第28話 風の神殿の崩壊と帰還

――静寂のあと、すべてが崩れ始めた。轟音とともに神殿の壁が裂け、天井から崩落した石片が雨のように降り注ぐ。導師が残した“虚無の瘴気”が黒い霧となり、空間そのものを侵食していく。ケインは膝をつきながらも、仲間たちを見回した。

「全員、無事か!?」

「なんとか……!」

ハントが盾で瓦礫を受け止め、ミーシャとエリスをかばう。

「こいつ……空気が腐ってる……!」

ミーシャが鼻を押さえた。

「これは……ただの瘴気じゃない。魔力を食ってる……!」

アリーシャが青ざめた顔で呟く。神殿の空気は次第に濃密な闇に満たされ、魔法の光さえも歪む。

「……導師の置き土産か」

ケインが低く唸った。

「逃げ道は?」

アイカが周囲を見渡しながら叫ぶ。

「後方の回廊が……!」

しかし、そこにも黒霧が迫っていた。

「チッ、包囲されてやがる!」

ハントが舌打ちする。

「……なら、切り拓くしかない!」

ケインが刀を構える。


黒霧の中から、歪んだ影が蠢いた。かつて精霊であったものの成れの果て――虚無に飲まれた“影精霊”。その身体は半透明の黒で、眼だけが赤く光っている。

「来るぞ!」

ケインの声と同時に、前方の影が襲いかかる。

「”エア・ショット”!」

アイカの詠唱が響き、風弾が影を貫く。だが、煙のように散って、すぐに形を取り戻した。

「効かない……!?」

「魔力そのものを喰ってるのよ!」アリーシャが焦りの声を上げる。

「なら、物理で叩く!」

ケインが前に出て、刀を振り抜く。風を切る音が走り、雷光が一閃した。”紫電閃”ではない、抑えた一撃。雷を纏った刃が影精霊を斬り裂き、蒸発させる。

「雷……だけは効くのか?」

「いや、これは“瘴気”を焼いてるんだ。虚無は雷の力を嫌う」

ケインが答えた。

「なら、私もいくわ!”ファイア・アロー”!」

アイカの炎矢が連射され、霧の端を燃やす。ミーシャが短剣を抜き、素早く走り抜けた。

「ハッ! あたしの火も負けないわよ!」

彼女の短剣に小さな炎が灯り、斬りつけるたび火花が散る。

「ケイン、後方も来てる!」

ハントの警告と同時に、黒霧が背後から押し寄せる。

「全員、前へ!」

ケインが叫ぶ。

「”ウォール”展開!」

アリーシャの杖が輝き、薄い光壁が張られる。闇がその壁を舐めるように削っていく。

「長くは持ちません!」

「行くぞ、全員で突っ切る!」


神殿の通路は崩れ落ち、左右の壁がゆっくりと傾いていた。石床の隙間からは黒霧が噴き出している。ケインが前に立ち、雷を纏わせた刀で霧を切り裂く。

「”サンダー・ランス”!」

稲妻が放たれ、通路の奥を貫いた。光が霧を押し返す。

「すごい……!」

エリスが息を呑む。

「いまのうちに!」

アイカが走り出す。雷の閃光に導かれ、仲間たちは瓦礫を飛び越えて進む。ミーシャが前転して先行し、罠のような崩落部分を確認する。

「足元注意! ここ、空洞になってる!」

「了解!」

ケインがハントを支え、飛び越えた。だが次の瞬間、背後で爆発音。

「――しまっ!」

黒霧が再び膨れ上がり、通路を塞いだ。

「ケイン!」

アイカが叫ぶ。ケインは振り向き、目を細めた。

「……行け、先に!」

「何言ってるの、置いていけるわけないでしょ!」

「お前が行かないと、全員巻き込まれる!」

「いや!」

アイカの瞳が潤む。ケインは微笑んだ。

「信じろ。俺は雷だ、こんな闇に負けない」

彼は一歩後ろに下がり、刀を逆手に構える。

「雷の道、我が剣に宿れ――”サンダー・ブレード”!」

刀身が光に包まれ、閃光が通路を切り開く。爆風と光。黒霧が弾け飛び、逃げ道が開かれた。

「ケイン、今よ!」

アリーシャが叫ぶ。ケインが走り出すと、仲間たちの手が彼を引き上げた。

「ふぅ……間一髪だ」

ミーシャが尻尾をばたつかせる。

「死ぬかと思った……!」


やがて彼らは神殿の外縁――崩れかけた橋の上に出た。外の空気はまだ清浄だったが、黒霧が後を追ってくる。

「早く渡らないと!」

「橋が……崩れてるわ!」エリスが指さす。

ケインがすぐに判断した。

「ハント、俺が先に行って向こうで固定する。みんなは順に来い!」

「了解した!」

ケインが駆け出し、雷を足に纏わせた。”ストレングス”で身体能力を強化し、一気に跳ぶ。残された半ば崩れた橋を駆け抜け、反対側へ滑り込むように着地。着地と同時に刀を地面に突き立てる。

「”ウォール”!」

光の壁が一瞬で形成され、橋を補強する。

「今だ!」

アイカ、アリーシャ、ミーシャ、エリス、ハントが順に飛び込む。ミーシャが途中で足を滑らせた。

「きゃっ――!」

「ミーシャ!」

ケインが咄嗟に腕を伸ばし、彼女の手を掴む。

「離すなよ!」

「わ、わかってるってばぁ!」

力任せに引き上げ、二人とも転げ落ちるように地面に倒れ込む。ハントが息を吐いた。

「ふぅ……全員、脱出完了だ」

しかし、後方の神殿がついに限界を迎える。轟音とともに、建物が崩壊し、黒霧が空へと噴き上がった。空は一瞬で曇り、太陽が闇に覆われた。

「……これが導師の残した“虚無”か」

ケインが呟く。

「やつの力は、神殿ごと飲み込んでる……」

アリーシャが杖を握る。


ルゼリアへの帰路。森の道は静かだが、どこかざわついていた。風が止まり、木々がわずかに震えている。

「精霊たちの気配が……怯えてる」

エリスの声が震える。

「導師の瘴気が森にまで広がってるんだ」

ハントが低く言う。

「一刻も早く、リーフェル様に知らせないと」

アリーシャが頷く。ケインは黙って歩いていた。あの導師の言葉が、頭の中で何度も響く。

 ――“お前の中の雷が、封印を解く鍵だ”

(俺が、世界を壊す存在なのか?)

(いや……違う。俺は仲間を守るために戦う)

彼は小さく拳を握る。その手に、アイカがそっと触れた。

「ケイン。あなたの力は、壊すためのものじゃない。――誰かを守るためにあるんでしょ?」

ケインは驚いたように彼女を見る。アイカは真っ直ぐに微笑んだ。

「私、信じてる。あんたが人であろうと、精霊であろうと、関係ない」

ケインの胸に熱が広がる。

「……ありがとう、アイカ」

彼は空を見上げた。曇天の中に、わずかに光が差し込んでいる。それはまるで、雷雲の隙間から差す“希望”の光のようだった。


数時間後。ルゼリアの大樹庁舎前にたどり着くと、リーフェルがすでに待っていた。

「無事だったか……よく戻った」

「神殿は……崩壊しました」

ケインが報告する。リーフェルは静かに頷き、空を見上げた。

「風の封印も、闇に飲まれたか……導師は、動き出しておる」

「これからどうするんですか?」

ミーシャが問う。

「封印を守るだけでは足りぬ。やつの本拠を探らねばならん」

「“果ての道”……」

ケインが呟く。リーフェルの瞳が鋭く光った。

「おぬしも感じておるのだな。その道は、いずれ世界の全てを繋ぐ。だが今は、まだその時ではない」

風が吹き抜ける。ルゼリアの大樹が揺れ、葉音が鳴る。その音はまるで、森が彼らに祈りを送っているかのようだった。ケインは剣を握り、静かに誓う。

(導師……次こそ、お前を見つけ出す)

(そして、俺の存在の意味を――この世界で証明してみせる)

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