残香

にわ冬莉

残り香

「カップ麺、出来たよ」

 コトン、とテーブルに置けば、ほわほわとした湯気が立ち上がる。

 パチン、と割り箸を割る。いい具合にちょうど真ん中で、キレイに二本。


「うわ、天才的にうまく割れたんだけど、すごくない? 最近の私、いいことが続いてるんだよねぇ。知ってた?」

 ふと思い立ち、自分の髪を撫でつけると、

「この髪型もさ、ほんとは短くするつもりなかったんだけど、実際切ってみたらすごく似合ってるって思って! 美容師さんにも褒められたんだ。頭の形が綺麗だから、ショート合いますね、って。私、頭の形綺麗らしいんだけど、そういうのって自分じゃわからなかったりするのよね」


 割り箸を一度テーブルに置き、手を合わせる。

「いただきます」

 半分残っていた蓋をすべて剥がし、カップに手を添えると、

「ああ、そっか。猫舌だったよね。仕方ない。特別に私が冷ましてあげるからね」

 フーと息を吹きかければ、勢いよく白い湯気が流れた。


「確かにこれは熱そう。私でも無理かも」

 ふふ、と笑い、頬に掛かる髪を耳に掛けた。


「醤油味にしちゃったけどさ、本当は味噌味が好きなんだよね? わかってたのに醤油選んじゃった。ごめんね。でも、もう我慢しなくていいでしょ? 今までずっと譲ってきたんだもん。たまには私が食べたいもの選んだってさ」

 顔色を見て、少しむくれてしまう。

「やだ、怒ってる? やっぱり味噌が良かった? ……あ、もしかしてうどんの方がよかったってこと!? でもぉ、私は醤油ラーメンが食べたかったんだもん」


 冷ました麺を、そのまま口に運ぶ。

「冷まし過ぎた。でも、美味しい~!」

 味わって咀嚼し、飲み込む。そして気が付いたようにハッとした顔をした。


「やだごめん! 先に食べちゃった! あはは、お腹空き過ぎちゃってさ。半分こしようって言い出したの私なのに、あなたより先に食べるとか酷いよね。だったら最初から一つずつ買えばよかったじゃん、ってなるやつ! けど、なんかさ、半分こって響きがいいなぁ、って思っちゃったんだもん」

 俯くと、申し訳なさそうに上目遣いになる。


「こんなことになったのは、ほんとごめん。最後の晩餐がカップ麺なのも申し訳ないなって思ってる。思ってるけど……仕方ないよ。私はずっと一緒にいたかったけど、約束破ったのはそっちだもん。前に言ったでしょ? 私、嘘つきが一番嫌いなの。あの女とのことはわかってる。だから……このカップ麺を食べ終わったら、私たちの関係も終わりにするの。悲しいけど、もう元には戻らないもん。それは理解できるでしょ?」

 目に涙を溜め、早口でそう伝える。そうでないと、泣き出してしまいそうだったから。


「もう食べられると思う。はい、どうぞ」

 割り箸で麺を持ち上げ、口元に運ぶ。


「え? 食欲湧かない? 別れ話で落ち込んじゃった感じ? 悪いことしたのはあなたなのに? 食べないなら、私食べるね。醤油ラーメン、すごく好きだから! それにあったまるしね。今日は冷えるもん。暗いし、あんまりここに長居したくない」


 ズズズ、と麺を勢いよく啜る。ほのかに、カツオ出汁の風味。

「ああ、美味しい~! 好きなものを食べるって、幸せなことだったんだねぇ。もうこれからはあなたに合わせなくていいんだ、って思ったら、なおのこと美味しく感じるな。……って、そんな顔しないでよ。なんか、私が悪いみたいじゃん」


 カップ麺の中の汁をすべて飲み干し息を吐くと、ゴーッと火を吐く怪獣の気分になる。大きくて、強い怪獣。町や人を破壊し、踏み潰す、絶対的存在感。今まで小さく縮こまっていた自分を捨て、胸を張って前を向けそうな、そんな希望に満ちた白い息。


「従順で泣き虫な私はやめるの。あなたとサヨナラして、私らしく生きるの。そう決めてから私、いろいろ勉強したんだ。人は、どこを刺したら死ぬのか。ただ死ぬだけじゃなくね、一番苦しくて、一番時間が掛かる急所をね、調べたの!」

 嬉々とした顔で語る。


「声も出せないでしょ? いつもみたいに怒鳴ったり、お前はバカか、って言えなくてつらい? ……どうでもいいけどね」


 言い放ち、折り畳み式のテーブルを畳むと、声に気付き、振り返った。

「ん? なにか言った? 口がパクパクしてるけど、もうラーメンは食べちゃったからなにもないよ。お腹空いてても我慢してね。夜は寒いけど、凍死するほどでもないと思うんだ。だからここでゆっくりと恐怖を味わって! 明日になったらまた来るね。……明日の朝もカップ麺食べようかな。もし、明日まだ息してたら、今度こそちゃんと半分こしてあげるから!」

 ふふ、と満面の笑みで約束を交わす。


「近くに民家はないから、騒いでも無駄。私は一度帰るけど、ちゃんと戻るよ。明日中には埋めてあげるから安心してね」

 言い終えると、停めてあった車にテーブルをしまい、自らも乗り込む。

 試しにヘッドライトを消すと、驚くほど、暗い、自分がどこにいるかもわからないほどの、闇。


「いい夜ね……」

 うっとりとした顔で呟く。


 そこにあるのは、残り香だけだ──。


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残香 にわ冬莉 @niwa-touri

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