石橋を叩いて恋に落ちる
はらっぱ
第1話 告白練習サークル
調布大学という場所は、都心から少し外れているせいか、妙に空気がのんびりしている。
サークル棟の廊下を歩けば、どこかの軽音部がくぐもった音でバンド練習をしているし、
廊下の隅では演劇部が発声練習をしている。
その中で、最も人に説明しづらい活動をしているのが、我ら「告白練習サークル」である。
なぜそんなふざけたサークルが存在するのかと問われれば、
それはもう、男の孤独と青春の無駄遣いの結晶としか言いようがない。
人間にとって恋愛とは一大イベントである。
とりわけ大学生にとっては、単位やゼミ発表よりもはるかに重要だ。
——と、我々は本気で信じている。
だが、肝心の「告白」はいつだってぶっつけ本番だ。
予習も復習もなく、当日いきなり挑むようなものだ。
それで成功するわけがない。
ゆえに我々はこう考えた。
「ならば、練習すればいい。」
こうして、恋愛に実績ゼロの男たちが五人、調布大学サークル棟の片隅に集まり、
「告白練習サークル」は産声を上げた。
サークルの理念は単純明快だ。
「恋愛は準備八割」
出会いも駆け引きも必要ない。重要なのは告白の瞬間だけ。
その一点にすべてを注ぐのだ。
活動内容も明快だ。
一人が「告白役」を務め、残りのメンバーが「女子役」になって演技する。
目線、声のトーン、間の取り方、手の位置——すべてを分析し、改善する。
「わ、わたし……佐藤くんのことが、す、好きです……」
「ふふ、実は俺も……」
ヒゲ面の工学部男子が裏声を駆使して演じる光景は、
はたから見れば完全に地獄絵図だが、我々はいたって真剣だった。
なぜならこの稽古を通じて、“恋愛という未知の戦場”に備えるからだ。
部長の田村敦はいつも言う。
「よいか諸君。恋とは戦いであり、告白とは決戦である!」
言葉の勢いだけは誰よりも立派だ。
だが、彼も例に漏れず童貞である。
その熱弁を聞きながら、僕はいつも思う。
「人はなぜ、経験のない戦争について、ここまで語れるのだろうか」と。
僕、小林悠こばやし・ゆうは文学部二年。
入学当初は真面目に文芸サークルに入っていたが、
“恋愛短編を書いても恋愛経験ゼロ”という矛盾に耐えきれず、
「理論で恋を学ぶ」というこのサークルに流れ着いた。
入ってみたら、全員が僕と同類だった。
自分のことを「恋愛研究者」と呼びながら、誰一人、研究対象を得ていない。
ある意味、清々しいほどの虚無である。
ある日の練習後。
田村がホワイトボードに「恋愛成功率向上計画」と書いた。
「いいか諸君。告白の成否は“演出”にある!」
「演出?」と誰かが聞く。
「そうだ。恋愛映画のラストを思い出せ。告白の場所には必ずドラマがある。
夕焼け、花火、雨、校舎裏、神社、観覧車。要は背景演出が勝敗を決めるのだ!」
「じゃあ、我々も演出を練習しよう」
というわけで、次の活動日は「夕焼けの屋上での模擬告白」となった。
屋上へ上がる途中、エレベーターの中で田村が言った。
「恋は理論だ。だが理論は、現場で鍛えねばならん。」
その顔は完全に戦場カメラマンである。
その日の夕方、空はやけにオレンジが濃かった。
我々五人が並んで告白練習をしていると、
屋上のドアが開き、ひとりの女子が現れた。
肩までの黒髪。胸の前で文庫本を抱え、
少し驚いたように僕らを見ている。
「……あの、ここって何してるんですか?」
全員が固まった。
まるで野生動物の前に人間が現れた瞬間のように。
田村がぎこちなく笑って言った。
「告白の、練習です。」
女子は一瞬沈黙したあと、
ほんの少し口元をゆるめて言った。
「……面白そう。」
それが、彼女、文学部の長谷川詩織との出会いだった。
その日を境に、空気は一変した。
それまでの部室は男子校の延長だったのに、
詩織が来るだけで、全員の背筋が伸び、語彙が一段階増えた。
「恋愛とは何か」「愛と好意の違いとは」など、誰も聞いてない議論を始める。
だが、最も変わったのは僕自身だ。
練習の最中、彼女が笑うたびに、胸がざわついた。
彼女の笑顔が上手く作り物に見えない。
いや、作り物じゃないのかもしれない。
その夜、帰り道で田村が言った。
「よかったな、小林。ついに本番の観測対象が現れたぞ。」
僕は苦笑しながら言い返した。
「俺たち、観測なんてできる立場じゃないだろ。」
「石橋を叩いて渡る。それが我々の流儀だ。」
「でも、叩いてる間に、橋が壊れるかもな。」
その言葉の意味を、
あの時の僕はまだ、まるでわかっていなかった。
石橋を叩いて恋に落ちる はらっぱ @harappanovel
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。石橋を叩いて恋に落ちるの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます