第30話 再び進む者たち ― 果てへの航路 ―
朝霧が晴れる頃、森都ルゼリアの空は、静かな蒼に染まっていた。風の神殿崩壊から十日。精霊ラグネルとの契約を経て、森は息を吹き返しつつある。だが――それは同時に、“嵐の前の静けさ”でもあった。
「……これで本当に、森は安定したのか?」
ハントが大樹庁舎の外で、腕を組んで空を見上げた。隣で、アリーシャが風の流れを読み取るように目を閉じている。
「はい。瘴気は完全に消えました。……けれど、不自然です。
まるで、導師が意図的に“次の場所”を示しているかのように感じます」
「次の場所……?」
アイカが眉をひそめる。
「そう。虚無の瘴気は北東の方角へ流れています。恐らく、その先に――導師の次なる標的がある」
ケインは無言で風の行方を見つめた。
(導師……お前の狙いは何だ。封印を壊し、“果ての道”を開く……それが本当に再生のためなのか?)
「さて、ケイン殿。」
声をかけたのは大賢者リーフェルだった。
「おぬしたちには、しばし休息を取ってもらうがいい。この森を救った功績、フラム共和国にも正式に報告すべきじゃ」
「共和国へ戻る……」
「うむ。おそらく“精霊契約者”として、正式な認定を受けることになる。それは、おぬしにとっても、新たな使命の始まりとなろう」
ケインは静かに頷いた。
「……わかりました。戻ります。導師を追うためにも、力を整える必要がある」
リーフェルが目を細め、微笑を浮かべた。
「雷の契約者よ。汝の道はまだ続く。だが忘れるでない――“希望の光”はいつも、仲間と共にあるということを」
ケインはその言葉に、ほんの少し微笑んだ。
ルゼリアを出発した一行は、東の街道を経て共和国の首都――フラム・セントリアへと向かっていた。旅路の途中、砂塵の舞う街道を馬車が進む。空は高く、遠くで風車が回る。時折、通りすがる旅商人や冒険者が、彼らに敬礼を送った。
「……この感じ、久しぶりだな」
ケインが車窓から流れる景色を眺める。
「何が?」
アイカが向かいの席から問い返した。
「普通の旅、だよ。戦いも、封印も、精霊もない。ただ、風と道があるだけの……」
アイカは少し驚いたように笑った。
「そんなこと言うなんて、珍しいわね。いつもは黙って修行してるのに」
「……俺だって、人間らしい時間が欲しいんだよ」
「ふふっ。そういうとこ、嫌いじゃないわ」
軽口を交わす二人を見て、ミーシャがにやにやと笑う。
「おっ、ケインとアイカ、だいぶ仲良くなってきたじゃない? 恋人未満って感じ~?」
「なっ……!」
アイカが顔を真っ赤にして振り向く。
「違うわよ!」
「へぇ~、否定が早いなぁ」
ミーシャがしっぽをぱたぱた揺らす。
「お前たち、少し静かにしろ。エリスが寝てる」
ハントが低く注意する。見ると、エリスが膝の上で聖書を抱えたまま穏やかに眠っていた。彼女の寝顔を見つめ、ケインは少し表情を緩める。
(この時間が、いつまでも続けばいい――だが、俺たちはまた“戦い”へ戻るんだ)
数日後、フラム共和国の首都フラム・セントリア。煙突から蒸気が立ち上り、鉄道の汽笛が街の空に響く。石造りの街並みと魔導ランプが並ぶ大通りは、活気に満ちていた。
「うわぁ~! 相変わらず賑やかだね!」
ミーシャが尻尾をふりふりさせる。
「確かに……文明の匂いがしますね」
エリスが目を輝かせる。
「ルゼリアとは違うな。森の静けさが恋しくなるぜ」
ハントが苦笑した。ケインは街の中心にそびえる白塔――冒険者協会フラム本部を見上げた。
「……ここに戻ってくるとはな」
アイカが隣で腕を組む。
「今度は、報告する立場ね。私たちが“森を救った英雄”として」
「英雄なんて柄じゃないさ。ただの旅の途中だ」
だが、その言葉とは裏腹に、彼の胸の中には確かな誇りがあった。
協会の執務室。
重厚な扉の向こうで、ラグナロク支部のギルドマスター・ダインが腕を組んでいた。
「おお……よく戻ったな、雷の若者たちよ!」
「お久しぶりです、マスター」
ケインが敬礼する。
「噂は届いておる。風の神殿を救い、精霊と契約を果たしたと……まさか、伝説が再び生きるとはな」
ダインの眼光が鋭く光る。
「お前たちは本日をもって、**フラム共和国認定・精霊契約者パーティ”
「”雷翼”……?」
アイカが目を丸くする。
「ラグネル――雷と風の加護を得た者たち。いい名じゃろう?」
ダインが笑った。アリーシャが杖を握りしめる。
「新たな称号ということは……新たな使命も、あるということですね」
「察しが早い。――導師は北へ向かっている。おそらく“氷の封印”を狙うはずだ」
「北……つまり、バルト王国方面か」
ハントが唸る。ダインは頷いた。
「あそこは雪原と氷壁の国。瘴気の流れも確認されておる。お前たちには先行して調査を頼みたい」
「わかりました」
ケインが即答する。
「導師を放っておけば、また封印が――」
「だが忘れるな」ダインの声が低く響いた。
「お前たちはもう“個人の冒険者”ではない。共和国の希望を背負っておる」
ケインは静かに頷いた。
「覚悟しています。俺たちは……果ての道を、歩き続けます」
報告を終えた後、夜の酒場で一行は軽く食事を取っていた。
「乾杯!」
ミーシャが杯を掲げる。
「これから北へ向かうんだね!」
「ええ、雪国か……寒そうですけど」
エリスが肩をすくめる。
「でも、美しい場所よ。……あたしの故郷でもあるし」
アイカが微笑んだ。
「お前の故郷……?」
ケインが驚く。
「ええ、ラーミアよりももっと北、氷原の王国バルトよ。あそこは――強さがすべての国」
「へぇ~、じゃあ案内役は任せたぞ」
「まったく……軽いわね」
アイカは呆れつつも、どこか嬉しそうだった。
「ケイン」
アリーシャが小声で呼びかける。
「……あなた、導師の言葉をまだ気にしていますね」
ケインは少し沈黙した後、微笑んだ。
「もう大丈夫だ。ラグネルが教えてくれた。“俺は、俺でいい”って」
アリーシャは安心したように頷いた。
「なら、次はあなた自身の答えを探す番です」
ケインは杯を掲げた。
「ああ――果ての道を進みながらな」
翌朝。白い蒸気機関車が駅のホームに停まり、汽笛を鳴らした。列車の先頭には共和国の紋章、そして“雷翼”の新たな紋章が刻まれている。
「行こう、みんな」
ケインが振り返る。アイカ、ハント、アリーシャ、エリス、ミーシャ――それぞれが頷いた。汽笛が鳴る。列車が動き出し、街並みが遠ざかる。車窓の外、広がる大地の先に、薄く光る“果ての道”の幻影が見えた気がした。ケインは小さく呟く。
「――待っていろ、導師。この雷が、お前の闇を打ち砕く」
空が鳴る。雷鳴は、彼らの決意を祝福するように轟いた。
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