に紅く鈍く光る触腕が八本蠢いている。
「勝手にしろ」
返答を聞く前から、触腕で怪物を影の中へと引き摺り込んでゆく。
「今日はお前と同じ『混じり』か……足しにはなるな」
「あまりヒト目につくな、ヴェノミア」
「お前もたまには、精のつくモノを身体に直接取り入れよ。
それだけ、あの方の力を使っているのだ。今以上に大きな術式を使えば、自分の生命だけで足りるとおもわぬことだ」
くすくすと、笑いを堪えながら影の中へと消えてゆく。
「ここで、そんなことがやれるものか」
欲望に身を任せてそのようなことをしていたら、今ここにはおられなかっただろう。
フレイは一つ息をつくと、廊下の奥へと消えていった。
領主館の前で、女の騎士に呼び止められた。
「あまり調子に乗らぬことだ」
最初の一言がそれだった。
領主セリア・アヤシロの側近騎士アーシャが、不平を溜め込んだ声を掛けてきた。
彼女の名前を知った時、胸に過ぎった感情をなんと呼べばよいのか。
皮肉なものだ。自分を助けてくれた少女と同じ名前なのだ。
そのせいで、何を言われてもこの騎士には強く出れない。
「……所詮、俺はよそ者だ。手柄のためにやっているのではない」
フレイはその前を通り過ぎようとする。
彼は、昨夜の件で領主に呼ばれている。報告は、口頭でと、常日頃言われていることだ。
「お前、ここに根を下ろす気はないのか」
「ない」
正面の樫の大扉に手をかける。
「復讐など忘れろ。
セシリア様に救ってもらった生命だろうに……!」
「お前には、関係がない」
それ以上は取り合わず、館の中へと入ってゆく。
領主の執務室に入った途端のことだった。
「アーシャとやり合ったね?相変わらずあのコは素直ではない」
と小さく苦笑する。
セシリア・アヤシロ。
セレンフォートの若き領主。
東方の国からこの家に嫁いで来た彼女は、夫の死後、領主として日々執務に励んでいる。
聡明。武芸にも優れている。
彼を拾った行商人から身柄を引き取り、何も言わずに面倒をみてくれた女傑でもある。
「いよいよ、手段を選ばなくなってきたね、ソール王国の暗部は。
これは、君の言が正しかったことの証明でもある」
彼女の顔が険しくなる。
「魔族が国の内部に入り込んでいる、それは最初から言っていたことだ。
それで、お前はどうするつもりだ?」
フレイが問いかける。その態度は、横柄ですらある。彼はよそ者であるからこそ、発言に身分による遠慮ないのだ。
「私のとれる選択肢は、あまりに少ない。
せいぜいが、中央に引き続き報告するだけさ。
国の中央がティル・ノーア聖王国に聖将の派遣を要請している。
「天鬼」クラスではなく「神将」クラスなら要請できるだろうが、どれほどの役に立つのか」
ティル・ノーア聖王国の「十二神将」は魔族を討伐する部隊ではあるが、その上の位階に「十二天鬼」という者達がいる。
魔族の討伐要請は、どの国であろうと平等に扱われる。だが、それは反面、大なり小なりの聖王国に対する借りとになり、暗黙のうちに有形無形の代償が聖王国から求められる。
そのため、厳しい政治的決断が求められるのだ。
「セシリア。今日は別れを告げに来た」
唐突だった。
だが、彼女に狼狽えた様子がない。
彼女も分かっていたことなのだろう。
「やはり、行くのか。
君の言っていた実験施設は、確かにあの王国内部にある。止めることは出来ないが、勝算はあるのかい?」
暫し、セシリアはフレイの瞳を見やる。
「勝てるか勝てないかでは、ないのだね。
我が故国の言葉で言うならば、是非もなし。
なすべきことがあり、それを終わらせねば、君は何処にもいけない。そういうことだね?」
フレイは、深く頭を下げる。
「セシリア……貴方には助けられた。
あの時から三月もの間、大したことも聞かずに置いてくれたことに深い恩義を感じている
だから、その恩を返そう。
これは復讐のついでになるかもしれないが、あの王国の王族を殺し尽くす。
そうすれば、こうした襲撃も絶えるだろう」
セシリアの瞳に、深い哀しみが溢れる。
「フレイ、私はそんなことは望んでいないよ」
「復讐を果たす、それは分かる。私はそれを否定はしない。
だが、私は君が哀れでならない」
「君がそのために命を落としたとして、誰がそれを知る?哀しんでくれる?
君は、ただ一人寂しく死ぬだけだ。そこにヒトの生としての意味はあるのかい?」
そこには、偽りなき思い遣りがあった。
短くはあったが、居を共にした者に対する愛情がそこにはあった。
「セシリア、ありがとう。
少なくとも、君は悲しんでくれる。それだけで、ヒトではなくなった俺には、過分なものだよ」
フレイは、そう言って身を翻す。
そして二度と、振り返ることはしなかった。
ソール王国、国境付近。
いまこの国は他国からの人間を拒んで、門を固く閉ざしている。また、中からの人間が他国へ出ることも禁じている。
「うん、うん。分かったわ。フィリア達は一週間でここに着くのね。じゃあ、先行して偵察と現地の情報収集やっとくからね。
心配しないで、無理はしないから。じゃあ、あとは任せて」
門から少し離れた林の中で、彼女はここにいない誰かと喋っていた。
右の耳に嵌められた、豆粒ほどの水晶が埋め込まれた器具。それから細い指を離す。
「やれやれ、フィリアは心配性なんだから。だけどのんびりしてると、他の神将の横入りもあるからね。
手柄をたてられる時は、見逃さない。
これは、大事だよね。
この機会を与えてくれた『白皇』様に感謝します」
手を胸の前で合わせ、少しの間目を閉じる。
その小さな口が『神言』を唱える。
「その御身の光が隠すは、我が身の姿なり」
彼女の姿がすうっと色を失い、消えてゆく。
「一人だと、独り言が増えるのは困ったものです」
国境の門に、姿なきナルディアが近づいてゆく。
「その御身の手が浮かすは、我が身のしがらみなり」
門を守る兵士たちに、彼女の姿は見えない。
ふわりと浮いて、壁を飛び越えてゆく。
「着地、っと」
そのまま近くの林に入って進んでゆく。
迷いなく進んでゆく。
「透明化の難点は、ウマが使えないことだよね。徒歩で王都まで行くしかないのは、トホホだよね」
一人で、朗らかに笑う。
「フィリアにいたら、また説教だね」
口に手を当てる。
「フィリア達が来る前に、やれることを済ませておくのが出来る上役ってモノだよね」
誰にも見られることのない力こぶしを作って、彼女は王都への道を進んでゆく。
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